反抗とは運命からの逃走である

スケジュール詰めすぎて自分が追い付かなくなり鈍行さえも許さないと安全装置の役目を果たす睡魔が俺の肩を掴んで止めた。昔は自分のだらしなさにたいして必要以上にぶちギレて無理矢理前に進んでたけれど、ある時限界が来てすべてがぶち壊れ、後遺症が今も残っている。それならまだしも、俺には先天的にも抱えるものがあり、どちらも背負って普通に生きていくことなんて到底不可能でずいぶん長い間療養に時間を取られてしまった。そのせいで同年代との間に遥かなる時差が生まれて俺は今それを埋めるべく全速力で駆け抜けなければいけないわけなんだけど、積んでるエンジンもぶち壊れてしまったから電波遅れのgif画像みたいにぬるぬるぬるぬる進んであーこんなスピードで歩いてる場合じゃないのに!光速にならなきゃいけないのにって、我が腰に鞭を振ってもその勢いはどこか痛みを軽減するように手加減されているというか、自分を守るためにこれ以上傷つかないために緊急停止ボタンが押されてしまうので燃料を、とにかく自分の燃料がなんなのか考えてひたすら取り込むしかないわけなんだけど、また、俺にしがみつく、あるいは、しがみつかせてしまった重りも振り落とさなきゃいけないわけで(友好関係は重りじゃないよ!)、その作業に気を取られているうちに理想の自分の背中はどんどん小さくなって、もうそろそろ踏ん張らないと目で確認できない、象徴としての理想像となってしまう気がして、だから余分なものは取り払って、身を軽くして、最低限の持ち物で移動しなければいけないわけで、でも、先天性の鎖が俺の足を数多の土嚢と繋いでいて、ふざけんじゃねぇぞって誰に怒ってるのかわからずに叫んで、それは自分にたいしての怒りでもあるけれど、ふざけんなふざけんな、でも前に進むしかないんだ、どんなに邪魔されようと、あがくしかないんだって。だから俺はほとんど無意識のレベルでなににたいしても常に反抗的な目線を送ってしまうのかもしれない。因果は絶対的にある。その呪縛を断ち切るために、過去を、出生を、銀河の運命から、少しでも遠くに、遠くに逃走しなければならない。反抗とは運命からの逃走である。俺はこの世界の因果を受け入れない。受け入れたくないから走り続ける。この世界からの脱走を目論む。みんなもそうなのか?今の自分が世界が始まった瞬間から決まっていると思っているのか?それとも、運命を受け入れたくないから目をつむっているのか?信じたくないから見なかったことにするっていうのと、はなから信じてないのとでは全然違うが、現実逃避をせずに立ち向かってきた結果が今の君たちなのか?そんなに努力してきたと言えるか?そこまでの努力をしてきたと胸を張れるなら本当にすごいことだが、そうも簡単に運命を乗り越えられてしまうと俺のメンツが崩れるから、君たちは運命から目を遠ざけて現実逃避している、あるいは想定内の現実に納まっていることをそれほど苦に思わない非常に運の良い、運命に味方された、運命に陰ながら見守られている、実に運任せの人生を送ってきた大いなる実力者と呼んでおこう。ちなみに俺は運命を信じているし、だからこそ、逃げ切りたいと思う。こうなるべくしてなった、では面白くないから。小さい頃、足が速い人はモテていた。生物は本能的に身体能力が高い個体を優秀な遺伝子の格納庫として判断するから。俺は別にそうならなくてもいいと思っていた。今でもそう思う。ただ、自分がたどることが決まっている道の脇に生えているいばらをいともたやすく掻き分けて、突き刺さるトゲの痛みに耐えられて、自分が追い求めているルートに向かうための、強靭な足はほしいと思ってる。メルカリに売ってたら1700円くらいまでは出せる。強靭な足と屈強な魂のセット売りなら3000円で。俺は3000円で運命に立ち向かう。

小さい頃からお金をもらうことが好きでした