2022.12.27~2023.1.1 僕の考えるロマンはこうだ

実家を出る。なに不自由なく暮らしている自分を唐突に崖に突き落としたくなった。安定した生活の中で大事なものを見落とし、精神的に疲弊してもすぐに立ち直れる術を身につけ、やり過ごすように空虚な毎日を送っていた。この延長線上にあるのはきっと生ぬるい人生だけだ。本能に訴えかけるものは心が飢えていないと生み出せない。絶望の淵に立ったとき、精神の渇きで息苦しいときに無意識から湧き出てくるあのエネルギーに満ち溢れた言葉たちを俺は追い求めているんだ。

というのは、嘘。母親にタバコを吸っていることがバレそうになったから。たかがそんなことでわざわざ家を抜け出すのかと思う方もいるだろうが、このうしろめたさには僕の手に負えない問題が絡んでいる。そこには変えることのできない過去が関わってくる。

父が禁煙をしなかったことにより両親は離婚した。母は僕を女手ひとつで育ててくれた。そんな、実の息子がタバコを吸っていると知ったら母親はなんて思うだろう。僕はふとしたきっかけでタバコを吸うようになり気づけばニコチンの常習犯になっていた。母は僕がタバコを吸っているとは思っていないが、それでも最近どうも僕がまとう煙の匂いに敏感に反応し、母の中で不確かな疑念が徐々に膨れ上がっているのを僕は直感で感じていた。バレる前に逃げるというのがあさましい僕の実のところの理由だった。




しかし、僕には圧倒的に足りないものがあった。引っ越しするためのお金である。どんなに安い家を借りようと初期費用で10万はかかる。僕の貯金残高は4万前後、それも毎月借り家である実家の家賃の半分を支払い、食事はすべて別々で購入するというルールが定められている自分にとってはあってないようなものだった。


このところ、ただ願望を吐き続けるだけでなにもできていなかった自分は、絶対に引っ越しだけは早々に行い、有言実行という名の成功体験をなんとしてでも手にいれようと考えた。


その覚悟は功をなした。かろうじて生き延びられるほどしか働きたくない自分が莫大なお金を稼げる予定をいともたやすく取り決められたのだ。年末年始に行われた音楽フェスのバイトに応募した。5日間で約10万。必要最低限の暮らしができる家を借りるならこれくらいまとまった金があれば引っ越すことができるのだ。


音楽フェスのバイトはなにが楽かというと、常に音楽を聴けることだった。知っているアーティストの歌声を聴けば、なぜこの人が売れたのか一瞬でわかり得たし、知らないアーティストの出番になれば、新しい曲に出会うことができる。そこは、音楽との出会いの場でもあった。ただそれ以上に、人との出会いの場所でもあった。


そいつの第一印象はヤンキーから成り上がった誰でも行けるような私立の大学生といった感じだった。誰もが平成に置いてきたような茶髪、ギャルが好みそうな一昔前の色合いだった。そんなやつは総じて人との心の壁がない。慣れるまで地蔵のように黙りこくる僕に話しかけてくれて、お互いミュージカル好きということもあって、すぐに打ち解けることができた。ぼくは一番好きな映画であるララランドのことに触れた。


この映画はミュージカルや画期的な演出方法で観客を飽きさせない工夫が施されている。僕はそういう、創作に対する新しいアイデアが散りばめられているものが好きだ。そして、一般的な職業につくつもりのない身としては、ミアとセバスチャンのような夢追い人にはシンパシーを感じてしまうところも個人的なポイントである。夢にはロマンがある。実現されるのかわからない未来を追い求めるのがぼくは好きで、そういった存在自体が危ういものを信じる行為に嫌でも惹かれてしまうのだ。


ララランドが好きというだけで浅い人間に見られることが少なからずあった僕は、自虐的にララランドのTシャツを4枚持っていることを言う癖があった。さらにその時、たまたまララランドのTシャツを着ていたので、フェスのスタッフジャンパーをめくり、ミアとセバスチャンが丘の上で踊っているシーンのプリントをそいつに見せてあげた。案の定笑いは起こったが、僕のあだ名が「ロマン」になるという予期せぬ事態も起こった。普通ならセンスを疑うような安直なあだ名の付け方だと蔑むところだが、そいつは関東生まれのくせに訓練された関西人のごとく話の切り返しが早く、言葉のチョイスも中々好みのものだったので、自然と受け入れることができた。頭の回転が早い人と話すのは楽しいし、なにより長い間、人と接することを放棄してしまい、そのせいで人とズレている発言しかできなくなった僕に対して自らツッコミどころ見つけてくれて笑ってくれるのがとても嬉しかった。


そいつ自身もロマン好きということでもあり、仲は深まるばかりだった。ロマンチックなものに憧れを抱いているらしく「マイ・インターン」や「君に読む物語」といった好みの映画を教えてくれたが、僕はどうも恋愛の方向には目を向けておらず、人類初の月面着陸や夢を追う若者にロマンを感じるタイプだったので、結局、そいつのプレゼンは僕の心に刺さらなかった。それでもお互いの共通点だけでなく、ことなる部分を互いに尊重した会話をすることができ、僕は終始「ロマン」呼ばわりされ、いじられていたが、悪い気は一切しなかった。2 ,3時間の談笑の末、フェスは終わりを迎えた。僕の心の中で楽しかったひとときに終わりを告げるブザーの音が鳴り響いた。


そいつとは最後の最後まで一緒にいた。フェス会場から2km離れたスタッフルームまで歩いている際も、急に展示されているオブジェに名前をつけろだのと大喜利のような無茶振りをされたり、天井のミラーボールから放たれた緑と黄色の光の点滅を浴びている床を歩いているときに「メロンソーダやドデカミンの中にいるみたいだ」と言った僕を「なにその幻想的な表現、ポエムでもやってれば?」と軽くあしらって笑いに変えてくれたりと面白いことはいくつかあった。


次の日、そいつとは別のポジションになり、目にすることはほとんどなかったが、遠くから僕を見つけるとさりげなく手を振ってきたりしてきて、かわいらしい一面もあるやつだった。しかし、彼女の出勤日はその日が最後で、それ以降見かけることはなくなってしまった。


もし、今年も出会えるならお金が必要でなくとも同じフェスのバイトをしたい。そして、もう一度、あの時みたいな楽しい時間を一緒に送りたい。が、僕はきっと彼女にもう会えない気がする。ララランドはフィクションであって、ミアとセバスチャンが再び出会えたように僕たちがまた顔合わせができる機会なんて都合よく訪れない。しかし、それでもかまわない。もう2度と会えない人だとしても、いつか必ず出会えると信じ続けることが、僕の考えるロマンであるから。



小さい頃からお金をもらうことが好きでした