12/5 「良い主人公」と「悪い主人公」がある

渋谷のエスカレーター。目の前に白いダウンを着た女性がいた。マスクを外して内カメラで自分の顔を確認していた。白いダウン。白いままでいいなと思った。きれい。きれいというより汚れていないというか。俺は服を汚してしまうし物も大事に扱えない。自分の体も掻き傷だらけ。自分から傷つけようとおもったわけじゃないのになぜか傷が増えている。体だけじゃない。精神もボロボロ。まあ昔の話だけどね。人間って言うのは不思議なもんで傷つけば傷つくほどどんどん皮膚が硬くなっていく。それはいつしか厚みを増して殻になり社会と自分を切り離す太い境界線になる。単純な話、この殻は内側からではなく外側からぶち割る方が楽だ。内側はとても窮屈で、拳を振り上げる隙間もない。俺は誰かが破壊してくれるのを待っている。が、一向に誰も俺のことには気づいてくれない。「気づいてくれない」。この人任せな精神が俺の人生を減速させている。いつまでもそういう精神でいると何も変わらない。俺は妄想好きの作者が作り出したアニメや漫画の主人公じゃねぇんだ。現実は甘くない。自分で自分を救おうとしてないやつに力を貸してくれる人なんて現れるわけがない。狭い狭い殻の中から少ない隙間を利用して必死に叩き続けるしかないんだ。その音を鳴らし続けて自分がここにいることを外に知らせるしかないんだ。殻を破り、晴れて外に出られたとき、俺を迎い入れてくれる人がいることを切に願う。


という文が、渋谷駅のエスカレーターを降りた瞬間流れるように思い付いて急いでメモしたんだけど、今客観的に見てみると、、こいつ、弱い自分に酔いしれてないか?と思ってしまう。友達に「弱いやつってみんな自分のこと主人公だと思ってる」って釘刺されたばかりだから「俺はアニメや漫画の主人公じゃねぇんだ」とか書いてるけれど、まだお前、最後の文章から察するに、主人公感抜けきってねえぞ!気を付けろ~!!

と思ったけれど「弱いやつってみんな自分のこと主人公だと思ってる」という文脈における「主人公」って「何も行動してなくても自然と人生が動き出すと思ってるやつ」ってことなんだろうか。だとしたら、自分で道を切り開く姿勢を示している最後の文は「良い主人公」だったってことになる。誰もが人生の主人公だって言うけれど、他力本願じゃままらないよ。弱くてもいいから、悪い主人公を抜け出さないとね。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした