7/20 ベタに「君たちはどう生きるか」を見てきました

新宿のTOHOシネマズで「君たちはどう生きるか」を見ました。前情報一切なしです。強いて言えば、youtubeで公開当日に見た人が感極まって泣いている映像を見ました。自分も1つの作品にこんな風に共鳴できたらいいなとほんのちょっぴり思ってました。しかし、残った感想は「良かったんだろうな」これだけです。普通によくわからなかったです。一緒に行った人も「勝手すぎる」と笑ってました。主題歌は脳を素通りしていくような感じでした。良くなかったです。なんで米津玄師なんだろうとさえ思ってしまいました。彼らがこの作品のことを考えられるだけ考えて作り上げたということはわかります。だけど抽象的ゆえに難解でした。問題点をあげるとすれば、まだ自分がこれを見る力が足りなかったということに尽きるかなと思います。見終わったあと映画の感想は10分くらい話して、そのあとは周りの人たちの愚痴を言い合ってただけです本来なら1時間近く考察されてもいい作品のはずなのに、たった10分で雑談に移り変わりました。伝わらないって本当に無力なんだなと思います。なんとなくすごいことはわかります。世界観や映像の力の入れ方。おそらく全力を出したんだろうと。でもあるライン、たとえば70%くらいまでしか伝わらず、一度でも頭にモヤモヤが残り、それが解消されないまま終わると、どうも「良かった」とは言えないんですよね。良いところはたくさんあるのに、引っ掛かりができてしまうと総合評価が低くなり、80点くらいの作品にも負けてしまう。実際に自分はスーパーマリオブラザーズの映画の方が見終わったあとの満足感は高かったです。あれも別に、ストーリーは教科書のように斬新さがなく、たいした映画じゃありませんが、Nintendoが作り上げた常識を最大限に映像で表現して、見事に世界観を出しきったので、良かったなと思えましたもん。以下は映画見たあとに自分が考えたことです。かなり個人的な内容なので映画とまったく関係ありません。

アートって絶対的なんだよ、俺の中で。創作が第一なんだよ。だけどアートにすがるのも雑な信仰というか、他の世界の面白さにももっと触れなきゃいけないと思った。今はビジネスに触れたい、知りたい。最近、世の中、金という考え方が再び白熱してきている。そもそもアートと商業ってのは切っても切り離せない関係であって、昔はアートはアートだけで成り立ってたのかもしれないけれど、今は誰でもアートできる時代だから発信したもの勝ちというか、多くの知り合いがいるやつが勝利みたいな風潮があって、じゃあどうすれば多くの人に知ってもらえるか、見てもらえるかが重要で、でもそれって個人を極めるアート道とは真逆に位置するものなんかなと思った。一度は思ったけれど、結局才能ある人は広く万人に受け入れられるし、そこには普遍的で一般的な真理というものが隠されていて、アートアート言って独りよがりのものをするだけで、一生賭けてもなんの網にも引っかからないというのは単純に才能がない、あるいはしられる努力していないということで、だから死後評価された芸術家ゴッホは甘いと言えるわけで、いや、そんなわけないんだよな。その知られるために必要な労力をすべてなぎはらって芸術だけに捧げた結果が今のゴッホであるから、どちらを取るのかは自分次第。結局自己責任。選択には責任が伴う。今の俺は商業のことを考えている。つまり、もう俺はゴッホになれない。もう戻れない。俺ごときのレベルのやつが知った風な口言っていいわけないんだけど、それでも、語らせてくれよ。俺だってわかんないよ。わかんないながらも、あれこれと考えて日々を生きている、なんて終わり方は逃げている。何もかもがすでにあるものの枠のなかに収まっている気がして、そんな自分や他人が大嫌いで、でも仕方ないよなとか諦めるのかっこ悪いし、人生のほとんどを模作だけに使って、結局折れるのもムカつくし、本当に今の俺がほっしているのは、誰かの同じ道を進んでいるのにそれ気づかない鈍感力とその道をただひたすら歩み続けるための没頭する意志。この二つがあれば、前進することには間違いなく、行き着く先がたとえ誰かがすでにたどり着いているゴールだとしても、最後には後悔することになっても、やりきったって悔し涙に震えながら言えるようになりたいんだわ。自分がいつも思ってることなんて自分にとってはなんの新鮮味もないからまったく面白くないんだけど、これは誰かの心を揺さぶれる文章なのか、それとも、浅いことごちゃごちゃ言ってるな、他の奴らはもっと2step先くらいまで物事考えてんだよ、なのか?俺はみんなに遅れを取って追いかける側だし、同年代なのに俺よりも大人びた人と話すたびにそれをびしばしと感じ取っているから、自分の考えが深いところまで達していないんじゃないかという不安に付きまとわれている。浅瀬を泳いだっていいじゃない、じゃダメなのよ。広く知られた真理を探すにはもっと遠くの海の始まりと言える源泉のような場所から溢れ出る思考を掴み取らなきゃいけないのよ。なあ難しいよ。誰か教えてくれよ、って楽して人に頼りたくなるよ、すぐにでも。俺にできることはなんだろうか。俺にできることはなんだろうか。久しぶりに自分の内側に焦点を当ててみた。どうせ答えはでないのに。どうせ答えなんてあるはずもないのに。でも明日はうんと頑張ろうと思うんだ。そうだな、たとえばそれは、その頑張りが毎日続けば必ず日の光を浴びれるようになるくらいの。












小さい頃からお金をもらうことが好きでした