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1969年生まれ/私の反省記②ハンドメイドの緑のコート

3歳から10歳まで新宿区下落合に住んでいた。
小学2年生の頃、教会へクリスマス礼拝に母に連れられた時の反省記。

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毎年クリスマスになると思い出す。

言いたいことが言えて、つっかえていたものが吐き出せた事によって相手を傷つけることがあるのだと初めて気づいた時のことを。

この話のもう1人の主人公、私の母はこれをきっかけに「子離れ」に気づいたかもしれない。
それはそれで良かったのかもしれない。

神様はやるなあ、と思う。


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昭和1桁から10年代生まれのたいがいの女性は、物を捨てずに生きてきた。戦争を少し経験していて、貧しい思いをしてきたからなのか。
私の母もその一類に入り、物を大切に、そして繋ぐ事を当たり前のように生きてきた。
彼女の好きなことは新しい外国の文化や宗教に触れること以外に、昔から身の回りに配置されていた物を大切にする事だった。その流れで、自分でリサイクルする。リユースする。裁縫をする、という習慣があった。

ある日私に差し出されたコートは母の手作りであった。

トレンチコートのようなイギリス風の造形で少しフランスっぽいマントのようだった。真緑色のオーバー。

嬉しそうに真緑のコートを私に着せながら、「ほら、ママのもあるのよ!シホちゃんとお揃い。なーちゃん(弟)には内緒だからね」と言っていた。

夜にミシンをかけて何かを作っていた事はなんとなく記憶にある。
しかし、まさか、それがお揃いだとは思わなかった。
(弟にあげればいいのに。なんでこんな緑色なの?)そう思って口をつぐんだ私を、その時の母は気づいていなかっただろう。

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生まれた時から、私は母の手作りの服を着ていた。産着から始まり、ズボンやドレスやスカート、パジャマなど。水着もあった。
どこかで買ってきた布なのか、祖母のお下がりの洋服をほどいて生地に直してから縫ったのか、さまざまなオートクチュールが私の元に。その中でも、冬のコートを作るなんて、素人のレベルを超えていたかもしれない。

「これ来て、一緒にクリスマスの夜の礼拝に行こうね」
母がどんな気持ちでこのコートを作ったのか、今の私ならわかる。でもその時の8歳の私にはわかる術はなかった。

クリスマスが恐ろしいぐらいイヤだった。
毎日FMラジオから聞こえる朝のクラシック曲がヘンデルのメサイヤになって来る。クリスマスは近い。
どうしよう。
お揃いのコート、あんなに派手なの。着たく無い。
ママは好きだけど、どうしよう。

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24日の夜。出かける寸前、思い切って伝えた。

「こんなの来て行きたくない」

母は顔色を変えずに顔の位置を私に近づけて話した。
「そうなのね。でも、今晩はクリスマスだから、来ていこう。今日だけ、ね。」

2人でお揃いの真緑のコートで礼拝に行った時、もう2度と着ることは無いコートに包まれながら、とんでもないことを言ってしまったんだ、と気づいた。
隣の母は、ぎゅっと私の手を握りしめ、
「寒いねー寒いねー」と言って咳き込んだ。


子ども心に反抗してしまった、と感じたし、母が優しかったことが今でも忘れられない。
親子が互いの依存から離れ出したとき。それが緑のコートの出来事。

1976年 新宿区下落合の反省記



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