コトノハ

日本語が大好きな、言葉が好きな者です。                       …

コトノハ

日本語が大好きな、言葉が好きな者です。                          揺るがないものは「いちばん好きな食べ物味噌汁。」

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見える足跡

晴れの日も、雨の日も普通だったら見えないもの。 雪が積もって、歩いた跡が残ると、 人が歩いた形跡を見ることができます。 私はそんな足跡を借りて、油断すると滑る雪の上を歩きました。 それまで慎重に歩いていた自分の歩幅も、 その足跡を借りると、私以上に間隔が狭く 私の歩くリズムが変わったの。 「あぁ、この人はとても慎重に歩いてる。」 そう感じました。 歩幅で、足跡で、それをお借りすることで わたしの心の中にこの足跡の人の 足音が鳴って聞こえます。 どうも不思議な感覚でし

    • 夜中の掛け合い

      夜中に送り合うメッセージ。 この世で一番つまらないんじゃないかと思うほど、 でも二人にとってはこの世で一番、 最高に面白くて楽しいひととき。 LINEというツールがあるおかげ。 世界中のどこに居ても、 いつなんどきでも、 0.1秒で送り合える言葉の空間。 昔の人々は、 電子機器のない時代の人たちは、 このうずうずを手紙にあててたのだろうか。 その手紙には、 どれ程の愛が、 詰まっていたのだろうか。 今も昔も、そこには愛しさが溢れている気がする。

      • 只今、順番待ちです。

        観よう、観よう、と、 溜まったNetflixのマイリスト。 あ、行きたいかも。と思った、 あのパン屋さん。 暇な時に読もう。寝る前に読もう。と、 ちっとも進んでいない本。 目の前を通り過ぎた時、食べたいと、 目からも鼻からも食欲をそそった、中華料理店。 気付けばそうやって私たちは、 私たちの思いは、過去になっていく。  悪くいえば、後回し。 良く言えば、未完。可能性。ワクワク。 私はそんなふうに感じる。 それが良いも悪いもそんなの無いと思う。 そのぐらいの頭の片

        • 手書き

          頭に浮かんだ取り留めのない事をね、    こう、文字にして文章にして可視化したいときに、 頭と心の中を巡って探し出した言葉を   感じたままに、   自分のノートに手書きをするとね、   その時の感情が、   その時だけの自分のフォントになるよ。 幸せな事も、何気ない事も、怒りや悲しみも、   その時だけの感情が、 チカラが、 文字の形と筆圧となって あなただけのカタチになるよ。

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        見える足跡

          ふと、好きだと思った時

          さっき、ふと気がついたら、 まだフルサイズ未配信の 宇多田ヒカルの最新曲を口ずさんでたの。 映画の主題歌として、もうすでに予告でちょっとだけ聴けるんだけど。 特にしっかり歌詞に注目して聴いてた訳ではなくても、 力強く、凜としたその曲は、 もうすでに私の中に浸透していたらしい。 常々私はこういうふうに、 とことん好きだと思えるものと出逢えている。 心の底から好きだと、震えるような感情の動き。    電気が走ったような、全身で受ける衝撃。   目から、耳から、、

          ふと、好きだと思った時

          私の見ている風景

          とある日曜日、 私がfarmers marketに向かって歩いていたときのお話。 この時期を楽しみに、 この日を待ち遠しく思っていて、 どんな新鮮な野菜やお花やお店が並んでいるだろうと、 ワクワクしながら歩いている時のこと。 何気ないこの景色を見て、 なんて綺麗な空と緑なんだろうと、 天気も良くて嬉しくなった瞬間の写真。 私たちはどこかに向かう道中、 正面から目に入ってくる景色を見て、 様々なことに気付いたり、 感じたり、 新たな発見をしたりする。 また、考え事をし

          私の見ている風景

          ちょっとだけ、器用に生きる術

          あなたの好きなものを、 私は好きじゃない。 あなたの大切なものを、 私は大切にできない。 あなたの生き方と、 私の生き方。 -------- 好きな人の好きな歌は、 自然と私も好きになる。 好きな人の好きなものには、 興味が湧く。 家族、友だち、恋人、 すべての大切な人の大切なものは、 私にとっても大切なものになる。 そう思える事を幸せだと感じる。 そういう感情を私たちは知っている、持っている。 でもさ、 すべてを大切に出来るとは限らないでしょ? これまで全

          ちょっとだけ、器用に生きる術

          “戦場のメリークリスマス”のような儚さ。

          世界は美しい、美しい、と、 ばかり伝えるけれど、 美しくない汚れた側面もあって。 美しいと信じていたのは、 信じたかったからなのかもしれない。 汚れた側面を、 美しさの中に紛れ込んだ、 小さな小さなその側面を、 見たくないのかもしれない。 誰かにとっては美しいと感じるものも、 誰かにとっては汚いと感じるものであったり、 またその逆であったり。 これらが占める割合は、 人それぞれ。必ずみんな違う。 私はどうだろうか。 汚いと感じる割合が大半を占めていた、 かつてのま

          “戦場のメリークリスマス”のような儚さ。

          ゴッホ

          先日ね、ゴッホの作品のデジタルアート展に行きました。 正直、有名どころの絵しか知識の無いこれまででした。 行く前に下調べで、少し勉強した程度。 これほどまでに心が動くと思わなかった、、、。 「デジタル化された絵画って。」 「作者にとってはどうなのかな。」 っていうね、考えがこれまであったんですけど。 足を踏み入れた瞬間ね、 「うわぁぁ!」って言葉が思わず漏れたの。 デジタルで巨大な空間に映し出すからこそ、 その空間全体に包まれる。 世界に入り込む。 初めての感覚で

          小さな話

          最近、大それた話を長々綴ったものばかりを 投稿してるから、 小さな話をするね。 私がいつも出勤する時に乗るバス🚍。 朝決まった時間のバス、 この時間だけは大抵いつも同じ運転手さんで、 発車する時にいつも "Hang onnn😀"って、 ゆる〜っと声掛けをする運転手さんがいるの。 (私はいつも心の中で“Hang onおじさん”って呼んでる) バスを逃しそうでギリギリ間に合った朝も、 今日の運転手さんはどんな人かなって余裕を持って乗る朝も、 "Hang on😀"を聞くとな

          缶詰め、缶切り。

          好きなドラマの中にこんな台詞がある。 「缶詰が発明されたのは1810年なんですってよ。 で、缶切りが発明されたのが1858年。 おかしいでしょ。 でもそういうこともあるのよ。 大事なものが後から遅れて来ることもあるのよ。 愛情だって、生活だって」 48年もの間、 人は缶切りではない刃物で缶を開けてたの。 48年も後に、 こんなに便利なものが発明されるなんて、 今やそれが当たり前になるなんて、 誰が想像出来ただろう。 後から遅れてやってくる。 なんて、ちょっとワクワクし

          缶詰め、缶切り。

          夏の話

          今日は夏の話をしよう。 いやいや、まだ春も来てないよ。 日本はいま花粉でみんなヒィヒィ言ってるよ。 そんな私は、「花粉って?」って場所に居るからね、 ふふふ✌︎ 私の居るカナダは、 あと数時間後にサマータイムを迎えます。 『夏時間』ですって。 最近すごく、日が長くなったことを実感します。 日照時間がとーーっても短い冬を越した分、 明るいって時間が幸せ! 仕事からの帰り道、 17時台にバスから眺める景色が、 夜景から夕焼けに変わってきた。 バスを降りて家まで歩く5分の

          ending

          書きたいことのストックは沢山あるけど、 今日はあえて、これを書こうと思う。 死に様、 人生の最期へ向けてエンディングを決められるのはとっても幸せな事だと思うの。 「エンディングノート」 「終活」 歳を取れば、最期の時に向けて やり残した事、 行っておきたい場所、 食べておきたいもの、 見ておきたいもの、 会っておきたい人、 これらを【消化】する為にプランを立てるはじめる。 前向きなプラン。 綺麗に人生の幕を下ろす為。 『去り際は美しく』 まさにこの言葉を意識してしま

          記憶Ⅱ

          ひとつ前の投稿で話した、 私が『名たんていカメラちゃん』を思い出したきっかけ。 それは、 私はお洒落だなと思って目についた、街行く人の姿を 絵に描くのが好きだから。 ぼーっと人を眺めている時、 目についたそれを私はスマホのカメラではなく、 服装、色、髪型、持ち物、歩き方、 すべてを一瞬の間に目で記憶して、 その一瞬を切り取って、絵を描き始める。 思えば私は、一度訪れた場所や道を鮮明に覚えている事が多い気がします。 それもこれも、きっと私のパーソナリティだろうと思う。

          記憶I

          親から口酸っぱく言われ続けた言葉や教訓。 成人してから数年が過ぎたいま、 育ててくれた時期を振り返ると「これだけはよく言われ続けて育ちました。」 なんて教えは私には無かった気がする。 テレビ、雑誌、インタビューなんかを見てると、 親に「これだけはよく言われ続けました。」ってよく聞く。 身内からのそういう言葉って、人生の、 なんか心強い軸みたいな考えみたいな、 それを親から受け継いでいく感じがして。 何故か、それが羨ましかった私。 そんな私が最近ふと、気づいた事。 そ

          布団のシーツを洗濯したあと。

          昔から、 布団のシーツや枕、掛け布団のカバーを 洗濯したあとにいつも思う事があって。 私はちょっと不器用で、 いつもほんのちょっと上手くいかない。 掛け布団のカバーの角と 掛け布団の中身の角を合わせたいとき、 シーツを広げて下との隙間に挟むとき、 枕を枕カバーに入れるとき。 右側に回って、左側に回って、 まくら側、足元側からバランスよく引っ張っては直し、 回っては直し。 普段は感じないけど、 この時ばかりはいつもひょっこりと現れる私の 理想と感情。 あぁ、もうひとり

          布団のシーツを洗濯したあと。