立ちはだかる「ねばならない」
最近noteをまた書き出しました。
今一週間くらい連続して書けているところです。
とまぁ、今の心境を振り返ってみると、「書かねばならない」となっている状況です。
連続して書けているという状態があると、どうしてもそれを維持したい欲というものが出てきます。
でも、それを維持することが目的になって、何でnoteを書き続けようと思ったのかが置いてきぼりになる。
なんで書いていたいかという記事を読み返してみました。
そうでした。
日々いろいろなことを考えて、深めていくことが目的でした。
そしてそのためにまとまってなくてもいいと決めていたのに、書き出してみると、やっぱりある程度まとめたくなっている自分がいます。
15〜30分くらいで書き上げることを目標としているのに、それ以上かかっていて他のやりたいことができていない。これでは本末転倒です。
そして毎日続けるという枷も特につけていなかったのに、無意識に枷をつけていました。
毎日続けるという枷をあえてつけた方が、毎日何かについて考えるという強制力がついて目的を達成しやすくなるとも言えますが、今、「ねばならない」が心の中に出てきていて、これは一番やりたくないことなので、毎日縛りの自分ルールは無しにしようと思います。
この毎日続けたいという達成欲などをうまく利用できる人が何かを成し遂げられる人なのかもしれませんが、「ねばならない」を徹底的に排除することに最近重きをおいているので、この状況はやっぱりどうにかしたい。
でも、毎日縛りをなくすのはいいとして、何で「ねばならない」となっているのか。
そもそも、サラッと書ければ、「ねばならない」にはならない。
分量やまとまってるかどうかはどうでも良いいということに決めて、思考の垂れ流しで行こうとハードルは下げたけども、考え事自体がないとどうしようもない。
日々、何かを考えていたいと思うのであれば、考える種を拾いに行く必要がある。それが十分できているだろうか。
今の自分には普段の生活の中で考え事をするきっかけがそもそも足りていないのだろうと思います。
書き続けていたい、けれども書かねばならないはイヤ
かなり都合の良いことを言っていますが、書き続けていたいという理想は無理なく、苦痛もなく書き続けていることで、それと今の自分には乖離があることは確かなので、この乖離を無理矢理に埋めるのではなく、あまりパワーを使わなくていいように何か考えていけたらと思います。
とりあえずはインプットの種類と量を増やすしくみを考えてみたいと思います。