そんなこんなで始めた note

どうして note を始めたのか

アメブロや Facebook もやってるのに、なんで note を始めたのか?

とりあえず新しい発信の場所が欲しかった。「笑いヨガリーダー」で「魔法の質問カードマスタートレーナー」で「ごきげん隊の隊長」の私を意識しなくていい場所。

今までの場所では言葉を選び過ぎてしまう、そんなのに窮屈を感じたものの、じゃあもっと自由に書けばいいんだけど、いろいろ気になっちゃって勇気が出ない。

はい、自意識過剰のビビリです。

新しい場所でどれだけ自分をさらけ出すことができるのか、さらけ出すことでどんな変化があるのか、そこんとこへの挑戦。

ちょっと勇気を出して、少し前にFacebook に投稿した記事がこちら。

6月14日のFacebook投稿記事

ネガティブな私も、足踏みばかりでぜんぜん進まない私も、最近は愛おしいと思いつつ、どんどん変化して進んでいく仲間達に「あなた達とは違う」って、これが私なんだって、これが可愛いとこなんだって思う反面、どうやったって私にはできないんだって悲しく感じる自分もいた。

自分のことをいろいろ肯定できたつもりだったけど、どんなネガティブなことも、それが唯一無二の私なんだって。
それは確かにそうなんだけど。

いろんなことをこうやってアウトプットしてきて、今の私にとってはこうやって「外に向けて表現していく」ってことが大切なのかなって感じてきた。
私にとっての「自由に表現」するというのは、いろんな表現があると思うけど、まずは良いも悪いも区別せず、自分の感じたことを外に出すこと。それが全部を認めて愛することになるんだろうなと。

自分の中で解決して、一件落着できてから話すのは不公平だと感じてる自分がいる。

モヤモヤして不安になって怖くなってたり、とりあえず悪い方へ考えてしまう性格だったり、そんな自分をさらけ出すのは恥ずかしいと思っている自分に悲しくなる。

自分がうちにも外にも表現すること、言葉にすることで初めて認めたことになるというか。そこにいていいんだよって。だから自分でわかってても外に向けて言えてないことは、自分自身では「あれがあったから」って納得しつつも、外へは黙っておくべき恥ずかしいこと、知られてはいけない欠点としての認識。

確かに、今まで生きてきた中での大半が、今よりもさらにネガティブで心配性で神経質で、そんな私が少し明るい考えが持てるようになったのが嬉しくて、笑いヨガであったり、いろんな学びであったり、素晴らしい仲間であったり、自分との向き合い方であったり、
「私こんなのできるようになったよー」って自慢したかったのかもだけど。(それはそれで可愛い)
そんなんもちょっと落ち着いた今、私のネガティブな面や暗い過去が騒ぎ出してる。「私はダメなの?」って。どうしてみんなに話してくれないの?って。「全部が私なんでしょー」って。

あっ、こんなこと言ってるけど元気なので心配無用です!

そんなこんなで始めた note

とりあえず、今までの私が「出してはいけない」と感じてた部分が、「出してくれー」ってもがいているわけで。

その「出してはいけない」と感じてた私のネガティブな面や暗い過去をまず出さないことには、次に進めないような感覚が数年前からあった。

なんやかんや言い訳つけて、やらなくていいようにしてたけど、魔法使いとして「時雨 innocent 」という名前を教えてもらったあたりから、いいも悪いも明るいも暗いも関係ないんだっていう想いが湧いてきて。

それでも変化への抵抗というか、恐怖というかあって。今までもそんな変化を望む時は何度もあったんだけど、ちょっと頑張っては挫折して、他の事でごまかしてた気がする。

で、今回この note という場所を私に与えてみて、「これならどうだ!出してみろ!」ってことで。ここは私の中でさらけ出していい場所っていう扱いです。



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