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卒業式、自分の時と変わったこと、変わらないこと

 先日、長女の卒業式に参列した。コロナ禍で、出席は親のどちらかとの制限があり、下級生も参加しない式であったが、無事、卒業を迎えることができた。参列しながら、自分の時代の卒業式と変わったこと、変わらないことを考えてみた。

変わらないこと
 正直、ほとんど変わっていない。卒業生入場、校長先生の祝辞、来賓祝辞、生徒全員の卒業証書授与、校歌斉唱、記念品授与、卒業生あいさつ、退場。
 卒業式中、生徒は全員同じ動きをする。個性的なことは一切ない。全員が統一されていて、しっかりしており、子どもがここまでできるのかと感動を覚える一方、これだけ世の中が多様性を求めている中で、いつまで全員同じ行動、動作というのはどうなのかという思いもあった。
 正直、これだけの人数をみんな同じように扱うということに、限界がきているのではないかと思っている。勉強できる子はどんどん飛び級で先に進めばいいし、勉強が苦手な子は、好きなことに集中できる環境を与えてやるなど、みんな同じに扱わなくてもよいのではないか。もっと子どもたちが選択できるようになると良いのではと自分は思っている。

変わったこと
 それでも変わったことはある。学校生活の動画や写真撮影の方法だ。卒業式の後に、学校生活をまとめた動画を見せてもらえた。1年生からの記録写真を集めた動画だ。きっと先生方が編集したのだろう。自分のころはもちろんこんなものはなかったので、なかなか感動した。
 ほかには、式終わりの写真撮影大会だ。スマートフォンでみんな思い思いに撮る。これがフィルムならそうはいかない。撮れる枚数が決まっているからだ。何枚も何枚も、気軽に撮れるというのは、こういう時はいいものだと感じた。

 卒業式という、昔から変わらない式典に参加し、自分の時代に思いをはせ、子どもの成長に感動し、変わらない美しさを感じながら、ここまで変わらないものかといろいろ考えたりし、気持ちがとても揺さぶられた卒業式だった。
 多様性の時代に、子どもたちが生き生きと生活できるよう、今後も子どもたちといろいろな経験をして、勉強していきたいと思う。

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