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#3 機械が好きだった少年時代【竹内義晴の生い立ち】

しごとのみらいの竹内義晴です。今週1週間、いや、1週間に限らないんですけれど、しばらくボクの幼少期から現在に至るまでの生い立ちみたいなものをお話ししていこうかなと思っています。

といいますのも、現在、いろんな活動をしているんですけれども、それぞれの活動の背景にあるものって、突然急にわいてきたものではなく、これまでの経験値の積み重ねで現在があるなと思っていて。過去の背景などをお話しすることによって、「あぁ、だからこういう考え方なのか」とか、あるいは「あぁ、こういうことが好きなのか、あるいは、あの苦手なのか」みたいなことがお話できたらいいかなと思っています。

新潟県の中山間地に生まれる

ボクはいま、50代なんですけれど、生まれはですね、新潟県の、現在でいうところの妙高市というところですね。町村合併で妙高市になったんですけど、市町村合併の前は妙高高原町っていうところです。

いわゆる、新潟の中山間地。観光とかスキーとか、そういったものが有名というか、盛んなところです。地域としては、四季がはっきりしていて、その四季の移ろいみたいなものが、とても美しいところではないかなと思っていて。

個人的にも、住んでいるのでね。「大好きなんです!」みたいな言い方は、あまりしないかもしれません。だけど、日々の暮らしの中で、四季のうつろいを感じたりする。ここに住み続けているのは、何だかんだいって、そういったものが合うんでしょうね。なので、住んでいるんじゃないかなというふうに思います。

子どものころに興味があった3つのこと

ボクの幼少期の話をすると、いまから思えば、興味があるものがいくつかあって。

1つは、機械ですかね? 実はボクの父親は自動車の整備士をやっていて。自動車に限らず、農機具とかを整備する仕事をしているんです。現在形なのは、いまもその仕事してるんですけど。ボクのま生まれ育った家庭は、いわゆる兼業農家で、父は、そういった仕事をしながら、田んぼとか畑とかを作っている家庭に生まれたんですよね。

少し前の、日本の家庭だったら、そういった家庭は多かったじゃないかなと思います。いまも兼業農家です。なので、小さい頃から田んぼとか畑に連れて行かれて、手伝いがてら、農機具って言うんですか? 耕運機とか、田植え機とか、そういうものをよく触らせてくれて、多分、小学校低学年ぐらいのときから、機械を使っていたんじゃないかなと思います。

そういった、「エンジンがついていて、動く」みたいなものを、比較的小さな頃から触れていたこともあって、結構好きだったんですよね。そういうこともあって、中学校に入学し、高校に行く時も、なんとなく工業高校というか、将来の夢はですね、自動車整備士っていうか、

自分で整備するのもしつつ、いま、なんでかわからないんですけど、「自動車整備工場の社長」って言ってたんですよね。なんで社長だったのかはあんまり記憶にないんですけど、幼い頃から、機械とか、メカが好きだったっていうような生い立ちですかね。

いまも、車とか、バイクとか、そういったものが好きなんですけど、それは子どもの頃からの原体験が背景にあります。

勉強の方は、そんなに好きだったわけでもなく、一生懸命頑張ったわけでもなく、そつなくやって、そつない成績みたいな感じでしたかね。必ずしも成績の上位にいる感じではなくて、いつも真ん中辺りにいる感じですかね。そつなく……そういう感じです。

あと、幼少期から中学の思い出といえば、ずっとですね、剣道とか、あとは吹奏楽とかをずっとやっていましたね。剣道をやっていたのは、地域の中に剣道を教える先生がいたので、剣道教室みたいなものに小学校から通っていて。中学校もやって、高校もクラブでちょっとやっていました。ずっと剣道少年でしたね。地域のスポーツクラブみたいにずっと通っていたっていう感じですかね? 段位でいうと初段は持ってるんですけどね。

まあ、この話には全然関係ないんですけど。

あと、吹奏楽も小学校4年生の頃から始めて、トロンボーンという楽器をずっと吹いていてですね。

小学校の時に入っていた音楽の先生が、結構熱心な先生で、小学校の時の吹奏楽部は結構優秀だったんですよ。新潟県に住んでるんですけど、東京の東関東大会だったかな。東京に行って、コンクールに出場できたみたいな感じの学校だったので、吹奏楽も一生懸命やっていました。

高校も吹奏楽部だったんですけど、将来はそういう、音楽の道もアリかな、みたいに、なんとなく思ってはいたけど、現実には行きませんでしたけどね。なので、小・中学校ぐらいはそういったことに興味を持って歩んできました。

人とは違う人生を歩み始める

高校に行くにあたって、ちょっと人とは違う人生を歩んでいるんです。普通だったら、高校は地元の高校に行くって感じだと思いますが、ボクはいまお話しした通り、小さい頃から機械に興味があったので、結論から言うと、当時、神奈川県の横浜市にですね。日産自動車の企業内高校っていうのがあったんですね。

その学校の存在するまでは、地元の高校に行って工業高校に行って、なんとなく「地元で、自動車の整備でもやってるんだろうな」みたいなのが、なんとくの夢で、地元の工業高校に行くつもりだったんですよ。

だけど、たしか中3の夏ぐらいに、学校のどこかで、日産の企業内高校っていうのがあるの知ってですね。で、その瞬間に「ここだ!」って思ってしまって、その学校に「いかにしていくか」みたいなことを考え始めるって感じだったんですよね。

で、ここからの話を話し出すともうちょっと時間が必要そうなので、今日の続きは、また次回、お送りしたいと思います。

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