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圧倒的な量をこなす。2つの視点

圧倒的な量

圧倒的という数量を具体化すると、1000という数字を1つの目安にしてる。1日1個だと約3年かかる。石の上にも三年。毎日3年やり続けていれば大抵のことはどんな人でも上手くなっている。ただ、愚直に続けることが難しい。だいたいは途中で飽きてしまう。

自分からの視点。

毎日3年やり続けていれば大抵のことはどんな人でも上手くなっている。自分がやる圧倒適量をこなす意味は、どんなことでも、続けば3年後にはめちゃくちゃ凄いことになっているだろうと思えること。

他人からの視点。

圧倒的な量があるというのは他人から見ても1つのパワーだと思う。自分がヘッダーに使わせてもらっているダラズさんが好きな理由の一つには圧倒的な量の作品を公開していること。自分の想像を超える量があるからこそ、勝手な解釈でその日の気分にあった画をセレクト出来る。し、作品からインスパイアーされることもしばしば。

圧倒的に思う。(おまけ。)

圧倒的は自分のスキルアップとともに、他人の目を引くということで、一粒で2度美味しい事なのではないだろうか。

終身雇用が崩れた今、就職先は自分のメリット優先で。メリットが無くなったらスキルアップキャリアアップで転職。なんて記事を見かけるけど、圧倒的な事キャリアながなければ、他人からの評価が低いんでは無いかと思う。

自分に照らし合わせてみると。若い自分。環境音楽スタジオで精神、身体がぶっ壊れるぐらいに働いて、1年でギブアップした。その時は、3年ぐらい働いた自負はあったし、知識の増え方もそれぐらいだったと思う。けど、他人からの評価がほとんど無かった。1年しか続かなかった根性無し。こんなところだろう。

そして、レコード会社に再就職したときに3年はどんなことがあっても続けようとそれを最重要目標に、今思えば、3年という数字と1000がリンクしているような。こじつけ。結局5年でやめて、独立。5月末で24周年を迎えることになる。若かりし頃の、誰にも評価されなかった。頑張った1年は自分にとってかけがえの無い財産だけど。人には全然響かない事柄、

逆に、24年会社を維持してることはうわべだけでも評価いただけることが多い。話がずれたけど。圧倒的は2つの面で美味しいのでは無いか。という本日思ったこと。


話がめちゃくちゃだから後日なおすかも・・・

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