ついに、莫高窟へ!(甘粛省⑤)
そもそも莫高窟ってどんなところ?
ついに莫高窟へ到着した。っていうかずっとバッコウクツ、バッコウクツって言ってるけどそもそもどんなところなの?という人もいると思うので簡単な紹介を挟んでおく。
バスを降りて人波について歩いていく。しばらく歩くと改札機のようなところに着き、そこでチケットを見せる。
専属通訳の李さん
チェックをする時に、私が外国人であると分かると、少し待つように促された。どうやら、通訳がいるらしい。ほどなくして、30歳くらいの男性スタッフがやってきた。もうしわけないことに名前を失念してしまった。中国ではそれほど変わった名字ではなかった。李さんだった気がする。
何と、私専属の通訳になってくれるらしい。何というVIP待遇!
話を聞くと、本来は1つの団体につき1人の通訳という配置だったらしい。コロナ禍前は日本からの観光客も多かったのだが、コロナ禍で外国からのツアー観光客が途絶えてしまったとのこと。
李さんは、人の良さそうな青年である。首に付けているのはヘッドホンかと思ったらポータブルエアコンだった。2022年の今でこそ日本のアマゾンでも見るようになったが、2020年の頃である。さすがはブームとか関係なしにいいと思ったものはすぐ取り入れる国、中国である。
それにしても、敦煌の夏は乾燥してとにかく暑い。
莫高窟の敷地内に入ってしまったのだが、中で水は買えるのだろうか、と不安になる。
手持ちの水はペットボトルの半分程度しかない。悪い予感は的中し、一度莫高窟の敷地内に入ったら最後、水を買うことは出来なかった。入る前に水の確保をおすすめする。
莫高窟を見学
肝心の莫高窟を回ったところはどうも記憶が曖昧である。それもそのはず、写真を見返すと莫高窟の中の写真は外観が数枚だけで中の様子を撮っていないことに気付いた。そう、中は撮影禁止だったのだ。
岩の穴の中には、仏像があり、姿や手の向きなどで作られた時代が分かるのだそう。以前にスリランカやミャンマーを旅行した時にも、様々な仏像を見た。きっとこの仏像たちとも関係があるかもしれない。と、その時は思ったものの、李さんに教えてもらった内容を今ではすっかり忘れてしまった。
李さんに案内されるままに見学にしていく。穴のような部屋の入り口には番号が表示されている。観光客が入れる部屋はあらかじめ決まっているようである。
一通り李さんからの案内が終わった。こんな時期に一人の日本人に対応してくれて感謝の思いである。
書きながら、この時代のこういうささいな嬉しさや中国人の優しい一面をもっと伝えていかなければ、と思った。
穴の外は自由に見学できるが、如何せん暑さにやられてしまって、もう歩く気力はない。敷地内を自由に見学できるところもあるが、後ろ髪をひかれる思いもなく、敷地の専用出口から莫高窟をあとにした。
敷地を出ても、柵を隔ててまだ莫高窟とは目と鼻の先である。莫高窟の正面の伽藍はさすがに迫力があった。崖のような岩肌に伽藍が作られている光景を目の当たりにすると、中国の西方まで来た甲斐があったと感じる。正面の伽藍の前で、一人記念撮影を行い、休憩することにした。
敷地を出て、売店を探し、ようやく水分をとることができた。期待はしていなかったが、アイスラテを売っている店もありテンションが上がる。氷が完全に溶けていて少しぬるかったがまぁよしとする。
休憩してからは、敦煌の守り人と言われる常书鸿の生家(記念館になっている)を訪ねた。莫高窟のすぐ近くにある。
この後の旅は、鸣沙山月牙泉、蘭州と続くのだけれど、一度ここで終わりとしたい。
ここまで読んでくださった方へ
実は、この一連の甘粛省の旅行記は、私がまだ中国で教員をしていた時に、「文章を書く仕事がしたい」と思い立って書き溜めたものである。
中国の南の方も少し肌寒くなる11月の朝。
まだ始業前の誰もいない自分の教室で書き始めた。
とにかく、書き始めよう。自分の経験や好きなことから始めよう。
そんな気持ちで書き始めた。
書き始めた時の、心の底から感じた開放感は、今でもうまく言語化できない。
しかし、日々の仕事や休日の家庭の時間を考慮すると、書く時間は中々取れなかった。この文章のほとんどは、始業前の早朝、3分から5分程度の時間をこじ開けて、スマホのフリック入力で100文字くらいずつ書き足していったものである。トータルで8000字程度だろうか。おそらく、全ての旅程を事細かに書いていけば倍以上の文字数と時間がかかるであろう。
とにかく書いてみようと思ったあの時から、現在の方向性は変わってきている。
縁あって、日本に帰国するタイミングで「上阪徹のブックライター塾」を受講することができた。その一連の講座の中で、上阪塾長や編集者の皆様から貴重で厳しい指導講評をいただいた。
その後、自分が中国にいる間に書き溜めていたこの旅行記を読み返した時、この原稿は人に見せられるものではない、と正直感じた。
あったことを時系列に書いているだけ。誰に伝えたいのか定まっていない。
ただの記録のようである。
それでも、書いたところまではnoteに載せようと思った。
日の目を浴びせたかったと言えば大袈裟だが、なぜか愛着があった。
内容そのものはもちろんのこと、この原稿を書いていた時の自分の状況を思い出すために残しておきたかった。
この旅行の続きと、中国の他の出来事は、もう少し自分が書きたいことを整理して原稿を作ってみようと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。