見出し画像

ヴァージニア・リー・バートンの世界

アメリカ絵本の古典、不朽の名作、『いたずら機関車ちゅうちゅう』、『ちいさいおうち』。ヴァージニア・リー・バートンの世界を覗いてみます。



ヴァージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton)とは


Virginia Lee Burton (1909-1968)


生い立ち


1909年、ボストン西部ニュートン・センターに生まれる。幼称ジニー(Jinnee)。母、Lena Dalkeithは英国出身の詩人でアーティスト。父、Alfred E Burtonは30歳年上。フランス旅行の際にLenaと出会う。先妻に死に別れ二人の息子を連れて1906年に結婚。1902年~1921年は、MITの学生問題担当学部長(Dean)を務める。Virginiaには姉(Christine)と弟(Alexander)(1)

Virginiaが8歳の時に家族はサンディエゴに転居。そこでダンスとアートを習う。1925年に父母は離婚。(母リーナは、MITの元学生だった24歳年下のカール・チェリーと同棲するために夫と子供を捨てて去っていった(4))Virginiaは別の家に預けられ高校を卒業し、その後、サンフランシスコの美術学校の奨学金を獲得。バレエのレッスンを受けつつ絵の勉強をする。父はボストンに戻る。VirginiaはCalifornia School of Artsで奨学生となる。通学には長距離通勤列車、フェリーとケーブルカーを使用。(1)

1928年にボストンに戻る。バレリーナを目指しニューヨークで舞台ダンサーとなっていた姉とダンスを学んでいたが、骨折した父の面倒を見ることとなり夢を断念。ボストントランススクリプト新聞社に勤務し新聞に人物のスケッチを描く。1930年にボストン美術館学校の土曜日講習(素描)に参加。美術を学んだ。そこで指導者であった彫刻家George Demetrios(古典的な彫刻を手掛けたとされる)と出会い翌年結婚する。ボストン西部郊外のリンカーンに1年ほど住まい長男を出産。そののち、Georgeが父から遺贈されたアトリエのあるフォリーコーブ(Folly Cove)に移る。その後、次男はボストンに近いグロットンで出産。(1)(2)(5)

出版された処女作『いたずら機関車ちゅうちゅう』は1935年の作品(出版は1937年)。この前に出版をしなかった『Jonnifer Lint』は塵についての物語と。自信作ではあったが出版社は評価しなかった。しかし子供に語り聞かせると興味を示さなかった。子どもは極めて率直な批評家だと知り、それからは自分の子どもに何度も何度も語り聞かせながら、その反応を見て文と絵をブラッシュアップすることとなった。『いたずら機関車ちゅうちゅう』は長男アリスティデス(Aristides)、に語りながら作成された本であり、長男(Aris)に捧げられており、出版された年に次男マイケル(Michael)が生まれている。出版物としての二作目は『マイク・マリガンとスチーム・ショベル(1939)』は次男(Mike)に捧げられている。コールデコット賞を受賞した名作『ちいさいおうち(1942)』は第4作目で、夫(George Demetrios、家の中での呼称はDorgie)に捧げられている。9(1)及びnote筆者。

Virginiaの作品は、無生物(例えば、機関車、ケーブルカー、パワーシャベル、家)を擬人化して子供の興味をそそるファンタジーは大切にしながら、ストリーとしては技術進歩と社会の変容、科学史など事実を語るもの。(ノート筆者)

バートンの信念は、絵本というのは子供に恩着せがましく押し付けるものではなく、豊かな知識欲を十分満足させるべきものだということであった。これは絵本作家の使命なのであり、絵本に大事なのは、明確さ、しっかりとしたディーティル、そして絵の中には想像力とファンタジーが必要であり、文のほうには単純かつ重要な事柄がリズミカルに書かれていなければならないと考えていた。(2)

息子が成長したあと、直接の読者を失ったバートンは絵本に対する情熱を失っていった。しかし、晩年の16年をかけて完成された『せいめいのれきし』(Life Story: The Story of Life on Our Early from Its Beginning Up to Now, 1962)は、古生代から始まって、マサチューセッツのバートンの家で終わる、地球の進化の歴史を描いた壮大な構想の絵本で、この本を子供の頃愛読したおかげで、科学の道を進んだという人も少なくはない。(2) ちなみに、息子のAristidesは抽象芸術の彫刻家。Micaelはビジネスマン。(1)

Burtonは絵本の政策においてデザイン、イラスト、書体、スペースまですべてをデザインしている。絵の前書きをしてからストリーを書きそれを書き直して積み上げていくスタイル。きわめて几帳面に詳細を描いている。(1)

彼女が住んだFolly Coveで、近所の人たちの要望でデザイン教室を始めた。参加した主婦たちは、戦時下で物資の不足する家庭に、手作りの美しいものを、完成したデザインをリノリウム版に彫り、染料で染めてテーブルマットやカーテンを作成した。そこから「フォリーコーブ・デザイナーズ(Folly Cove Designers)」というグループを結成(1941)しビジネスを広げる。機械生産の道は選ばず手作りにこだわった。Virginia自身、34作品を作っている。『ロビンフッドの歌(Song of Robin Hood 1947)』は、このフォリーコーブ・デザインの集大成のような精細なイラストが刺繍のように施されている。

Folly Cove Designersらの制作風景
Virginiaが制作したデザインのひとつ
Song of Robin Hoodから

Virginia Lee Burtonは1968年に肺がんで亡くなっている。

長男、Aristides Burton Demetrious(1932-)は、その後、ハーバード大学に進学の後、カルフォルニアの建築学校に進学し、公共空間でのオブジェの政策などに携わった。数多くの受賞作があり、国連創設50周年記念サンフランシスコ芸術コミッショナー、サンフランシスコMOMAの調達委員会委員、カルフォルニア大学サンタバーバラのArtist in Residenceなど公共サービスにも加わっている。Aristidesとは、古代アテネの政治家の名前。ペルシャ戦争での将軍としての功績で知られる。彼はヘロドトスに「アテネで最も尊敬に値する最高の人物」と評されいる。

Harvard Club of Santa Barbaraに設置されたAristidesの作品

次男、Michael Burton Demetrios(1935-2016)は、ビジネスマンとなり、中国の2つのアミューズメントパークの他に5つの計画のあった米国の会社の社長を務めたが2016年に他界している。

2017年には、Virginiaをテーマとした絵本“Big Machines: The Story of Virginia Lee Burton” , Sherri Duskey Rinker, John Roccoが出版されている。Virgenia(Jinniee)がいかに才能豊かで魅力的な人物であったかを語っている。


作品

『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』Choo Choo (1937) 村岡花子訳、福音館書店

『マイク・マリガンとスチーム・エンジン』Mike Mulligan and His Steam Shovel (1939) 石井桃子訳、童話館出版

『名馬キャリコ』Calico the Wonder Horse, or the Saga of Stewy Stinker (1941); reissued 1997、瀬田貞二訳、岩波書店

『ちいさいおうち』The Little House (1942); コールデコット賞受賞、石井桃子訳、岩波書店

『はたらきもののじょせつしゃ ケイティー』Katy and the Big Snow (1943) 石井桃子訳、福音館書店

『ちいさいケーブルカーのメーベル』Maybelle the Cable Car (1952); 桂宥子・石井桃子訳、ペンギン社

『せいめいのれきしー地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし』Life Story (1962) 2009年に改訂。石井桃子訳、岩波書店

世相

フロンティアの開拓が終わった後、帝国主義の中、米国の目は海外へと向かい、1898年の米西戦争、1899年の米比戦争に勝ち世界に影響力を誇示するようになる。1890年ころからはエネルギーが石炭から石油、電力へと変わる第二次産業革命がおこり、巨万の富を築く。1914-1919年は第一次世界大戦では米国の参戦によりドイツを敗戦に導き米国の国際的な威信が高まる。

1920年代には、戦争から帰還した若者を中心に刹那的な文化が台頭し消費社会に移行する。大都市には高層ビルが建設され電気が普及する。ラジオ・新聞が発達する。大規模ストライキが頻発し労働運動が盛んにおこなわれる。

株式は1929年9月に最高値を付けた後値を下げ始め10月24日の「暗黒の木曜日」を境に大暴落する。これが1930年代の大恐慌へとつながる。

1939年にドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発する。

バートンが過ごしたのは、第二次産業革命による急速な近代化と都市化、そしてそのあとの大恐慌、そして第二次大戦と激動の時代であった。

この時代、アメリカではコミックが広まり子どもたちが夢中になったという。バートンはその質の悪さを気にしており、『名馬キャリコ(Calico the Wonder Horse, 1941)』では、白黒の絵を用いて漫画風のイラストに挑戦している。(2) 

 


いたずら機関車ちゅうちゅう(Choo Choo)(1935)


絵本表紙

あらすじ

客車や貨車を引いて大きい街と小さい町を行き来してきた機関車CHOO CHOO(茶目っ気がある可愛い女の子らしい)が逃げ出し、線路わきの車や人や動物を蹴散らすように走っていく。途中、跳ね橋を超えようとしたとき、補給する石炭と水を乗せた炭水車を落としてしまう。丘に上がって方向に迷い、ずっと使われていなかった線路に入って動けなくなってしまう。CHOO CHOOを運転していた機関士らは、最新型の汽車に乗り込みCHOO CHOOを助けに行く。かれらは森の奥でポツンと寂しく止まっていたCHOO CHOO
を見つけ、最新型の機関車に鎖でつないで街に戻ってくる。CHOO CHOOはもう逃げないと誓う。

本が作られるまで

バートンの作品で出版された最初のもの。CHOO CHOOは当初は男の子の想定だった。当時4歳だった息子Aris(Aristides)にささげると書かれたページには、Arisの周りを何重にも囲んだ線路の上に違う汽車が走り、模型の機関車を走らせながらArisが様々な汽車を想像しているさまが書かれている。

息子のArisに捧げると書かれたページ。残念ながら翻訳本にはこのページがない。

Virginiaと夫Georgeが住んだFolly Coveに近いロックポート駅(Bostonから東北東40kmにある港町の駅)で子どもたちと汽車を見ていたのがすべての始まりとのこと。そこで列車が代わる代わる貨車や貨物を取り換えては行き来するのを毎日見ていたという。(3)

1930年代のRockport駅

墨絵のようなモノトーンの絵で人物や車や動物は簡素に描かれているが、遠近法をうまく使い絵の動きに方向性を持たせ、距離とスピード、動と静、喜び驚きを生き生きと表している。

こだわりの作品

バートンは、テキストの書体、大きさや配置までにも強いこだわりがあり、それが絵としての一体感や表情、動きを作っている。翻訳もそれを意識はしているが、絵としての美しさはどうしても原典に軍配があがる。

原文の1ページ目
翻訳の1ページ目

鐘が鳴り響く感じが放射状に広がる音として描かれている。DING!DONG!のDONGは斜体文字を使っているのは、ベルが、こっち側、あっち側に振れる様を描いているのかもしれない。

絵と文字の視覚的効果

汽笛は上方に音が出ているさまが描かれている。また、強い音の後に抜けたがでるのを文字でWHOOO oo oo ooとあらわしている。

汽笛の音を文字で視覚的にあらわしている

蒸気でブレーキをかける音がs ss ss ssSSSSSSWISHとリアルに描かれている。列車の前方が上向きにあり止まろうとしている動きを感じさせる。

蒸気音と車体の向きを使った止まる動きの表現

大きな街と小さな町の対照性とその間を往復する感じが三角と逆三角で表現されている。Rockport駅を出入りする汽車を眺めたのがこの本を書いたきっかけとの話なので、汽車が行き来したのはRockportとボストンのターミナル駅だったのだろうと思われる。

小さな町の田舎っぽさのモデルはRockportか?

大きなS字の曲線であらわされた田園風景
1930年代のRockport

大きな街のターミナル駅はボストン南駅がモデルか?

大きな街のターミナル駅
1930年代のボストン南駅

CHOO CHOOが逃げ出そうとするシーン。蒸気の音が初めは静かに緩やかに始まる感じが表されている。

逃げ出して疾走するところは直線が使われ、CHOO CHOOから放射状に絵が描かれその勢いが感じ取れる。蒸気のスピードも上がっている。

カーブから遠心力が働くような絵は、さらにCHOO CHOOのスピードが上がっている様を描いている。蒸気の息遣いがさらに短くなりスピードが上がっている。

踏切を通過しようとしていた車が急ブレーキをかけて重なりあっている。この当時、踏切には遮断機がおらず踏切番が交通整理をしていたことがわかる。不意を突かれて踏切で交通を止められなかったという状況を表している。

跳ねている跳ね橋を飛び越えるシーン。このモデルはボストンの跳ね橋だろう。

現行の跳ね橋

CHOO CHOOが迷い込んだ古い線路。絵に直線が使われていない。蒸気が少しずつなくなっていくさまが擬音で表されている。

CHOO CHOOを救うために機関士らが助けをもとめた最新の列車(Streamliner)。当時の最新鋭のディーゼル機関列車をモデルとしている。走る様は直線を使ったパワーとスピード感に溢れた絵となっている。

1930年代のStreamliner(ディーゼル機関列車)

1930年代から50年代は流線型の様々な列車が登場している。子供たちの任期であったに違いない。当時は流線型の蒸気機関車もあった。

新旧、大小、元気と疲労、明暗のコントラストが見事な絵

 最後のページの夜景は、CHOO CHOOのシルエットが美しく空には満点の星が描かれている。果たして大きな街においてこれだけの星空が見れていたのかどうか。


CHOO CHOOとは


「ちゅうちゅう」とはChoo Chooを訳したもの。英語を文字通りに読めばそういう音の読み方になり、Youtubeの朗読でもそのように発音されている。しかし、原文を見ればこれは機関車が蒸気をだして動くときの音、つまり、シュッシュッ ポッポであることがわかる。例えば、ストリーの中頃で「ちゅうちゅう」が逃げ出すときの音は、

原文
CHOO choo choo choo choo choo!
ChOO choo choo choo choo choo!
翻訳
ちゅうちゅう しゅっしゅっしゅっ! 
ちゅうちゅう しゅっしゅっしゅっしゅっ!

ということで、翻訳はこの音がシュッシュッポッポの音であることを意識して後半の音を変えている。また、一行の長さを揃えるためにリズムを犠牲にして初めは「しゅっ」を一つ減らしている。シュッシュッポッポの国なら、

シュッ シュッシュッシュッシュッシュッ!
シュッ シュッシュッシュッシュッシュッ!

と読んだ方が本物らしく蒸気を吐き出す音らしく聞こえて子供には受けることは間違いないだろうし、それが作者の意図ではないだろうか。逃げていくシーンでは、このシュッシュッと、鐘の音Ding Dong(邦訳カンカン)の変化が効果的に使われていて気分の高まりや落ち込みがよくあらわされている。


ディズニー『ダンボ』のCasey Junior


CHOO CHOOでディズニーの名作『ダンボ』に登場する、サーカスの一座を運ぶ機関車Casey Juniorを思い浮かべる人がいるかもしれない。『ダンボ』は1941年の作品であり、CHOO CHOOが出版された1937年よりも後に作成されている。となれば、ディズニーはCHOO CHOOをCasey Juniorのモデルとして使ったのかもしれない。


『ちいさいおうち(The Little House)』(1942)


物語りの初めのページ


第二次世界大戦中、1942年に出版。1943年コールデコット賞受賞作品。邦訳は石井桃子(1965年)2020年に第65刷が発行されているロングセラー。正統派のクラシックな作品となっている。

バートンによれば、この話は、道路に近いところからデイジーとリンゴの木が生えている丘に移した自分たちの小さな家に基いているとのこと。(Wikipedia, US)。ストリーに戦争の影はないが、当時、食料は不足し、庭仕事は楽しみのためではなく必要不可欠のものとなり、豆、トマト、トウモロコシが熟れると、それをビン詰めにする作業が、原稿の締め切り日より優先したという(4)

機関車やスチーム・ショベルを擬人化したのと同じ手法で、バートンは郊外の丘の上に建てられた「ちいさいおうち」を擬人化した。常にページの中心に据えられた田舎の四季折々の風景の中で暮らしていた「ちいさいおうち」は。、都会とはどんなところだろうと考えていた。だが、「おうち」の周囲は次第に開発が進み、道路ができ、家が建ち、鉄道が作られ、やがて摩天楼の立ち並ぶ大都市と変わっていく。高層ビルの谷間で、ぼろぼろになった「おうち」は、田舎の暮らしを思い出し、悲しむようになった。そんなとき、「おうち」を発見したのは、そもそも「おうち」を立てた人の子孫だった。かれらは「おうち」を掘り起こしてトレーラーに乗せ、都会を離れ、また、あらたな田舎の丘の上に据えて修理する。「ちいさいおうち」はこうしてふたたび平和な生活を取り戻す。同じ構図の絵が、ページを繰るごとに変化してさまが、効果的に四季の移り変わりや都市化の進行状況を表し、絵による時間経過の表現に優れた構成である(2)

絵の作り


『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』が、上下左右、遠近、様々な視座から見た姿を動きのある絵にして表現していたのに対して、『ちいさいおうち』は固定された視座から「ちいさいおうち」の周りで起こる変化を定点観測のように描いている。

田舎の風景と都市の風景の対比は、色の対比(空の空色と灰色、建物の彩度の高さと低さ)、曲線と直線(丘の風景と構造物)で表されている。



テキストは絵に合わせ、丘ような曲線的な配置、人工的な対称性のある配置などが行われ、最後は安寧を表す対称形で締めている。

デイジーと街灯が田舎と都会の対照を示しているようにも見える。

New Englandの四季を綴る


『ちいさいおうち』はバートンが持っていた家をモデルとしている。その田園風景はバートンが暮らしたボストン郊外、或いは、ニューイングランドのものと思われる。

リンゴの木が花咲く春
青空に緑が眩しい夏
オレンジ色が一面に広がる紅葉の秋
雪に覆われた冬


文章、音の反復によるリズム、そして石井桃子さんの訳


「ちいさいおうち」は、対称性のあるセンテンスの反復、同じ響きのある音の反復、ところどころで韻を踏んだリズミカルで響きの美しさが聞こえてくる。

特に特徴的に表れているのは、初めの方の春夏秋冬の景色を表しているところ。ここは、それぞれの季節を、①陽の動き、②景色の変化、③子供たちの活動、という順序で描写し、それぞれにも対称性の良いセンテンス、反復する音を使うことで詩的な響きを出している。時系列が逆転しても、この順序を踏襲した「詩」を大事にしている。

石井桃子さんの訳は、直訳ではないが情景に忠実で詩的な雰囲気を醸し出している。その響きの美しさとやさしさも読者を魅了してきたのだろう。できごとはなじみのある時系列で記述しており原文の順序には囚われていない。また、情景が浮かぶように言葉を補うことも行っている。

【春】

Time passed quickly for the Little House as she watched the countryside slowly change with the seasons.  

In the Spring, when the days grew longer and the sun warmer,
she waited for the first robin to return from the South. 
She watched the grass turn green. 
She watched the buds on the trees swell and the apple trees burst into blossom. 
She watched the children playing in the brook.

(直訳)

田舎の景色が季節とともにゆっくり変わるのを見るなかで、ちいさな家にとって時は早く走りすぎていきました。

春になり、日が長くなり太陽が暖かくなると、彼女は、南から戻ってくる最初のコマドリの来訪を待ちわびていました。
彼女は、野原が緑に変わるのを見ていました。
彼女は、木のつぼみが膨らみリンゴの木が一斉に咲くのを見ていました。
彼女は、小川で子供たちが遊ぶのを見ていました。

(石井桃子訳)

ちいさいおうちが あたりを ながめて くらすうち、ときは どんどん たっていって、それと いっしょに まわりの けしきも かわりました。

はるが くると、日は ながくなり あたたかくなります。
みなみの くにから はやく とりたちが かえってくればいいのにと、ちいさいおうちは かんがえました。 
のはらのくさも みどりにかわり、木々の つぼみが だんだん ふくらんできたとおもうと、りんごのはなが いっせいに さきだします。 
おがわでは、こどもたちが あそんで いるのがみえました。

【夏】

In the long Summer days 
she sat in the sun
and watched the tree cover themselves with leaves
   and the white daisies cover the hill.
She watched the garden grow,
and she watched the apples turn red and ripen.
She watched the children swimming in the pool.

(直訳)

夏の長い日に、
彼女は太陽の中に座り、
木々が葉をつけて自らを覆い、白い雛菊が丘を覆うのを見てました。
(庭の)前栽が茂るのを見ていました。
リンゴが赤くなり熟すのを見ていました。
子供たちがプールで泳いでいるのを見ていました。

(石井桃子訳)

なつになると 日がながくなり、
ちいさいおうちの まわりの 木々は、みどりのはで つつまれます。
おかは ひなぎくのはなで、まっしろになります。
はたけの さくもつは そだち、りんごのみは じゅくして、あかく なりはじめます。
こどもたちは、いけでおよぎました。
それを ちいさいおうちは じっとすわって みていました。

【秋】

In the Fall, when the days grew shorter and nights colder,
she watched the first frost turn the leaves to bright yellow and orange and red
She watched the harvest gathered and the apples picked
She watched the children going back to school.

(直訳)

秋になると、日が短くなり夜は寒くなり、
彼女は、最初の霜が木の葉をあざやかな黄色やオレンジ色や赤色に変えるのを見ました。
彼女は、収穫されたものが集められリンゴが摘み取られるのを見ました。
彼女は(夏休みが終わって)子供たちが学校に通うのを見ました。

(石井桃子訳)

あきが くると、なつやすみが すんで、
こどもたちは がっこうに いきはじめます。 
日はみじかくなり、よるはさむくなってきます。しもが おりはじめて、
木のは は、きいろや あかに そまります。
はたけのとりいれがおわると、りんごつみがはじまります。
ちいさいおうちは それを みな おかのうえから じっとみていました。

【冬】

In the Winter, when the nights were long and the days short,
   and the countryside covered with snow,
she watched the children coasting and skating.

Year followed year…
The apple trees grew old and new ones were planted
The children grew up and went to the city…
and now at night the lights of the city seemed brighter and closer.

(直訳)
冬になって、夜がながくなり日は短くなると、
田舎は雪に覆われます
彼女は、子どもたちが そりで滑り スケートで遊ぶのを見てました。

一年のあとにあらたな一年が続き
リンゴの木は歳を取って新しい木が植えられ
子供たちは大きくなって街へ出ていきました
いまは、夜になると街の明かりがより明るく、近くに見えるようでした。

(石井桃子訳)
ふゆがくると、よるはながく、日はみじかくなります。
いえのあたりは ゆきでまっしろになり、
こどもたちは そりにのったり、すけーとをしたりします。

くるとしも、くるとしも・・・
やがてリンゴの木は歳を取り、あたらしいのに うえかえられました。
そして こどもたちも おおきくなって、まちへ でていきました・・・
よるになると、まちのあかりが まえよりもちかく、また、おおきくみえはじめました。
ちいさいおうちは、それを みな じっとみていました。

注:冬の後段の部分は、2ページの後段(下記)を受けている。同じように時が過ぎていくさまを描写しているが、2ページが「静」であるのに、この「冬」が書かれたページでは「変化」が表されている。

Day followed day, each one a little different from the one before…
but the Little House stayed just the same.

(直訳)

一日の後にあらたな一日が続き、
一日一日はずつ違っててはいたけれど、
ちいさいおうちはまったく同じままで留まっていました。

(石井桃子訳)

きょうがすぎると、またつぎの日が きました。
けれど、きのうと きょうとは、いつでも すこしずつ ちがいました・・
ただ ちいさいおうちだけは いつも おんなじでした。


(反復の例)

She watched the sun rise in the morning
and, she watched the sun set in the evening

(韻を踏んだところ)
In the long summer days
she sat in the sun and watched the trees
cover themselves with leaves,

(同じ音の反復)
she sat in the sun
the apples turn red and ripen

(言葉の似た音をしりとりのように使う)
The apple trees grew old
and new ones were planted
The children grew up 
and went away to the city
and now at night
the lights of the city
seemed brighter and closer


このように、文章は、船に揺られるようなゆったりとしたリズムの中にことばの響きが美しく乗せられている。例えて言うなら、島崎藤村の『千曲川旅情の歌』のような味わいではないだろうか。この歌も、ここちよいリズムの中に、美しい色が浮かび、時の流れがあり、『ちいさいおうち』との共通点は少なくない。

小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥(むぎ)の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む


モデルの家と世相


日本語訳には、あとがきとしてVictoriaの長男が書いた『母ジニーのこと』(The Little Houseの75周年記念版に寄稿されたもの。松岡享子編訳)が付けられている。それによれば、家族の「ちいさいおうち」は「ひなぎくがさき、まわりにはリンゴの木もうわっている」丘のてっぺんにあった。そこには、あちこちに音を立てて流れる小川があり、岩登りのできる岩があり、くねくね曲がった小路がある、魔法のような場所だったとのこと。この家がモデルとなったことに間違いない。

絵から想像される都会のモデルはシカゴだろう。ボストンにもトラムと地下鉄はあるが、シカゴほど高層の建物は林立しておらず、また、高架橋を走る列車もない。シカゴにはそのすべてがそろっている。

米国の30年代は、第二次産業革命の最中で、エネルギーはそれまでの石炭による蒸気機関(及び暖房)から、石油(ガソリン、ディーゼル等)、電気へと切り替わり社会が変容する時代。暖房はしばらくは石炭が使わていた。空が灰色になっているのは、そのためだろう。

乗り物は、馬車から自動車、バス、トラムカー、地下鉄へと変化する。移動手段の技術革新により人々の動きもどんどんは早くなっていった時代であろう。

ニューイングランドの木造の小さな家

長男が生まれたコンコルドの街並みは今でも田園風景を残す

都市化のイメージとなったと思われる1930年代のシカゴ

摩天楼が立ち並び始める。
シカゴのトロリー。上は鉄道。
シカゴのトロリー:絵本で描かれたトラムカーはこっちのイメージのようだ


ディズニーが描いた「ちいさいおうち」


ちいさいおうちは、1952年にディズニーが短編アニメ化している。このストリーが米国人に与えるノスタルジーが感じられる。

以下、都市化に晒された「ちいさいおうち」の嘆き。Burtonの原作には書かれていなかった「ちいさいおうち」の「進歩」に取り残された悲哀が表されている。

the little house what a pity still like weren't very nice
the years rolled faster now
and the little house or the dawn of a new century
the temple of life at quicken everything was bigger and better
for this was the age of progress well do tell here
I am completely surrounded by progress
Oh you telling this shut up right not on your saxophone
Shh I say so if only I could go with them
thought the little house, 
but of course she couldn't come what may she had to stand her ground
---
never never be happy again not for this awful empty feelings
this about progress it always progresses well good riddance maybe now
I can have a little peace

そして、再び丘に戻りきれいに修繕されての喜びは

It wasn't the end after all
it the beginning, 
Oh, it took a little time and a lot of fixing,
but all it really mattered was that she found him
all rather they'd found her someone to love and cherish her
someone who knew that
the best place to find peace and happiness is in a little house on a little hill
way out in the country


小説『小さいおうち』


作家、中島京子によるノンフィクション小説。別冊文藝春秋、第278号(2008年11月号)から285号(2010年1月号)に掲載。2010年上半期、第143回の直木賞受賞作品。2014年、山田洋次監督が映画化。バートンの『ちちいさいおうち』との関連はない。


『マイク・マリガンとスチーム・ショベル(Mike Mulligan and His Steam Shovel 1939) 』石井桃子訳


日本では『ちいさいおうち』がもっとも知られた作品だが、米国ではこの作品がもっとも高い人気を得ているという。ちなみに、この作品と『ちいさいおうち』『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』『ちいさいケーブルカーのメーベル』の4作品が収められた本には『マイク・マリガンともっと(Mike Mulligan and More)』というタイトルが付けられている。

作品としては、初出版されたCHOO、CHOO(作品は1935年の作、出版は1937年)に次ぎ2作目(1939年)。次男のマイケルに捧げられている。

スチーム・ショベル(Mary Anne)を操縦するのはMike Mulligan. このMikeは次男(Michael)の名前であり、Mulliganは、当時、スチーム・ショベルの製造会社大手のMarion Steam Shovel CompanyのMarionにヒントを得たものかもしれない。Erie Shovel Companyの方が大きかったようだが、リズミカルにするためにMとMを重ねたのだろう。

マイクに捧げる。少年は次男であろう。

また、少年の興味に応えるためであろうか、物語の終わりの後(日本語訳では裏表紙)には、蒸気ショベルの説明図があり、蒸気ショベルの部位の名前、そして、3つの操縦桿(レバー)でどのような操作を行うのかを図でしめしている。さながら、図鑑のようである。

最後のページに書かれた蒸気ショベルの説明図


あらすじ


マイク・マリガンは、働き者の蒸気ショベルのマリー・アンを大事にし、山を切り開いて鉄道を通し、高速道路を作り、飛行場を作り、高層ビルの地下室と基礎を作っていた。しかし、ガソリンやディーゼル、電気で動くショベルがでてきて仕事失っていく。あるとき、市役所建設の仕事があることを聞きつけて、地下を1日で仕上げて見せると言い、仕事を得る。頑張って穴掘りをする二人の周りに人がたくさん集まる。陽が沈みかける中、頑張って穴掘りを完成させるが、自分の出口を失ってしまう・・・・


時代背景の年表


1796年  Wattらが蒸気ショベルの初号機を制作。

1833年  William Bruntonが別のタイプの蒸気ショベルで特許取得。
     当初はレールの上で動くもの。
1859年  スエズ運河建設。強制労働で多くの作業員が命を落としている。
~1869年 蒸気機関の浚渫(しゅんせつ)機械が使われた。 

スエズ運河の浚渫船。海水を導いた後の泥を浚渫するという工法がとられたようだ

1884年  Marion Steam Shovel CompanyとErie Shovel Company(後の
     Caterpillar)創立。360°回転できる製品が登場する。
     摩天楼建設の基礎作り、鉱山で蒸気ショベルが活躍。
1904年  パナマ運河建設。102台の蒸気ショベル(77台がErie, 残りが 
~1914年     Marion)が使われた。 

パナマ運河建設現場

1908年  T型フォードの製造 
~1927年

T型フォード

1914年  第一次世界大戦
~1918年 このころの飛行機は複葉機。速度はせいぜい時速200km程度。

第一次大戦で使われた飛行機は複葉機だった。

1920年代 高速道路建設で蒸気ショベルが活躍する。
1930年代 安価で簡単なディーゼル・ショベルが席巻する。油圧式ショベル
      がケーブル式の機会を代替する。
      蒸気ショベルは途上国で活躍するようになるが、次第にディーゼ
     ルに置き換わり、スクラップ化される。鉱山の大型ショベルとし 
     て残る。
1935年  サンテグジュペリ サハラ砂漠に不時着

サン・テグジュペリがサハラ砂漠に不時着した時の写真

1939年  『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』出版 
1946年  Marion Steam Shovel CompanyがMarion Power Shovel Company  
     と改称。蒸気ショベルの時代の終わり。
1939年  第二次世界大戦が1939年の英独戦争により始まる。
~1945年 

絵に表される時代背景


蒸気ショベルが活躍したのは19世紀の終わりころから20世紀初頭にかけて。物語においては、蒸気ショベルがどのような場所で使われたかが描かれている。

最初に登場するのは、運河を掘っているところ。1904年~1914年にかけて建設されたパナマ運河では100台を超える蒸気ショベルが大活躍している。蒸気ショベルにとっても最も輝かしい業績の一つだったのであろう。

運河建設の図

鉄道建設は1830年代から始まったが、当初は東海岸の比較的距離の短い区間であり、1850年代以降エリー湖とニューヨークを結ぶ鉄道網(エリー鉄道)、など、長距離路線が建設されるようになる。1870年代以降は、路線距離数が倍々に増える勢いで建造が進んだ。だんだん、丘を切りとおすような線路の施設が増え、蒸気ショベルが活躍したのであろう。

鉄道建設の図

第二次産業革命で石炭から石油の時代となり、モータリゼーションが進むと道路の建設が行われるようになる。1908年にT型フォードの製造が始まる。1926年には国道1号線(メイン州フォート・ケートからフロリダ州マイアミ(後にキ―ウェストに延伸))、ルート66(カリフォルニア州サンタモニカからイリノイ州シカゴ)など。インターステーツ高速道路の建設が始まったのは1950年代だが、このころはすでにディーゼル・ショベル他に置き換わた。

道路建設の図

しかし、20世紀初期は、まだ、石油で走る車は限られていたのだろう。後の方のページでは、馬車、蒸気自動車など、様々な動力の車が登場している。

左ページには蒸気自動車、右には馬車、自動車が描かれている

第一次大戦(1914年-1918年)で複葉機が軍機として登場し、そのころから滑走路の建設が始まったと考えられる。ここでも蒸気ショベルが活躍した。

初期の摩天楼(skyscrapers)の建設は1880年代から始まっており、草分けとなるシカゴのHome Insurance Building(42m)は1885年にオープンしている。エンパイヤ―・ステート・ビルディングは1931年に竣工している。これらの建物の地下室や基礎の建設に蒸気ショベルが使われた。

しかし、1930年代には、小型で使いやすいディーゼル・ショベルや電気・ショベルが出てきたころから、移行が始まり、蒸気ショベルは、鉱山現場の大型のものなどに限られるようになってきた。それに伴い、蒸気ショベルはスクラップにされるようになった。

蒸気ショベルがスクラップ化されたことが描かれた絵

蒸気機関は動力としては、石油、電気に道を譲ったが、安価な燃料であり続けたことから、暖房としては、その後も長く使われている。物語は、最後にMary Anneを、自ら掘って出られなくなった地下室に据えて管理人とし、その蒸気を使うことになる。使用されるエネルギーや動力の変遷を見事に子供が夢中となるような絵本としている。

地下室に据えられたMary Anneからは蒸気用のパイプがかんざしのようにつけらえている

当時の服装が偲ばれるのも興味深い。摩天楼(おそらくニューヨークのイメージ)を掘っているところに集まる女性のスカートは、1920年代のファッションでフラッパーと呼ばれる膝丈のものだが、市庁舎の建設が始まるポッパビルは田舎で、女性は長く膨らんだスカートをはいており、ファッションの流行に地域差があったのだろう。(5)

当時の服装も興味深い

絵の動き、文のリズム


Virginiaの他の作品と同様、この作品には絵に生き生きとした動きがあり、文にはリズムがある。テキストのレイアウトは差し絵とともに全体としての絵を構成している。

リズム

1ページ目の冒頭。2つの強弱のリズム(4つと感じることもできる)を持つセンテンスが反復し、それぞれの後半は二語(ともにsから始まる)を重ねてリズムを付けている。日本語訳ではほのかではあるが強弱のリズムをつけることはできるようなセンテンスで作られている。

(原文)
Mike
Mulligan had a steam shovel,
a beautiful red steam shovel,

(石井桃子訳)
マイク・マリガンは、スチーム・ショベルを もっていました。
きれいな あかい スチーム・ショベルでした。

1ページの後半。同じ文型の繰り返し、sheとhundred men、dayとweekの対比がある。また、全体として5つの強弱でリズムを構成するために構文に変化を持たせている。

(原文)
He always said that she could dig as much in a day 
as a hundred men could dig in a week

普通の文章なら以下のようになるだろうが強弱のリズムがたちにくい。強弱のリズムは日本語訳にはたちにくいが、平易に、また、そのニュアンスを「いばっている」という言葉を補って訳している。

(普通の英語なら)
He always said that she could dig (a hole) in a day as much as a hundred men could do in a week

(直訳)
彼はいつも言っていました。彼女なら、一日で、百人が一週間かかるものを掘ることができるだろうと。

(石井桃子訳)

メアリは 100にんのにんげんが 1しゅうかんかかって ほるくらい、
1にちで ほってしまうと、マイクは いばっていました。

反復(強調の手法)

It was Mike Mulligan and Mary Anne and some others who….から始まる文の反復。who以降(行った仕事)は強い音4語の句で繰り返している。邦訳は、やっていることの意味をより明確に示したうえで倒置した訳にしている。

(原文)
who lowered the hills and straightened the curves
who smooth out the ground and filled in the holes

(直訳)
それは、マイク・マリガンとマリー・アンと ほかの人たちだった
丘を ひくくして(削って) カーブを まっすぐにしたのは
土地(地面)を ならし 穴を 埋めたのは

(石井桃子訳)
じどうしゃの とおり ハイウェイを つくるため、
おかを けずって、
カーブを なくしたのも、
マイクと メアリと、それから
そのとき いっしょに はたらいた ひとたちでした。

勢いをつけるためになんども同じ形を繰り返すところもある。石井桃子訳は、反復部分を浮き立たせいる。また、”came along (一緒にくる)”を歴史的なニュアンスを込めて「はつめいされて」と表している。

(原文)
Then along came
the new gasoline shovels
and the new electric shovels
and the new Diesel motor shovels
and took all the jobs away from the steam shovels

(石井桃子訳)
ところが、そのうち、
しんしきの ガソリン・ショベルや
しんしきの でんき・ショベルや
しんしきの ディーゼル・ショベルが はつめいされて、
スチーム・ショベルの しごとを みんな とりあげてしまいました。

同様の反復が、行き場のないとこに追い込まれる感じを強めている。

(原文)
Everywhere they went
the new gas shovels
and the new electric shovels
and the new Diesel motor shovels
had all the jobs.
No one wanted Mike Mulligan and Mary Anne any more.

(直訳)
彼らがどこに行っても
新式のガソリン・ショベルが
新式の電気ショベルが
新式のディーゼルショベルが
仕事をすべて取っていきました。
だれもマイク・マリガンとマリー・アンを必要とはしませんでした。

(石井桃子訳)
いまは、マイクたちが どこへ いっても、
しんしきの ガソリン・ショベルや、
しんしきの でんき・ショベルや、
しんしきの ディーゼル・ショベルが、
マイクたちの しごとを とってしまっていました。
だれも マイクやメアリを やとおうとは しません。


同じ形の分を反復させて、これまで活躍してきた場面を綴ることで、行き場のなさを切々と訴えっている。ちなみに、マイクとマリーはそれらのどこにおいても必要とされていないと書かれているが、石井桃子は、マイクとマリーを必要としていないのは大きな都市だけのように訳している。訳文の構成の制約を受けたのかもしれないが少し惜しく感じられる。

(原文)
They left the canals
and the railroads and the highways
and the airports and the big cities
where no one wanted any more
and went away out in the country

(直訳)
かれらは 運河から去り
鉄道から去り
高速道路から去り
空港から去り
大きな都市から去りました
どこでも彼らはもう必要とされませんでした。
なので田舎へといきました。

(石井桃子訳)
マイクと メアリは、うんがを わたり
てつどうせんろを こえ、
たくさんの ハイウェイや
ひこうじょうを あとにし、
おおきなまちを とおりぬけて
ずっと いなかへ でていきました。
おおきなまちでは、もうだれも
マイクたちに たのむ ようは ないのです。
 
 
期待感と緊迫感と勢いを感じさせる音のリズムもある。

(原文)
Never had Mike Mulligan and Mary Anne had so many people to watch them;
never had they dug so fast and so well; and
never had the sun seemed to go down so fast.

'Hurry, Mike Mulligan! Hurry!, Hurry!'
shouted the little boy

`There's not much more time!'
Dirt was flying everywhere, and the smoke and steam were so thick
that the people could hardly see anything. But listen!

BING! BANG! CRASH! SLAM!
LOUDER and LOUDER, FASTER and FASTER.

(直訳)
マイク・マリガンとマリー・アンは、これまで、これだけの多くの人たちに見に来たことはありませんでした。
彼らは これまで こんなに速く上手に掘ったことはありませんでした。
太陽が これまで こんなに早く沈もうとしているように感じたことはありませんでした。

「急げ マイク・マリガン! 急げ! 急げ!」
小さな坊やが叫びました。

”もう あまり時間がないよ”

泥がそこら中に飛び散り、煙と蒸気がとても厚かったので、人々はほとんどなにも見えませんでした。

しかし、聞いてごらん!

ビン! バン! カシャン! バタン!
より大きく さらに大きく
より速く さらに速く

(石井桃子訳)

いままで こんなに おおぜいの ひとが、マイクと メアリの しごとを けんぶつしたことは ありません。
こんなに はやく、こんなに じょうずに、マイクたちが はたらいたことも ありません。
そしてまた、こんなに はやく 日が しずみかけたことも ありません。
「いそげ! マイク・マリガン! いそげ! いそげ!」
と、ちいさい おとこのこは さけびました。
「もう、あんまり じかんが ないぞ!」
そこらじゅうに、つちぼこりが もうもうと たちのびり、けうりと じょうきで あたりは みえないくらいでした。
でも、ほら、きこえるでしょう?
どかん! ばたん! かちゃん!
おとは いよいよ おおきく いよいよ はやく なっていきます。

緊迫感と勢いを感じる絵とテキスト


『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃ(Katy and the Big Snow, 1943)』


表紙
ハードカバーの裏表紙 左右対称の美しいデザイン

概要


本の上での架空の都市、KatyはGeoppolis(ジオッポリス)の高速道路部署にある除雪車(夏はブルドーザー)である。Geoppolisのモデルは、Virginia家族が住んでいたFoly CoveがあるGloucesterの市である。中央に配置したテーマとなる絵を、動画の一コマ一コマとなるような小さな絵が補足説明をしており、とても社会教育的な内容になっている。

Gloucesterでは、息子のアリスとともにトラクターの運転台にはいり、実際に動いている機械を観察したという。Virginiaは、「息子よりも私の方が夢中になってしまった」と述べている。また、『ケイティ』を書いている日に、ボストンが雪嵐が吹いたとき、Virginiaはボストンに向かい編集社ホートン・ミフリン社の窓からスケッチをし、また、その冬に新しく登場した除雪機の後をついて町中を歩き回ったという。しかし、新しい機械は、Virginiaの本には登場しない。古くても信頼できる除雪車を主人公として選んだのだろう。

JinneeからJohneeへ

献辞が記されたページは、『いたずらきかんしゃチュウチュウ』から『ケィティ』に至る作品の歴史を表しており、献辞にはJinneeからJohneeへと書かれている。JinneeはVirginiaのことだが、Johneeととは、Gloucesterの道路管理部のJohnのこと。この絵は、後に、出版社のホートン・ミフリン(Houghton Mifflin Company Boston)社が手直しして、Virginiaの本の広告として使っている。


ホートン・ミフリン社が手直しして作った広告
本文1ページ目

Katyとは大きな赤いトラクター(無限軌道トラクター:道がないところにも入っていけるトラクター)。中心に主人公の絵を置き、その周囲を漫画のコマのようなもので囲い、主人公がどういう機械でどう使われるかを説明している。作り方が、後の「せいめいのれきし」を連想させる。『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』『マイク・マリガンとスチームショベル』『ちいさなおうち』、そしてこの後の作品となる『ちいさいケーブルカー・メイベル』とも主人公は女性である。

ちなみに、55馬力。55匹の馬がどのくらいかを5匹の馬の絵を11回書いて表している。ディーゼルエンジン。前進5段階変速、後進2段階変速、同じ地点で回転可能、街中でもいなかでも、ブルドーザとして、雪掻き車として使用できる。

文章は簡潔で歯切れがよい。情景の説明は絵で補うという整理になっているのかもしれない。文型の繰り返しにより、あれも(ブルドーザー)これも(除雪車)できるが強調される。中央の静止画を周囲の小さな動画のようなコマで囲み動きを見せている。紙面の白い部分は雪で覆われた街を示し、除雪によってその部分が現れてくる効果を使っている。

いしいももこ氏に訳は、原文に比べて説明を多く加えている。これは、日本においては、このような形のブルドーザーが道路を修理したり、あるいは、このような除雪車がないことも背景となっているだろう。

本文2-3ページ見開き ブルドーザーと除雪車を中央において360度囲むようにその動きを描写している。

Katy had a bulldoser to push dirt around with.
Katy also had a snow plow to plow snow with.

(仮訳)
ケイティは土を押しのけるブルドーザーを持っていた。
ケイティは雪をかき分ける(除雪する)「鋤」(除雪機)も持っていた。

(いしいももこ訳)
けいてぃーには、いろいろな ぶぶんひんが ついていました。ぶるどーざーをつけると、つちを おしていくことが できました。
じょうせつきを つけると、ゆきを かきのけることが できました。

本文4-5ページ見開き

Katy belonged to the Highway Department of the City of Geoppolis.
The Highway Department repoared the roads in the summer
and kept them clear of snow in the winter
so traffic could run in and out around the city.

(直訳)
ケイティはジオポリス市の高速道路局に所属していました。
高速道路局は、夏に道路を補修し、
冬は雪をどけることで
街に車両が入ったり出ることができるようにしていました。

高速道路部局の仕事内容がわかるように、道路づくり、補修で使われる車両を並べている。中央の絵を習えている。使用されるさまざまな車両は、周囲の一つ一つの絵として紹介している。


本文6-7ページ見開き

高速道路局がかかわる工事現場を鳥瞰図とコマの絵で示している。語りの部分のテキストはなく、図だけの部分となっている。

本文8-9ページ見開き

All summer Katy worked on the road with her bulldoser.
Katy liked to work.
The harder and tougher the job, the better she liked it.
Once when the steamroller fell in the pond Katy pulled it out.
The Highway Department was very proud of her.  The used to say "Nathing can stop her."

(仮訳)
夏の間は、ケイティは道路の上でブルドーザーで仕事をしました。
ケイティは働くことがすきでした。
しごとが大変で難しいほど、彼女は仕事が好きになるのでした。
あるとき、蒸機ロードローラーが池に落ちてしまったとき、ケイティは引き上げました。
高速道路局はケイティが誇りでした。「だれも彼女をとめられないさ」とよく言ったものでした。

(いしいももこやく)
なつじゅう、けいてぃーは ぶるどーざーを
つけて みちを なおします。
けいてぃは、はたらくのが すきでした。
むずかしい ちからのいる しごとが、
あれば あるほど けいてぃーは
よろこびました。
いつか、すちーむろーらーが いけに おちたことが ありました。
けいてぃは、それを ひっぱりだして やりました。
どうろかんりぶの ひとたちは けいてぃを じまんに していました。
「けいてぃーに やれないことは、なんにもないんだ」と、
かんりぶの ひとたちは いつも いっていました。

本文10-11ページ見開き

When winter came they put snow plows on the big trucks and changed Katy's bulldozer for her snow plow. 

(仮訳)
冬になると、大きなトラックに雪掻機をつけ、ケイティのブルドーザーを雪掻機に替えました。

本文10-11ページ見開き

Then early one morning it started to drizzle.
The dizzle turn into rain.
The rain turned into snow.
By noon it was four inches deep.
The Highway Department sent out the truck plows.
By afternoon the snow was ten inches deep
and still coming down.
"Looks like a Big Snow,"
they said at the Higway Department
and sent Katy ont.

(仮訳)
ある早朝のこと、しとしとと雨が降り出しました。
そして、しとしと雨は本降りの雨となりました。
雨は雪に変わりました。
お昼までに、10センチほど積もりました。
高速道路局は、雪掻きを付けたトラックを出動させました。
午後には、積雪は25センチとなり、まだ、降り続いていました。
「これは大雪になりそうだ」
高速道路局では、皆はこう言って、ケイティを出動させました。

本文12-13ページ見開き

A strong wind came up
and drifts began to form…
one foot….
two feet…..
three feet……
five feet….
The snow reached
the first story windows…….
the second story windows……..

and the it stopped.
One by one the truck snow plows broke down…
The roads were blocked///
No traffic could move…..
The schools, the stores, the factories were closed….
The railroad station and airport were snowed in….
The mail couldn't go through…
The Police couldn't protect the city….
The telephone and power lines were down…
There was a break in the water main….
The doctor couldn't get his patient to the hospital…
The Fire Department was helpless…
Everyone and everything was stopped…
But………

(仮訳)
強い風が吹いてきました、、、
そして、吹き溜まりができてきました、、、
25センチ、、、
50センチ、、、
75センチ、、、
125センチ、、、
雪は
一階の窓に達し、、、
二階の窓に達し、、、

そしてやみました。
雪掻きトラックは一台一台と故障してしまい、、、、
道路が通れなくなり、、、、
車が動けなくなりました、、、、
学校と、お店と、工場が閉まり、、、、
鉄道の駅と空港も雪の中となり、、、、
郵便を届けることができなくなり、、、、
警察は街を守ることができなくなり、、、、
電話と電気が止まり、、、、
水道の本管が壊れ、、、、
医者は患者を秒品に運ぶことができなくなり、、、、
消防署はなにもできず、、、、
誰もかも、なにもかも、止まってしまいました、、、、、
しかし、、、、、


本文14-15ページ見開き

KATY
The City of Geoppolis was covered with a thick blanket of snow.

(仮訳)
ケイティ
ジオポリスの街は、厚い雪の毛布で覆われました。

(いしいももこ訳)
けいてぃーは うごいていました。
ジェオポリスの まちは、すっぽり、まっしろい 
ゆきの もうふの したに かくれました。

本文16-17ページ見開き

Slowly and steadily Katy started to plow out the city.
"Help!", called the Chief of Police.
"Help us to get out to protect the city."
"Sure," said Katy.  "Follow me."

(仮訳)
ゆっくりと、着実に、ケイティは、街の除雪を始めました。
「助けてくれ」と、警察署長が救援を求めてきました。
「街を守るため、出動するのを助けてくれ」
「もちろん」とケイティは言いました。「私に着いていらっしゃい」

(いしいももこ訳)
「たのみます!」と、けいさつの しょちょうさんが
いいました。「まちを まもるのです。われわれが
そとに でられるように してください」
「よろしい。わたしに ついていらっしゃい」
と、けいてぃーは いいました。

18-19ページ見開き

So Katy plowed out the center of the city.
"Help," called out the Postmaster.
"Help us get the mail throught."
"Sure," said Katy. "Follow me."

(仮訳)
そこで、ケイティは、街の中央部を除雪しました。
「助けてくれ」と、郵便局長から呼び出しがきました。
「郵便物の配達を助けてくれ」
「もちろん」とケイティは言いました。「私に着いていらっしゃい」

20-21ページ見開き

So Katy plowed down th the Raiway Station.
"Help! Help!" called out the telephone Company 
and the Electric Company.
"The poles are down somewhere in East geoppolis."
"Folow me," said Katy

(仮訳)
そこで、ケイティは、鉄道の駅を除雪しました。
「助けてくれ、助けてくれ」と電話会社と電気会社から呼び出しがきました。
「ジオポリスの東部のどこかで電柱が倒れているんだ」
「私に着いてきなさい」と、ケイティは言いました。

22-23ページ見開き

So Katy pllowed out the roads to East Geoppolis.
"Help!"
called out the Superintendent of the Water Department.
"There's a break in the water main
somewhere in North geoppolis."
"follow me," said Katy

(仮訳)
そこで、ケイティは、ジオポリス東部の道路を除雪しました。
「助けてくれ」
水道局の監督から呼び出しがきました。
「北部ジオポリスのどこかで、水道の本管が壊れている」
「私に着いてきなさい」と、ケイティは言いました。

24-25ページ見開き

and she plowed out the roads to North Geoppolis.
"Help! Emergency!" called out the doctor.
"Help me get this partient to the hospital
way out in West Geoppolis."
"Sure,"  said Katy. "Follow me."

(仮訳)
そこで、ケイティは、ジオポリス北部の道路を除雪しました。
「助けてくれ。緊急事態だ。」と、お医者さんから呼び出しがきました。
「この患者をジオポリス東部の向こうのほうにある病院に運ぶのを助けてくれ。
「私に着いてきなさい」と、ケイティは言いました。

26-27ページ見開き

So Katy plowd out the roads to the hospital.
"Help! Help! Help!" called out the Fire Chief.
"There's a three alarm fire way out in South geoppolis."
"Follow me," said Katy.

(仮訳)
そこで、ケイティは、病院へ向かう道路を除雪しました。
「助けて!助けて!助けてくれ!」と消防署長から呼び出しがきました。
「ジオポリス南部の向こうで大きな火事が起きているんだ」
「私に着いてきなさい」と、ケイティは言いました。

28-29ページ見開き

So Katy plowed out the roads to the fire in South Geoppolis.
On the way back a plane signalled for help.
The airport was snowed in.
Katy was biginning to get a little tired
but she wouldn't stop…
not Katy.

(仮訳)
そこで、ケイティは、ジオポリス南部の火災現場に向かう道路を除雪しました。
帰り道で、飛行機が助けを求めてシグナルを送ってきました。
空港が雪で覆われてしまった。
ケイティは、少し疲れてきていました。
しかし、止まろうとはしません。
ケイティは。

30-31ページ見開き

She hurried over th the airport
and plowed out the runways
so the airplane coud land safely.
Then after she had found the broken down truck plows she started home.
THe Fire Depatment had put out the fire.
The doctor had saved his patient.
The Water Department had repoired the main.
The terephone and electricity were on.
The mail could go throught.
And the Police could protect the city.
Thanks to what Katy did…

(仮訳)
ケイティは、空港へと急ぎ
滑走路を除雪しました。
飛行機が無事に着陸できるように。
それから、故障した除雪トラックを見つけから、帰路につきました。
消防署は、火災を鎮火しました。
お医者さんは、患者を助けました。
水道局は、本管を再開しました。
電話と電気が使えるようになりました。
郵便の配達ができるようになりました。
そして、警察署は街を守ることができました。
ケイティが働いてくれたおかげで、、



32-33ページ見開き
34ページ-35ページは空欄

Katy finished up the side streets
so traffic could move in and out and around the city.
Then she went home to rest.
Then…and only then did Katy stop.

(仮訳)
ケイティは脇道を除雪しました、
街中で、車が行き来できるように。
それから、ケイティは、休むために署に戻りました。
それから、そのときようやく、ケイティは動きを止めたのでした。

『せいめいのれきし(Life Story, 1962)』


Virginiaがニューヨークにある, 映画『Night Museum』の舞台ともなったアメリカ自然史博物館(https://www.amnh.org/)に足掛け8年通い、そこでいろいろな展示をスケッチして制作された80ページに及ぶ大作である。Virginiaが53歳の時に出版されている。

アメリカ自然史博物館


映画「ナイトミュージアム」でおなじみの恐竜の化石
絵本の最後の方のページにある自然史博物館の絵


2009年に内容の一部がアップデートされ、日本語訳の改定は2015年に行われている。アップデートの内容は、惑星の定義から外れた冥王星を外したことなどとのことと。邦訳版では、これに加えて、恐竜の絶滅に関連し、旧版では「博物館で化石のすがたでしか、恐竜に出会うことはありません」で終わっていたところに「鳥類に進化したなかまを除けば」を加えて、最新の科学的知見を反映させたもの。(5)((7)のあとがき)

著者の死後に作品が改定されることは極めて珍しいことだが、著者は、もともと、子どもたちに対して、有用な知識を授けたいという気持ちが強かったとされる。であれば、科学的なファクトについての最新の知識を反映させるために改訂を行うことは、著者の本意に沿ったものであろう。(note筆者)

この作品に関して、邦訳の監修を行った国立博物館分子生物多様性研究資料センター・センター長真鍋真氏は以下のように語っています。「時代の主人公が入れ替わることが、絶滅したい生き物が適応ができなかった失敗作で、淘汰されるのは当然だ、という受け止め方があると思います。今よりも原著が書かれた当時は一層、恐竜は大きすぎて適応力がなく絶滅したのだ、恐竜のようになってはいけない、という反面教師としてまとめられがちだったのではないかと思います。

しかし、バートンさんは、この絵本で、時代の主人公だった三葉虫や今日りゅがいなくなったという事実を語ってはいますが、それ以上のことは語ってはいません。例えば、わたしたちの祖先の哺乳類がいかに賢くふるまったかといった描き方もしていません。そういう論調にならずに、本の中で人間の時代を迎えているのは、さりげないけれど、うまくできていると思います。

そして淡々と事実を述べるだけに終わってもいません。バートンさんは、本を読む子供たちに、これからはあなたたちのじだいなのですよ、と語りかけます。三葉虫や魚や恐竜が主人公の時代から人間の時代になり、さらに今の自分も歴史の中の通過点で会って、次の時代にバトンタッチしていくーー進化を、単に科学的な考えや営みとしてではなく、もっと身近でこころ温まるものとして感じさせてくれます。・・・

じつは、この本の内容は、情報量も多いし、必ずしもやさしくはありません。それを絵のタッチがやさしくかんじさせてくれています。虫や爬虫類が苦手な人もいますが、そういうことを感じさせません

新しい本はいくらでも出てきますが、この本の絵の魅力と命へのあたたかいまなざしのある文章が、学術的な興味へと橋渡ししてくれてるのではないかと思っています。」(6)

この絵本は図鑑のように見えて図鑑ではない。舞台の上で語り手は天文学者、地質学者、古生物学者、歴史家、おあばさん、バージニア・リー・バートンと受け継がれる。第五幕は、生命史からは離れ、この25年間のバートン家族の住まいで起こってきたことであり、春夏秋冬、そして一日の中のできごとをつぶさに観察している。そして、最後のエピローグの一ページで、語り手を読者に渡し自分の物語を作ることを促している。これこそ著者がもっとも発したいメッセージだったのであろう。(note筆者)

Folly Cove Designと『ちいさいおうち』


この作品に描かれている絵は、全編にわたり著者が主催したフォリー・コーヴ・デザイン(Folly Cove Design)が使われている。

Virginia Lee Burton の作品の一つ

フォリー・コーヴとは、著者ら家族が住んだ地であり、著者は、1938年から近所の主婦たちを集めたデザイン教室を始め、1941年にFolly Cove Designersを立ち上げている。きっかけは近所の知人Aino Clarkeと、Ainoが子供たちにヴァイオリンを教える代わりにVirginiaがAinoのデザインの基礎を教えるという約束をしたことだった。Virginiaの教えの場(1938年開始)に近所の主婦が集まるようになり、1940年に展覧会を開催、その翌年にデザインナーグループの立ち上げに繋がった。

身近な風景や動物、植物などをデザイン化し、リノリウム板を掘って染料を置き、テキスタイルに染色するというもの。家庭用のナプキン、洋服、椅子カバーなどの作品は好評をえて米国全土に評判が広まったという。(5) 第5幕は、『ちいいさおうち』がテーマとして使われており、絵の作風はFolly Cove Designとなっている。

Folly Cove Designersは、Virginiaが没した1968年の翌年に解散した。

表紙の図柄はFolly Cove Designにもなっている。
裏表紙の精緻な絵もFolly Cove Designらしい
エピローグの舞台に描かれた銀河もFolly Cove Designらしいもの
第5幕最後の頁は『ちいさいおうち』をテーマとして使いFolly Cove Designで制作した絵。


作品の構成


生命の歴史を、5幕28場の劇場仕立てで綴っている。物語を語るのは、天文学者、地質学者、古生物学者、歴史家、おばあさんと著者へと変わっていく。登場人物は、動物では、三葉虫、頭足類(イカ、タコなど)、ウミサソリ類、魚類、両生類、はちゅう類、恐竜、哺乳類、鳥類、人類、家畜、植物では藻類、コケ類、シダ類、トクサ類、ヒノカズラ類、鱗木類、針葉樹類、ソテツ類、被子植物(花をつける植物)、草、栽培植物。

登場人物と第一幕まで
第二幕から第五幕まで


プロローグ
 

プロローグ第一場 銀河の世界


地球の誕生(46億年前)から先カンブリア時代の終わり(5億4千万年前)まで。銀河系から太陽系、地球と月、地球上の岩(火成岩、変成岩、堆積岩)の登場まで

第1幕

第一幕第一場 藻類、無脊椎動物、三葉虫の時代


古生代(カンブリア紀からベルム紀の終わり(2億5千万年前)まで。)動物が爆発的に数や種類を増やしたカンブリア紀、オウムガイや三葉虫が栄えたオルドビス紀、木質(リグニン)を有した植物が繁り節足動物が現れ生命が地上へと進出したシルル紀、アンモナイト、魚類が登場し、陸上にはシダの大木、原始的な昆虫が現れるデボン紀、シダ植物やトクサが繁り両生類や昆虫が登場した石炭紀、シダに加えてイチョウやソテツが繁り巨大な両生類や爬虫類、哺乳類の祖先が登場するペルム紀まで。

第2幕

第二幕第一場 温暖化の中で爬虫類、初期の恐竜らの登場


中生代(三畳紀から白亜紀の終わり(6600万年前)まで)爬虫類と恐竜が栄え、原始的な哺乳類が登場した三畳紀、恐竜が栄え、翼竜、鳥類、小型の哺乳類が登場したジュラ紀、栄えていた恐竜が大隕石の衝突により滅ぶ白亜紀の終わりまで。

第3幕

第三幕第一場 熱帯樹の生い茂る森。恐竜はほとんど滅びており鳥類と哺乳類の時代へ


新生代(古第三紀及び新第三紀の終わり(260万年前)まで)爬虫類に代わり哺乳類、鳥類が栄えた暁新世・始新世、ヒマラヤ・アルプスで激しい造山運動が始まり哺乳類の進化が進んだ漸新世、ヒマラヤ・アルプスが激しく隆起し活発な火山活動があり、哺乳類が大型化し現代につながる種が登場した中新世、寒冷化が進み第四期の氷河時代に向かい、哺乳類には現在の種に似た姿のものが現れた鮮新世。大陸がほぼ今の形になり、人間の祖先が登場した更新世まで。

第4幕 

第四幕第一場 人間の時代 およそ11,000年前からと記されている

にんげんの時代。
原人が登場しマンモスなどが栄えた有史以前(第四紀)、人間が耕作を始め文明が芽生えた有史以後、アメリカにイギリスからの移住者が渡ったアメリカの初期、農業が盛んにおこなわれたころのアメリカ、西部開拓と都市化が始まったアメリカ(およそ100年前まで)。

第5幕

第五幕第一場 著者が『ちいさないえ』に移り住んでから

現代の人々の生活。およそ25年前から今日まで。『ちいさいおうち』を道路際から丘の上に移築して25年。子供が育って巣立って行ってから、家の周りの四季の移り変わり、日の出から日の入り迄の移り変わり、夜のとばりを綴ったもの。そして、主人公を読者に移すページで締めくくる。

この幕は、いかにもVirginia Lee BurtonらしいFolly Cove Designを感じさせる絵、情景、そして、反復や同じ音の繰り返しを使った美しい文章が綴られている。

最後の頁。主人公はあなた・・


構成と時間軸


地球誕生から46億年の歴史をつづった壮大な物語だが、各幕、各場の時間幅は大きく異なっている。46億年を1年に換算すれば、1か月が4億年、1週間が9300万年、1日が1300万年、1時間が56万年、1分が1万年、1秒が154年となる。この軸で各幕を眺めてみると、

エピローグは、地球誕生(46億年前)から先カンブリア紀の終わり(6.5億年前)までなので、1月1日から11月10日まで。

第1幕は、古生代で、カンブリア紀からペルム紀(2億5100万年前)までなので、11月11日から12月12日まで。パンゲア(超大陸)もこのころ。

第2幕は、中生代で、三畳紀から恐竜が絶滅した白亜紀の終わり(6600万年前)までなので、12月13日から12月26日まで。

第3幕は、新生代第三紀暁新世から第四紀更新世(11,000年前)で、12月27日から12月31日の23時59分まで。アルプス、ヒマラヤができたころ。

第4幕は、新生代第四紀から現代の25年前までなので、12月31日23:59分から23時59分84まで。

第5幕は、23時59分84から24時00分までとなる。

時代背景


【第四幕】

第4幕は、人間の世紀がかかれている。

第1場は左側のリボンでは今から11,000年前となっているが、ラスコーの洞窟画は2万年前の旧石器時代のものと考えられている。

第2場は文明の時代で、古代エジプトからローマ帝国、中世、ルネサンス、大航海時代となり、いまから530年余り前の1491年、のアメリカ大陸発見までを描いている。

第3場は、オリジナルでは、約350年前とされているので1612年ころである。と言えば、清教徒が米国に渡ってきたころであり、最初の移植者は1620年にメイフラワー号でプリマス(ボストンの南東60キロ)に到来したとされる。この年は厳しい寒さに見舞われ、入植者たちの多数が命を落としたとされるが、生き残った者は先住民たちが分け与えてくれた食物で命をつないだとされる。翌年、1621年の秋は豊作となり、それをもって先住民たちを招いて紙に感謝を行ったのが感謝祭(Thanksgiving Day)の起こりとされる。1636年には、現ハーバード大学が設立(正確には、マサチューセッツ湾植民地議会がそのための資金支出を決めた)されている。

第4場は、オリジナルでは、いまから200年前からとなっているので、1776年のアメリカ合衆国が独立したころ以降を意図したものであろう。

第5場は、オリジナルでは、いまからおよそ100年前から25年前となっているので、1860年以降くらい。1861-1865が南北戦争で、1890年ころ、西部へと進んだフロンティアが消滅したと言われる。25年前とは、リー・バートンが夫が遺産として受けたアトリエのある、グロスター(Gloucester:マサチューセッツ州でボストンの東北東60キロに位置し海岸を望む土地で、鉄道のターミナル駅ロックポートがある)に移り住んだ年である。

【第五幕】

この本の第5幕は、この25年間のことを記したものであること、また、この本の出版(1962年)までに足掛け8年の年月がかかっているとのことであることから、1962年から25年前までの年譜を振り返ると、技術革新による大きな社会変化、世界大戦、東西冷戦、宇宙開発競争といった時代背景が浮かび上がる。

1937年  日中戦争勃発(支那事変)
     米国1937年恐慌
1938年  ドイツ帝国、オーストリアを併合、ウラン核分裂発見 
1939年  ドイツ、ポーランド侵攻。第二次世界大戦勃発。
                  日米通商航行条約の破棄
1940年  ディズニー『ファンタジア』
1941年  太平洋大戦勃発
1942年  ミッドウェー海戦
1943年  谷崎潤一郎『細雪』、サン・テグジュペリ『星の王子さま』
1945年  太平洋大戦終戦、東西冷戦、国際連合発足
1947年  トランジスタの発見、
1949年  NATO成立、湯川秀樹ノーベル賞受賞
1950年  チャールズ・M・シュルツ『ピーナッツ』、川端康成『舞姫』
     絵本(ウクライナ)『てぶくろ』 
     朝鮮戦争勃発(~1953年)
1951年  サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印
1952年  映画『風と共に去りぬ』
1953年  DNAのらせん構造発見(ワトソン・クリック)
     英国エリザベスII女王戴冠
     映画『ローマの休日』『東京物語』
1954年  ビキニ環礁水爆実験
     ヘミングウェイ(『武器よさらば』他)ノーベル文学賞受賞
1955年  ワルシャワ条約機構成立
1956年  スエズ戦争
     三島由紀夫『金閣寺』、宮沢賢治『セロ弾きゴーシュ』
1957年  ヨーロッパ経済共同体(EEC)創設、スプートニク1号
1959年  映画『ベンハー』
1960年  ケネディ大統領就任、浩宮さま(現天皇陛下)ご誕生
1961年  ベルリンの壁、ガガーリン宇宙飛行
1962年  キューバミサイル危機
     スタインベック(『怒れる葡萄』他)ノーベル文学賞受賞
     首都高速道路一号線開通

原典と邦訳(石井桃子訳)


原典の英語は、『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』のような生き生きした擬音や、『マイク・マリガンとスチーム・ショベル』のような句を反復さえる感情の起伏はない。『ちいさいおうち』に見られる淡々とした語り口で、一つのセンテンスの中にはところどころに反復、意味の対称形を作り文体のリズムと美しさを醸し出している。フォントは、客観的な語りになじみの良いTimes New Romanを使っている。センテンスは菱形に配列し絵との一体感を作っている。

石井桃子の訳は、原典にかなり忠実であり、文字の配列は原典のイメージを作るべく菱形に配置している。そのために、区説の区切りは原典からは外れている。内容的には、より正確な科学的な知識を織り込むような修正が図られている。

石井桃子がどのような工夫をしているのかがわかるように、直訳を挟んでいる。これはこのノート筆者が、原典に極力忠実で、しかしぎこちなさがでないように訳したものであり、句の折り返しも原典に沿っている。

【事例1】(プロローグ第三場)地球と月

プロローグ第三場

科学的な知識の羅列だが「だれもいなかったのだから本当には知らない」という科学の知識についての分かりやすい説明が親しみを与えている。

(原典:改訂版はオリジナルと同じ)


 Thousands of millions of years ago
 our Earth was a red-hot fiery ball of matter--
surrounded by clouds of dust and swirling gases--
hurtling through space as it traveled around the Sun
at the speed of 1,000 miles a minutes, or 66,000 miles an hour.
There are many and varied theories of how our Moon was born.
Some say it was once a part of our Earth that spun off into space.
Some say it was a separate and small ball of matter,
but nobody really knows because there was nobody there.
Anyway, our Moon circles our earth about once a month,
or, to be exact, every 29 1/2 days.

(直訳)


何十億年も昔、
わたしたちの地球は あかく燃えた火の玉でしたーー
そのまわりを ちりと渦巻くくもで とりかこまれてーー
太陽のまわりを回るのに ものすごい速さで空間のなかをうごき
その速度は一分間に千マイル、つまり、一時間に66千マイルでした。
どうやって 月が誕生したかについては多くの異なった説があります。
ある人は、かつて私たちの地球の一部で宇宙に振り落とされたと言います。
ある人は、それはべつべつの小さな球状の物質だったと言います。
しかし、誰もそこにはいなかったので誰も本当のことは分かりません。
ともかく、私たちの月はおよそ一月に一回、地球のまわりを回ります。
正確に言えば、29日と1/2日でです。 

(石井桃子訳)


46億円前の昔、私たちの地球は、
まっかにもえた火の玉でした。そのまわりを、
もうもうとしたちりと、渦巻くガスが、とりまいていました。
そして、地球は、一分間に1760キロ(※)、一時間に10万5600キロの
はやさで、太陽の周りの空間を、ぐるぐる、まわっていました。
月がどうしてうまれたか、それについては、いくつかの説があります。
ある人は、地球がぐるぐるまわっているまに、一部がはなれて
できたと言います。ある人は、地球に大きないん石が衝突して、
いん石と地球の破片があつまってできたといいます。けれど、
だれも、はっきりはしりません。みていたひとは、いないのです。
それはとにかく、月はほぼ一月に一回、地球のまわりを
ひとめぐりします。せいかくには、29日と1/2日です。

※1670キロの間違いであろう。

【事例2】(第二幕第四場)恐竜の絶滅

第二幕第四場 恐竜の滅亡まで

恐竜の絶滅に関して、石井桃子訳は、科学的な解説を補足している。

(原典)

【オリジナル】

Mountains continued to rise.
The climate grew colder and colder.
The shallow seas retreated, leaving deserts.
One by one members of the ruling family of reptiles
disappeared from the scene, never to be seen on Earth again
except as fossils in museum of natural history.

【改訂版】

Mountains continued to rise.
The climate grew colder and colder.  The shallow seas retreated.
On the very last day of this period, a ten-kilometer-wide meteor hit the earth.
This catastrophic event brought about the extinction of species upon species
of dinosaur, never to be seen on Earth again except as fossils
in museum of natural history.

(直訳)

【オリジナル】

山は隆起を続けました。
気候は、だんだんと寒くなってきました。
浅い海の海岸線は後退し、砂漠を残しました。
地球を支配していた爬虫類のなかまは、一つ一つ、
消えていき、地球上では見ることができなくなりました。
自然史博物館で化石として見れる以外には。

【改訂版】

山は隆起を続けました。
気候は、だんだんと寒くなってきました。浅瀬で海岸線が退きました。
この時代の本当の最後の日に、幅10kmの隕石が地球に衝突しました。
この壊滅的な出来事は、恐竜の種という種の絶滅をもたらし、
地上では見ることができなくなりました。自然史博物館で
化石として見れるもの以外は。

(石井桃子訳(※))

山は、いよいよ高くなっていき、
気候は、さむくなってきました。浅い海は陸になっていきました。
白亜紀の最後の日に、直径約10キロメートルの小天体が、地球にぶつかりました。
この大衝突のあと、地球はさむくなり、恐竜たちは死に絶えました。
鳥類に進化したなかまをのぞけば、博物館で
化石のすがたでしか、恐竜に出会うことはありません。

※翻訳を監修した真鍋真により、科学的な因果関係を補足するような訳にしたものと思われる。

【事例3】(第五幕第一場)25年前から現在へ

25年前からが現在へ

(原典:改訂版もオリジナルと同じ)

Twenty-five summers have passed quickly
since we bought the old orchard, meadow, and woodland
and move a little house and my barn studio into the middle of it.
The old apple trees have been trimmed, the woods cleaned up,
and in the meadow we have put sheep to keep the grass down.
Evergreens and flowering plants have been planted.
Ferns and mosses grow by the running brook.
Here is where we raised our children
until they grew old enough to begin
living a life of their own.

(直訳)

夏が二十五回、とてもはやくとおり過ぎました。
私たちが、古い果樹園と牧草地とまばらに木が生える森を買ってから、
そして、小さな家と自分の納屋のアトリエをその真ん中にいちくしてから。
古いリンゴの木は刈り込まれ、森はきれいにととのえられ、
牧草地には草のたけを抑えるためにひつじを飼いました。
常緑のものと花を咲かせる植物が植えられました。
小川の流のそばにはシダと苔が生えました。
ここで我々は子供たちを育てました。
彼らが十分に大きくなって
独り立ちするまで。

(石井桃子訳)

わたしたちは、このふるい果樹園と草地と森を買い、
ちいさな家とアトリエをうつして、その真ん中にたてました。
そのときから、25年という年月が、あっというまに、すぎていきました。
ふるいリンゴの木の枝は、あととのえてやり、森の下草は、きれいにはい、
草地の草は、いつもみじかくなているように、ヒツジを飼いました。
いつも葉のある常緑樹や、花を咲かせる木もうえました。
ながれのふちには、シダやコケが、おいしげります。
ここで、わたしたちは、子どもをそだてて、
やがて、その子供たちは、大きくなって、
ひとりだちしていきました。


【事例4】(第五幕第二場)夏から秋へ

夏から秋へ


(原典:改訂版はオリジナルと同じ)

The season has changed from summer to fall.
The days are shorter and the nights are longer.
The air is cooler and the first frost nips the plants,
turning the green leaves to bright red, orange, and yellow
before they are caught by the wind and fluttered to the ground.
Only the hardy evergreens are not affected by the cold.
The sap in the greens and shrubs sinks low in the roots--
and the seeds for next year's plants have been shed.
Many birds fly south to escape the winter.

(直訳)


季節は夏から秋に変わりました
昼はみじかくなり、夜はながくなります。
空気が冷たくなって 最初におりた霜が草木を枯らします、
緑の葉を明るい赤色、オレンジ色、そして黄色に変えます、
それらの葉っぱが風で飛ばされて地面に落ちる前に。
丈夫な常緑の草木だけは寒さに影響されずに。
高い木、低い木の樹液が根の中に下がりーー
そして、翌年の草木の種が落とされます。
多くの鳥が冬を逃れて南に飛びます。

(石井桃子訳)

季節は、夏から秋へうつりました。1日ごとに、
昼は、みじかくなり、夜は、ながくなっていきます。
空気は、しだいにひえはじめて、さいしょのしもが、草木に
おりると、緑の葉は、赤や、オレンジや、黄色にそまりました。
そして、やがて、風にふかれると、はらはら、地面にちっていきます。
ただ、丈夫な常緑樹だけが、しもにうたれても、その色をかえません。
大きな木や、かん木の樹液は、根の中にしずんでいって、
つぎの年、もえだす草木のタネは、地面にこぼれました。
さむさのをのがれて、南へとんでいく鳥たちもいます。


【事例5】(第五幕第三場)冬

(原典:改訂版はオリジナルと同じ)


Last winter was a long and a cold one
with freezing temperatures, icy winds, and snowstorms.
When the sun did shine it gave out very little warmth.
Down in the frozen ground, life in the plants slept
beneath a blanket of dead leaves and deep snow--
resting and waiting for the coming of spring.
Little by little the days grew longer.

(直訳)

前の年の冬は、長く冷たいものでした
凍てつく気温、氷のように冷たい風と、吹雪の嵐を伴う。
陽がさすことはあっても、暖かくはなりませんでした。
凍った地面の下で、草木のいのちが眠ってました、
積もった落葉の毛布と深い雪の下でーー
春の到来を休息して待ちながら。
少しずつ日が長くなりました。


(石井桃子訳)

きょ年の冬は、こおるような風や、ひどい
吹雪がつづいた、とくべつにさむく、とくべつにながい冬でした。
たまに、太陽がでてきたとしも、あたたかくはなっりませんでした。
こおった地面のしたでは、植物のなかの命が、かれ葉と
雪の、あついふとんをかぶって、ねむっていましたーー
やがてやってくる春をまちながら、やすんでいたのです。
すこしずつ、日はながくなっていきました。


【事例6】(第五幕第四場)春の到来

春の到来

春の情景が詩的に描かれており、文にも強弱のリズムが感じられる。石井桃子訳は、文字の配列が原典に近い菱形となっている。また、Folly Cove Designそのもののような絵となっている。

(原典)

In the first month of spring
the snow melted and the ground thawed.
Day by day, week by week, the grass grew greener.
Gentle showers encouraged the early spring flowers.
In the trees the sap was rising, swelling the new buds.
Under the ground last year's seeds began to stir and awaken,
pushing tender shoots up through the earth and dead leaves,
reaching up for the light and warmth of the sun.
The birds returned from the south.

(直訳)

春の最初の月に、
雪が解けて地面の氷も解けました。
日一日と、週一週と、草は緑を増しました。
やさしい雨に促されて早春の花が開きました。
木の中では樹液が登ってきてつぼみを膨らませした。
地面の下では昨年の種が動き出して目を覚ましました。
やわらかな芽を大地をくぐってかれ葉の上に押し上げ、
お日さまの光と温かさに届くようにと。
鳥たちは南から戻ってきました。

(石井桃子訳)

やっと春が来て、さいしょの月に、
雪がきえ、こおりついていた地面もとけました。
一日一日、一週間一週間と、草は、緑をこくしていき、
しずかな雨が、はやく咲け咲けと、早春の花をうながします。
樹液は、根もとからのぼってきて、あたらしい芽をふくらませ、
地面のしたでは、去年のタネが、目をさまして、うごきはじめました。
かれ葉や、土をかきわけ、おしのけて、太陽からふりそそぐ熱と光を
もとめて、やわらかい芽を、空にむかってのばすのです。
鳥たちも、南からもどってきました。

【事例7】(第五幕第五場)春の一日

春の一日

(原典:改訂版はオリジナルと同じ)

Yesterday was a day to remember--
one of those beautiful warm spring days
when one could almost see the plants growing.
Lowly little lichens clinging to the rocks brightened,
liverworts and velvety mosses carpeted the camp ground,
fens pushed up and unfurled their delicate fronds,
new bright green needles tipped the evergreens,
buds opened and tiny little leaves unfolded,
and the apple trees burst into blossom.
In the meadow the sheep grazed happily
on the tender new shoots of grass.
the miracle of spring was here.

(直訳)

昨日は記憶に残るよい日でしたーー
美しくあたたかい春らしい日の一日で
草木が育つのを見ることができるようでした。
岩に張り付いた低く小さな苔が鮮やかな色となり、
キャンプ場を葉のような苔やベルベットのような苔が覆い、
ぬま地が押し上げられてせんさいなシダの葉が繁り、
あたらしい明るい緑の針がいつも緑の葉をつつき
つぼみが開き小さくたたまれた小さな葉が開き、
リンゴの木が花をいっぱいに咲かせました。
ぼくそう地ではヒツジがうれしそうに
やわらかな草の新芽をはみました。
そこには春の奇跡がありました。

(石井桃子訳)

きのうは、ほんとにいい日でした。
いかにも春らしい、あたたかく美しい日で、
まるで草木の伸びるのが、目に見えるようでした。
岩にしがみつく、つつましい地衣類も、あざやかに色づいて、
ゼニゴケや、ビロードのようなコケは、しめった地面いちめんを
おおい、シダは頭をもたげ、あたらしい緑のはりがかざられ、
つぼみはほころび、ちいさな葉っぱまで手のひらを
ひろげ、リンゴの木は、いっせいに花をつけました。
また、草地では、ヒツジたちが、やわらかい
草の芽をうれしそうにたべていました。
春の奇跡があらわれたのです。


【事例8】(第五幕第六場)春の午後

(原文:改訂版はオリジナルと同じ)

As the afternoon hours slipped by
and the sun began to sink in the west,
the shadows on the ground gradually lengthened.
Just before the sun set it turned fiery red,
tinting the sky and the earth bright pink.
High overhead a pale new moon appeared.
By the brook the frogs were singing
their song of spring.

(直訳)

午後のときが過ぎるしたがい
お日さまは西へとしずみはじめ、
地上に映る影は徐々に長くなりました。
日没の少し前に、太陽は燃えるように赤くなり、
空と地上をあかるいピンク色に染めました。
空の高いところでは白っぽい新月が現れました。
小川のそばでカエルたちが歌っていました、
かれらの春のうたを。

(石井桃子訳)

午後の時間が、だんだんにたっていって、
太陽が、西の山にしずみはじめると、
地面にうつるかげは、しだいに長く伸びていきました。
太陽は、しずむ、そのちょっとまえに、まっかに
もえて、空や地を、あかるいピンクにそめました。
そらのずっと高くには、あわい新月が現れて、
川のほとりでは、カエルたちが、
春の歌をうたっていました。


【事例9】(第五幕第七場)夜


(原典:改訂版はオリジナルと同じ)

The new moon had set
and darkness has fallen.
One by one the stars had come  out--
millions and billions of stars, trillions of miles away.
The Big Dipper hung high in the bright spring sky,
pointing out the steady-standing North Star.
Low on the horizon gleamed the Milky Way,
Inside the house, the hands of the clock
showed that another day had passed
and a new day had began.

(直訳:改訂版はオリジナルと同じ)

新月が沈み
暗いやみがおりてきました。
星がひとつずつあらわれましたーー
何百万も何十億もの星、何兆マイルもの彼方から。
北斗七星があかるい春のそらたかくにかかり、
いつもうごかない北極星を指していました。
地平線の低くに天の川がうっすらと光り、
家の中では、時計の針が手のように
一日が過ぎて、あらたな日が
始まったと告げました。

(石井桃子訳)

新月がしずんでいったあと、
あたりは、くらくなりました。
ひとつひとつ、星が、かがやきはじめました。
何兆キロもとおくはなれた、何億、何十億という星のむれです。
北斗七星は、あかるい春の空に高くかかっていて、
いつもじっと動かないでいる、北極星の方向をさししめします。
地平線の近くには、天の川が、かがやいていました。
家の中では、時計のはりがまわって、また、
1日がおわり、あたらしい日がはじまった
ということをしらせています。

【事例10】(第五幕第八場)夜明け

夜明け

(原典:改訂版はオリジナルと同じ)

And now it is dawn--
dawn of a new day, a day in the spring.
Minute by minute the light brightens in the east,
turning from cold gray to deep blue to delicate pink.
The birds are singing gaily as they await the return of the sun.
Down in the green meadow there is a new  baby lamb.
Now I leave you and turn the story over to you.
Look out your window and in a few seconds,
you will see the sun rise.


(直訳)

そしていまは夜明けーー
新しい一日の夜明け、春の一日の。
一分一分と東の空のあかりがあかるくなり
冷たい灰色から群青色、そして繊細なピンク色へと変わり。
鳥たちは太陽がもどってくるのを待ってにぎやかに鳴きだし
先の緑の牧草地には新しく生まれたヒツジがいます。
さあ、お話はあなたにおわたしましょう。
窓のそとをごらんなさい。数秒のうちに、
日の出を見ることができるでしょう。

(石井桃子訳)

そして、いまは夜明けーー
新しい日、春のある一日の夜明けです。
1分ごとに、東の空があかるくなり、光は、灰色から、
深い青に、そしてまた、あわいピンク色にかわってきました。
太陽がもどってきたのをよろこんで、鳥たちは、にぎやかにうたいます。
すぐそこの緑の草地には、うまれたばかりの子ひつじがいます。
さあこれで、私のはなしは、おわります。こんどは
あなたがはなすばんです。窓のそとをごらんなさい。
じきに、太陽が、のぼります。

【事例11】エピローグ

エピローグ

(原典:改訂版はオリジナルと同じ)

And now it is your Life Story
and it is you who plays the leading role.
The stage is set, the timing is now, and the place wherever you are.
Each passing second is a new link in the endless chain of Time.
The drama of Life is a continuous story--ever new,
ever changing, and ever wonderous to behold.

(直訳)

さあ、このどはあなたのお話で
あなたが、主人公をつとめるのです。
舞台準備はできてて、いまからなのです、あなたのいるところで。
過ぎゆく一秒一秒が、果てしない時の鎖にあらたな輪をつけます。
生命のドラマは、はてしなく続くのですーーいつもあたらしく、
いつも変化し、その素晴らしさにいつも驚かされます。

(石井桃子訳)


さあ、このあとは、あなたの
おはなしです。主人公は、あなたです。
ぶたいのよういは、できました。時は、いま。
場所は、あなたのいるところ。今すぎていく1秒1秒が、
はてしない時のくさりの、あたらしいわです。
いきものの演じる劇は、たえることなくつづきーー
いつもあたらしく、いつもうつりかわって、
わたしたちをおどろかせます。


オリジナルと改訂版の違い


この作品は、1962年に出版され、バートンの死後、2009年に改訂されている。その内容は、その間に蓄積された科学的な知見による修正や、社会的な価値観の変化にともなうジェンダーやマイノリティーへの配慮などである。なお、邦訳版は、2009年の改訂版を基にしつつ、これをさらに、国立科学博物館の真鍋真氏が監修して科学的な修正を加えている。このようにして、内容が古くならずに本が伝承されているが、この改訂の過程で、バートンの作品にある詩的な響き、リズムは若干損なわれているところは仕方のないところか。幕場ごとの違いを以下に紹介する。訳は、断りがない限りノート筆者が極力忠実に意味を訳しだしたものであって邦訳版ではない。

【目次】

全体的に、単語を大文字から始めるよう統一し、第1幕第6場は、「ペルム紀の砂漠(Permian deserts)」から「ペルム紀の気候(Permian Climate)」に、第3幕第1場は、「始新世の森(Eocene Forests)」から「暁新世と始新世の森(Paleocene and Eocene Forests)」に、第3幕第4場は、「鮮新世の山々(Pliocene mountains)から「鮮新世(Pliocene)」に、第4幕以降の「人(Man)」を「人(humans)」に改訂している。

【プロローグ第1場、第3場】

改訂はない。

【プロローグ第2場】

左側の惑星の絵の中で、一番下の右手にあった冥王星の絵が消され、本文では「9つの惑星」が「8つの惑星」に改められてる。これは、2006年に国際天文学連合が冥王星を惑星から外して小惑星としたことを反映している。惑星の直径も変更がある。水星、金星は判明できないが、火星は4215マイルが4222マイルに、木星は88,700マイルが88,846マイルに、土星は75,000マイルで変化なく、天王星30,900マイルが31,000マイルに、海王星は32,900マイルが30,800マイルに変更されている。

【プロローグ第4場】

前カンブリア紀無生物時代(Pre-Cambrian Azoic Era,、30億年前~20億年前)が冥王代(Hadean Eon、45億年前~40億年前)と変えられている。最初の生命は40億年前頃には出現したことが発見されたことが反映されている。

【プロローグ第5場】

前カンブリア紀始生代(Pre-Cambrian Archeozoic Era、20億年前~12億年前)が太古代(Archean Eon、40億年前~25億年前)に変えられている。「地殻の収縮と褶曲が起こり山や谷、深い海底が出来た」と書かれていたが、「地球内部の熱により地殻が動き、山や谷、深い谷ができた」と改められている。「この時代に生命が居たかもしれないが記録がありません」という結語は改訂版でも残されているが、改訂版の邦訳は、「生物は、もうあらわれていたといわれていますが、そのかたちまでは、わかりません」とより正確な表現としている。

【プロローグ第6場】

前カンブリア紀原生代(Pre-Cambrian Proteozoic Era 12億年前~5.5億年前)が原生代(Proteozoic Era, 25億年前~5.4億年前)(邦訳は25億年前から5.41億年前)に改められている。堆積岩(Sedimentary Rock)は、現在の学術名の表記に従いsedimentary rockと小文字から始まる単語に改められている。「生命が居たと信じられているが、現在において、その記録はない、或いは、ほとんどない」との結語は、「この時代に生命が存在し化石の中の小さな細胞として、地表を覆う微生物の化学的な名残(signature)として記録されている」と書き改められている。邦訳はいずれも「化石」としているので、英語でいう「化石」は生物の身体を、日本語では生命の痕跡を示す「化学生成物」までを含む概念として使っているのであろう。

【第1幕第1場】

いずれも「古生代カンブリア紀(paleozoic era Cambrian Period)」だが、期間は5.5億年前~4.45億年前が5.43億年前~4.9億年前(邦訳は5.41億年前~4.85億年前)に改められている。テキストには変化はない。

【第1幕第2場】

いずれも「古生代オルドビス紀(paleozoic era Ordovician Period)」だが、期間は4.45億年前~3.75億年前が4.9億年前~4.44億年前(邦訳は4.85億年前~4.43億年前)に改められている。「三葉虫の統治(rule)は終わった」との記述は、「三葉虫はまだ居たが統治は終わった」に改められている。改訂版には「カンブリアの海を泳ぎまわった魚はより豊富になった」との記述が加えられている。「陸上には後に植物となった地衣類以外に生命はいなかった」の記述は、「陸上には地衣類と苔のような生命が居りのちの植物となった」に改められている。

【第1幕第3場】

いずれも「古生代シリル紀(paleozoic era Silurian Period)」だが、期間は3.75億年前~3.5億年前が、4.44億年前~4.16億年前(邦訳は4.43億年前~4.19億年前)に改められている。「高く乾燥したところに残された若干の水生植物が地上の植物(苔類と蘚類の祖先)となった」のセンテンスの()以外はまるまる削除されている。そして、「苔類と蘚類に初期のシダ類の祖先と種子植物が加わり大陸を覆った」と改められている。最初の脊椎動物となった「あごのない小さな魚が現れた」がの記述の「」部分が、「多くの魚類が現れた」に改められている。

【第1幕第4場】

いずれも「古生代デボン紀(paleozoic era, Devonian Period)」だが、期間は3.5億年前~3.15億年前が、4.16億年前~3.59億年前(邦訳は4.19億年前~3.59億年前)に改められている。改訂版には「無脊椎動物(invertebrates)の長い時代が終わった」という一文は削除され、最後に「この時代の終わりに最初の陸上無脊椎動物が現れた」が加えられている。

【第1幕第5場】

いずれも「古生代石炭紀(paleozoic era, Carboniferous Period)」だが、期間は3.15億年前~2.35億年前が3.59億年前~2.99億年前(邦訳も同)に改められている。「陸地は低く気候は温暖で多湿だった」が「一部では氷河が残り氷河時代であったが多くの部分では陸地は低く気候は温暖で多湿だった」と改められている。

【第1幕第6場】

いずれも「古生代ペルム紀(paleozoic era, Permian Period)」だが、期間は、2.35億年前~2億年前が2.99億年前~2.52億年前(邦訳も同)に改められている。「山は高く隆起し気候は寒冷になり乾燥した」は、「山と火山は高く隆起し北米と欧州の気候は乾燥した」と改められている。「氷河が形成され湿地は砂漠になった。地球の歴史における危機の時だった。」は削除されている。その上で、最後に、「この世紀の最後に地球の歴史上の危機が訪れた。おそらくは過剰な火山噴火により大量の絶滅が起こった」と加えられている。邦訳では、「火山の活動が活発になりました。そのせいで、太陽の光と熱が遮られ、地球全体がさむくなり、大量絶滅がおこったのです」と、より詳しく説明している。

【第2場第1幕】

いずれも「中生代三畳紀(mesozoic era Triassic Period)」だが、期間は、2億年前~1.68億年前が2.52億年前~2億年前(邦訳も同)に改められている。「爬虫類の仲間である恐竜が登場した」に「初期の哺乳動物と」が加えられている。

【第2幕第2場】

いずれも「中生代ジュラ紀(mesozoic era Jurassic Period)」だが、期間は、1.68億年前~1.3億年前が2億年前から1.45億年前(邦訳も同)に改められている。本文は改定されていない。本文で「爬虫類のいくつかは飛ぶことを覚えた。最初の鳥類が現れた」の部分を、邦訳では「恐竜のなかから、空をとべるようになったものがでてきて、最初の鳥類が登場しました」と説明されている。

【第2幕第3場】

いずれも「中生代前期白亜紀(mesozoic era Lower Cretaceous Period)」だが、期間は、1.3億年前~9500万年前が1.45億年前~1億年前(邦訳では白亜紀に前期後期の区別をつけていないため、ここでは終わりが記されていないに改められている。「気候が寒冷になった」が付け加えられている。

【第2幕第4場】

いずれも「中生代後期白亜紀(mesozoic era Upper Cretaceous Period)」だが、期間は9500万年前~6000万年前が1億年前~6500万年前(邦訳は前述のように前の場から続きといちづけられていて、終わりが6600万年前となっている)に改められている。「浅い海の海岸線が退いた」の後にあった「砂漠を残して」は削除されているがテキストの配列のせいかもしれない。「恐竜たちが一つ一ついなくなった」は、「この時代の最後の日に、幅十キロメートルの隕石が落ちた。この壊滅的な事象は種という種の恐竜の絶滅を導いた」に変えられている(つまり、オリジナルは隕石に触れていない)。左ページのリボンの初めに、前のページにあったカメ(アーケロン Archelon)が加えられている。しかし、邦訳は、カメは再び前のページに戻されている(新発見!)。邦訳では、「博物館で化石のすがたでしか、恐竜にであうことはありません」の前に「鳥類に進化したなかまをのぞけば」が付け加えられている。

【第3幕第1場】

「新生代第三紀(cenozoic era Tertiary Period)」が「新生代古第三紀暁新世と始新世(cenozoic era Paleogene Period and Eocene Epoch)」に、期間は、6000万年前~4000万年前が6500万年前~3400万年前(邦訳では6600万年前~3400万年前)に改められている。「高地だったところは低くなった」の記述は削除されている。高温多湿となった時代で海水面が上がったが高地が低くなったとの記述は必ずしも正確ではないという判断かもしれない。リボン上最も上にある動物の名称がエオヒップス(Eohippus、馬科の最古の祖先)からヒラコテリウム(Hyracotherium, Eophippusは別名)と変えられているが、邦訳ではシンディオケラス(Syndyoceras,ラクダの姉妹類)に変えられている。また、二番目の動物は、英語ではオリジナル、改訂版ともディアトリマ(Diatryma)(邦訳版は優位な学説に基づきガストルニス(Gastornis))となっている。一番下の動物はゼオグロドン(Zeuglodon, 原始的なクジラ)が一般的な名称であるバシロサウルス(Basilosaurus)に変えられている。

【第3幕第2場】

「新生代第四紀(cenozoic era Tertiary Period)」が「新生代古第三紀漸新世(cenozoic era paleogene period, oligocene epoch)」に、期間が4000万年前~3000万年前から3400万年前~2300万年前(邦訳も同)に改められている。アルプス・ヒマラヤで激しい造山運動がおこった時期だが「火山が噴火を始め山が隆起を始めた」は削除されている。山地の隆起と火山の噴火はこの時代に限るものではないとの見方によるものだろう。

【第3幕第3場】

「新生代第四紀中新世(cenozoic era Tertiary Period Miocene Epoch)」が「新生代新第三紀中新世(cenozoic era Neogene Period Miocene Epoch)」に、期間が、3000万年前~1200万年前が2300万年前~500万年前(邦訳は2300万年前~530年前)に改められている。「山は隆起を続け火山は噴火を続けた」は削除されている。

【第3幕第4場】

「新生代第四紀鮮新世(cenozoic era Tertiary Period Pliocene Epoch)」が「新世紀新第三紀鮮新世(cenozpic era Neogene Period Pliocene Epoch)」に、期間が、1200万年前~100万年前が、500万年前~180万年前(邦訳は530万年前~260万年前)に改められている。なお、さらにその後の分類の変化により、邦訳では、530万年前~260万年前に改められている。文はほぼ全面的に改定され、「火山と造山活動がクライマックスを迎えた。気候は極めて冷たく乾いた。植物にとっても動物にとっても生存は厳しかった。草は乾き草原は砂漠に変わった。初期の哺乳動物は絶滅した。現在の哺乳類に近いものが生き残った。」は「北米の気候は涼しくなりはじめ、北半球の部分では大きな氷河が形成された。しかし、北米と欧州の大部分の気候は、まだ、けっこう暖かく、哺乳類は現在のものに近くなった」と改められている。

【第3幕第5場】

「新生代第四紀更新世(cenozoic era Quaternary Period Pleistocene Epoch)」は変わらないが、期間は、100万年前~2.5万年前が、180万年前~1.1万年前(邦訳は260万年前~1.1万年前)に改められている。「氷河の発達と後退が4回あった」が「氷河の発達と融解、後退は何回も起きた」に改められている。「この時期、多分、ヒトは居た」は「この地金に人は居た」に改められている。邦訳では、冒頭の「北アメリカの気候が寒くなりはじめ」と「北米及び欧州の大部分の気候はまだ温暖だった」が省かれている。

【第4幕第1場】

「新生代第四紀完新世(cenozoic era Quaternary Period Recent Epoch)」は同じで、期間は、2.5万年前~1万年前が、1.1万年前~(終わりを示していない。邦訳も同)に改められている。人を意味する「men」は、この場以降「human」に、その三人称は「he」から「they」に改められている以外、文は同じ。

【第4幕第2場】

期間は、1万年前~350年前が、1.1万年前から400年前(邦訳は前場との連続をより意識して始期を記していない)と改められ、第1場の期間と重なることを意味している。文は同じ。

【第4幕第3場】

期間は、350年前~200年前が、400年前から200年前(邦訳も同)に改められている。「初期の開拓者たちの生活は楽ではなかった」に続く最後の「しかし、気にしなかったーーいま、初めて、自分自身の土地で働いていた」が削除されている。先住民への配慮であろう。

【第4幕第4~第5幕第8場】

Men→humani以外、改定内容はない。

【エピローグ】

リボンのところで、「第四紀(Quarternary Period」)の後が、学術用語の変更を反映して「完新世(Recent Epoch)」から「完新世(Holocene Epoch)」に改められている。また、「人間の時代(Age of Man)」は「人間の時代(Age of Human)」に改められている。


5月6日午前5時33分の謎解き?


エピローグのページに描かれたリボンには、おしまいの方に5月6日午前5時33分とある。この本は1962年に出版されているが、Virginia Lee Burtonが出身地GloucesterのMonell家に寄贈した本に5月26日と記されている。おそらく出版して間もなく贈呈したのであろうから、5月6日とは出版日だったのかもしれない。1962年のGloucesterにおける日の出は5時31分とのことである。であれば、5時33分は、太陽の下の端までが地平線(水平線)に表れた時刻だったであろう。


出典


(1) "Virginia Lee Burton" Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Virginia_Lee_Burton
(2)
桂宥子『はじめて学ぶ英米絵本史』(2011)ミネルヴァ書房
(3) "Choo Choo" The Story of a Little Engine Who Ran Away by Virginia Lee Burton, Sandpiper Houghton Mifflin Books 裏表紙から
(4) 「ヴァージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』の作者の素顔」美谷島いく子、『幼児の教育』巻105(8)、16-19, 2006-08
(5) 『ヴァージニア・リー・バートンの世界(2018)』ギャラリー・エークワッド編、小学館
(6) 『深読み!絵本『せいめいのれきし』』、真鍋真(2017)、岩波書店
(7) 『せいめいのれきし改訂版ー地球上に生命がうまれたときからいままでのおはなし』、バージニア・リー・バートン文・絵、いしいももこ訳、まなべまこと監修


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?