太宰治作「葉桜と魔笛」
はじめに
短編で、太宰治の作風がよく出ていると高く評される作品「葉桜と魔笛」。
老婦人の回想という形で、若くして青春を謳歌することができずに亡くなった妹の話を綴りながら、軍靴の音が聞こえる時代ながらも青春を思う若い女性の心理と、自らも恋愛の経験がなかった姉が妹を思って描いた美しく切ない青春のストリー。ザ・太宰ワールドという感があります。
作品の解説、考察はWebでもいろいろと見つかりますので、若干のファクトだけ添えたいと思います。
物語から読み取れる事実関係
(年齢)
回想として物語を語る老婦人の年齢は55歳と推察されます。それは、この物語が今から35年前のことを回想しており、その7年前、つまり42年前母親が亡くなっており、その時は語りては13歳だったからです。
語り手は18歳のときに、父と島根の城下町に移ってきたと言っています。島根の城下町に移ってから2年目の春、語り手が20歳のときに妹が18で死んでいます。語り手は、6年目に松江に移りそこで結婚したのが24歳のときと言っていますので、松江に移って比較的短期間に結婚したことになります。
(腎臓結核)
結核菌は通常は肺に影響を及ぼしますが、血液を通じて他の臓器に広がることがあり、その一つとして腎臓結核があります。初期症状がでにくいとされます。適切な治療が適切なタイミングで行われれば致死率は非常に低く、現在では1%以下とされていますが、治療が遅れたりした場合はこの限りではありません。この物語は1905年の話ですので、当時の医療の限界が話の背景にあります。
(日本海海戦)
物語では日本海海戦の大砲の音が聞こえてきます。日本海海戦は1905年5月27日、日本帝国海軍が対馬沖でバルチック艦隊に壊滅的な迎撃を行った戦争です。島野の城下町がどこかは不明ですが、島根県最西端に近いところであれば益田市の可能性が高いでしょう。すると海戦が行われた現場からは200km程度は離れています。この距離では、大気中での音の伝播では大きな大砲の音もひそひそ話程度に聴こえるかどうかとなりますが、重低音は海水や地面を介して遠くまで伝わることがあります。その場合は、音というよりはズーンと体で感じる響きのようなものとなるでしょう。「十万億土から響いて来るように幽かな、けれども、恐ろしく幅のひろいまるで地獄の底で大きな大きな太鼓でもうちならしているようなおどろおどろした物音」とは、そのような音をあらわしたものなのでしょう。
(物欲)
語り手の老婦人は、「年をとってくると物欲が起こり、信仰も薄らいでまいっていけないと存じます」と語ります。年をとると物欲がなくなると聞くっことが多いので、物欲と年齢の関係はどうなっているのだろう気になります。調べると、60歳以上の高齢期に入ると物欲は減退するとの見方が主流のようですが、個人の違いが大きいのだろうと思います。また、「物欲」として求めるものは、年齢や暮らす環境の影響を受けて、ブランドだったりコスパの良い実用的なものだったり、質を重視するものだったりと変遷するようです。いずれにせよ、「年をとってくると物欲が起こり、信仰も薄らいでまいって」というのは、枯れてはいないですし、リアルな人間の気持をあらわしているように思えます。 20歳のころは美しい恋愛観をもって恥ずかしく語っていたのが、今は淡々と語れているリアルな心情を表しているのかもしれません。いろいろな解釈がありそうです。
原作と朗読用テキスト
原作は、青空文庫で見ることができます。
このテキストは、朗読するには句点が多すぎます。そのため、朗読用として句点を整理したテキストを用意してみました。使われる際には、原典と比較して確認いただき、読まれる方でご判断をいただくと良いと思います。
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