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『幸福の王子』と『燕と王子』

オスカー・ワイルドの名作『幸福の王子』はご自身でも読まれた方は多いと思います。この話を、有島武郎は『燕と王子』として独自のストリーを作っています。ワイルドは、物語の最後で、神の命により遣わされた天使は、この世で最も尊きものとして、捨てられた王子の心臓と燕の屍を持ってきます。しかし、有島武郎の物語では、燕は南国に旅立ち、捨てられた王子は溶かされて鐘に作り変えられます。ワイルドは、精神の美しさと見かけの醜さの対比を、『ドリアン・グレイの肖像』でも表し、耽美的な世界を醸し出しています。対して、有島武郎は、美しい日本語で、博愛の精神から燕を道連れにしないストリーを作っています。

原作


Gutenbergプロジェクトが、原作を公開しています。商業的な利用をしなければ自由に使えることとなっています。以下のリンクにテキストと挿絵があります。

なお、原点においては、燕が好きになった葦に対して"Shall I love you?"と言い、相手に「愛してほしいかい」というニュアンスを作っています。自己中心的な燕の心を表したものと読める。他方で、最後、死が近づいていることを悟った燕が王子の手にキスをしようとするときは、”Will you let me kiss your hand?”と丁寧な言葉で聞いています。燕の心の成長を表したものでしょう。これに対して、目の宝石を失って盲目となった王子は、状況に気が付かず、”I am glad that you are going to Egypt at last, little Swallow," said the Prince, "you have stayed too long here; but you must kiss me on the lips, for I love you."と、燕がエジプトに戻るものだと思っています。そして、「尊敬」の念をもって手にキスをしようとする燕に対して、「愛情」を表そうと唇へのキスを求めています。本当に「愛情」が強かったら、死にそうになるまで燕を自分のもとにおいていただでしょうか?

全編を通じて、精神が洗われていく美しさを見せる精神と形としての美しさを失っていく容姿、王子の崇高な精神と現実的で時にはあさましく醜い人々の考えを対比することで、耽美的に世界を描くオスカー・ワイルド。それに対して、人々の間のいたわりを忘れない有島武郎の博愛主義の違いが、二つの作品に表れているように思えます。

日本語訳


複数の邦訳が公開されています。結城浩さんによる訳は、以下のリンクにあります。

結城浩氏訳


石破杏氏訳

石波杏さんの訳は以下のリンクです。

碧ゆり氏訳


碧ゆりさんは、対訳として公開されています。


有島武郎の『燕と王子』


以下、『有島武郎全集』第六巻、筑摩書房、昭和61年3月1日第二版をもとに、なるべく原典に沿いつつ 読みやすいようにスペースとルビを入れ、旧漢字は一部現在の漢字に、フリガナも一部は現代のものに置き換えてあります。


 燕と云(い)ふ鳥は  所をさだめず飛びまはる鳥で 暖かい所を見附けておひっこしをいたします。今は 日本が暖かいから おもてに出て御覧なさい。羽根が紫の様な黒でお腹(なか)が白で、喉(のど)の處(ところ)に赤い頸巻(くびまき)をして おとう様の御召(おめし)になる燕尾服の後部(うしろ)見た様な 尾のある雀より 余程大きな鳥が 目まぐるしい程(ほど)活溌(かっぱつ)に飛び廻っています。此のお話は 其(その)燕のお話です。

 燕の澤山(たくさん)住んで居るのは エジプトのナイルという 世界中でいちばん大きな川の岸です――おかア様に地図を見せておもらいなさい――其処(そこ)は始終(しじゅう)暖かでよいのですけれども 燕も 時々はあきるとみえて 群れを作って引越をします。或時(あるとき) 其(その)群れの一つが欧羅巴(ヨーロッパ)に出かけて 独逸(ドイツ)と云(い)ふ國を流れている ライン河のほとりまで参りました。此(この)河(かわ)は大層(たいそう)綺麗(きれい)な河で 西岸(せいがん)には 古いお城があったり 葡萄の畑があったりして 河添いには折りしも夏ですから 葦(あし)が 青々と涼しく茂って居ました。

 燕は 面白くって堪(たま)りません。丸(まる)で 皆んなで鬼ごっこをする様に かけちがったりすりぬけたり 葦の間を水に近く 日(ひ)がな三界(さんかい)遊びくらしましたが 其中(そのうち) 一(ひとつ)の燕は 生い茂った葦原の中一本のやさしい形の葦と 大變(たいへん)仲がよくって 羽根がつかれると、其(その)なよなよとした茎先にとまって 嬉し相(そう)にブランコをしたり 葦とお話をしたりして 日を過ごして居ました。

 其中(そのうち)に 長い夏もやがて末になって 葡萄の果(み)も紫水晶のようになり 落ちて地に腐ったのが 甘い香(かおり)を風に送る様になりますと 村の娘達が澤山(たくさん)出て来て 籠(かご)に夫(そ)れを摘み集めます。摘み集めながら歌ふ歌がおもしろいので 燕達も 歌ひながら 葡萄摘みの袖の下だの頭巾(ずきん)の上だのを 飛びかけって 遊びました。然(しか)し 軈(やが)て葡萄の収穫(とりいれ)も済みますと モー 冬籠(ふゆごも)りの支度です。朝毎(ごと)に河面(かわも)は霧が濃くなって 薄寒くさへ思はれる時節となりましたので 気の早い一人(ひとり)の燕が 帰らうと云ひだすと 他のもそうだと云ふので そろそろ南に向かって 旅立ちを始めました。

 唯(ただ) やさしい形の葦と仲のよくなった燕は 帰らうとは致しません。朋輩(ほうばい)が誘っても諫(いさ)めても まだ帰らないのだと だだをこねて とうとう 獨(ひと)りぽッちになって仕舞ました。ソーなると 便りにするものは形のいい一本の葦ばかりであります。或時(あるとき) 其(その)燕は 二人ッきりで御話をしようと 葦の所に行って 穂の出た茎先(くきさき)にとまりますと 可哀相(かわいそう)に 枯れかけていた葦は ぽっきり折れて穂先が垂たれて仕舞ました。燕は 驚いていたはりながら

「葦さん、ぼくは大變な事をしたねー。痛いだらう」

 と 申しますと 葦は悲し相(そう)に

「夫(そ)れは 少しは痛う御座います」

 と 答へます。燕は 葦が可哀相(かわいそう)ですから慰めて
「だッて好(い)いや、僕は 葦さんと一所に冬まで居るから」

 すると 葦が風の助けで首をふりながら、

「夫(そ)れはいけません。貴方(あなた)は 未(ま)だ霜と云ふ奴(やつ)を見ないんですが 夫(そ)れは恐ろしい白髪(しらが)の爺で 貴方の様な やさしい奇麗な鳥は 手もなく取って殺します。早く 暖かい国に帰って 下さい。夫(そ)れでないと 私は尚(なお)悲しい思いをしますから。私は 今年は此儘(このまま)で黄色く枯れてしまいますけれども 来年 貴方(あなた)の来る時分には 又若くなって 奇麗になって貴方と御友達になりませう。貴方が 今年死ぬと 来年は私一人ッきりで淋しう御座いますから」

 と 尤(もっとも)な事を親切に云って呉れたので 燕も とうとう納得して 残(なご)り惜しさは山々ですけれども 見かへり見かへり 南を向いて心細い獨旅(ひとりたび)をする事になりました。

 秋の空は高く晴れて 西からふく風が ひやひやと 膚身(はだみ)にこたへます。今日は或る百姓家(ひゃくしょうや)の軒下(のきした)明日は木陰に朽ち果てた水車の上と云ふ様に 何處(どこ)と云ふ事もなく宿を定めて 南へ南へとかけりましたけれども 容易に暖かい所には出ず 気候は一日一日と寒くなって 大好きな葦の言った事が今更(いまさら)に身に沁みました。葦と別れてから幾日目でしたらう。或る寒い夕方 野こえ山こえ 漸(ようや)く一(ひとつ)の古い町に辿り着いて さて 何處(どこ)を一夜のやどりとしたものかと考へましたが 思はしい所もありませんので 日は暮れるし 仕方がないから 夕日を受けて金色に光った高い王子の立像の肩先に羽を休める事にしました。

 王子の像は 石だたみのしかれた往来(おうらい)の四角(よつかど)に立って居ます。爽やかにもたげた頭からは 黄金の髪が肩まで垂たれて 左の手を帯刀(おはかせ)のつかに置いて 屹(き)っとした姿で町を見下しています。大變(たいへん)心のやさしい王子であったのが まだ年のわかい中
(うち)に病気で崩(なく)なられたので、王様と皇后が大層(たいそう)悲しまれて 青銅(からかね)の上に金の延板をかぶせて其(その)立像を造り 記念の為(ため)に町の目貫(めぬき)の處に それをお立てになったのでした。

 燕は 此(この)若い凛々しい王子の肩に羽をすくめて 薄寒い一夜を過ごし、翌日(あくるひ)町中をつつむ霧がやや晴れて旭(あさひ)がうらうらと東に登らうとする頃 旅立ちの用意をして居ますと 何處(どこ)かで「燕 燕」と自分を呼ぶ聲(こえ)がします。はてな と思って見回しましたが だれも近くにいる様子はないから羽を延さうとしますと また 同じように「燕 燕」と呼ぶものがあります。燕は不思議でたまりません。ふと 王子の御顔を仰いで見ますと 王子は やさしいにこやかな笑えみを浮うかべて オパールと云ふ貴(とうと)い石の眸(ひとみ)で燕を眺めて御出でになりました。燕は 不思(ふと) 身をすりよせて、

「今 私をお呼びになったのは 貴方(あなた)で御座いますか」

 と聞いてみますと 王子はうなづかれて

「如何(いか)にも私だ。實(じつ)は お前に 少し頼みたい事があるので 呼んだのだが 夫(そ)れを叶へて呉れるだらうか」

 と仰います。燕は 未(ま)だこんな立派な方からまのあたり御聲(おこえ)をかけられた事がないので ホクホク喜びながら

「夫(そ)れはお安い御用です。何(な)んでも致しますから 御遠慮なく 仰附(おおせつ)けて下さいまし」と申し上げました。

 王子は 暫(しばら)く考へて居(お)られましたが やがて決心のおももちで

「夫(そ)では 気の毒だが一つ頼まう。彼處(あすこ)を見ろ」

 と 町の西の方を指しながら

「彼處(あすこ)に 穢(きたな)い一階(いっかい)立ちの家があって たった一つの窓が此方(こっち)を向いて開いて居る。アノ窓の中をよく見て御覧。一人の年老(としと)つた寡婦(やもめ)がセツセツ(せっせ)と針仕事をして居るだろう、アノ人は 頼りのない身で毎日骨をおって賃仕事(ちんしごと)をして居るのだが 頼む人が少いので時々は御飯も喰べないで居るのが 此所(ここ)から見える。私は 夫(そ)れが可哀相でならないから 何かやって助けてやらうと思ふけれども 第一 私は 此所(ここ)に立ったっきり 歩く事が出来ない。お前 何卒(どうぞ) 私の体の中から金をはぎとって 夫(そ)れをくはえて行って 知れない様に アノ窓から投げ込んで 呉(く)れまいか」

 と 斯(こうい)う云ふお頼みでした。燕は 王子の有難いお志に感じ入りはしましたが 此(この) 立派な王子から金をはぎ取る事は 如何(いか)にも進みません。色々と躊躇(ちゅうちょ)して居ます。王子は 頻(しき)りとおせきになります。仕方なく 胸のあたりの一枚をめくり越(おこ)して 夫(そ)れを首尾よく寡婦(やもめ)の窓から投げ込みました。寡婦は 仕事に身を入れて居るので夫(そ)れには気がつかず やがて 御飯時(ごはんどき)に支度をしようと立ち上がった時、ピカピカか光る金の延板を見附け出した時の喜びは どんなでしたろう。神様のお恵みを有難く押しいただいて 其晩(そのばん)は身になる御飯を致したのみでなく 永く滞(とどこお)っていたお寺の御布施も済ます事ができまして 涙を流して喜んだのであります。燕も 何(なに)か大變(たいへん)よい事をしたように思って イソイソと王子の御肩にも戻って来て 今日の始末(しまつ)を逐一(ちくいち)言上(ごんじょう)に及びました。

 次の朝 燕は 今日こそは 慕(した)わしいナイル川に一日も早く帰らうと思って 羽毛をつくろッて羽ばたきを致しますと 又 王子がお呼びになります。昨日の事があったので 燕は 王子を此上(このうえ)もない好い方と慕って居りましたから 早速 御返事をしますと 王子の仰るには

「今日は アノ 東の方にある道の突當(つきあたり)に 白い馬が荷車を引いて行く、彼處(あすこ)を御覧。其處(そこ)に 二人の小さな乞食の子が 寒むそうに立って居るだろう。アノ二人は もとは家(うち)の家来の子で お父さんもお母さんも大變(たいへん)よい方であったが 友達の讒言(ざんげん)で扶持(ふち)にはなれて 二三年 病氣 をると 二人とも死んでしまったのだ。夫(そ)れで 跡に残された二人の小児(こども)は あんな乞食になって誰もかまふ人がないけれども 若(も)し 此(ここ)に金の延金があったなら 二人は 夫(そ)れを御殿に持って行くと もとの通り御家来にして下さる約束がある。御前 氣の毒だけれども 私の体から可成(なるべく)大きな金をはがして 夫(そ)れを持って行って呉まいか」

 燕は 此(こ)の二人の乞食を見ますと 氣の毒でたまらなくなりましたから 自分の事は忘れて仕舞って 王子の肩のあたりから 出来るだけ大きな金の板をはがして 重相(おもそう)にくはえて飛び出しました。二人の乞食は 手をつなぎあって 今日はどうして食おうと困じ果てて居ます。燕は 快活に二人のまはりを二三度なぐさめる様に飛びまはって やがて 二人の前に金の板を落としますと 二人は吃驚(びっくり)して夫(そ)れを拾ひ上げて 暫(しばら)く眺めていましたが 兄なる少年は 思ひ出したようにそれを取上げて 是(これ)さへあれば 御殿の勘當(かんどう)も許されるからと嬉し喜んで 妹と手をひきつれて御殿の方に走って行くのを しっかり見届けた上で 燕は いい事をしたと思って 王子の肩に飛び返って来て 一部始終の物語をして上げますと 王子も 大層お喜びになって 一方(ひとかた)ならず燕の心の親切なのをお賞(ほ)めになりました。

 次の日も 王子は 燕の旅立ちを氣の毒だがとお引き留めになって仰るには

「今日は 北の方に行ってもらひ度(た)い。アノ烏の風見(かざみ)のある屋根の高い家の中に 一人の画家(えかき)が居る筈(はず)だ。其人(そのひと)は 大層(たいそう)腕のある人だけれども 段々に目が悪くなって 早く療治をしないと 盲目(めくら)になって画家(えかき)を廃(よ)さねばならなくなるから ドーカ 金を送って医者に行ける様にしてやりたい。お前 今日も一つ骨を折って呉れまいか」

 そこで 燕は 又(また)自分の事は忘れて仕舞って 今度は 王子の背のあたりから金をめくって 其方(そちら)に飛んで行きましたが 画家(えかき)は 室内(なか)には火がなくて薄寒いので 窓をしめ切って仕事をして居ました。金の投げ入れ様がありません。仕方なしに 風見の烏に相談しますと 画家(えかき)は 燕が大すきで燕の影さへ見ると何もかも忘れて仕舞って 夫(そ)ればかり見て居るから お前も目につく様に窓のまはりを飛びまはったらよからうと 教へて呉ました。そこで 燕は 得たりと 出来るだけしなやかな飛び振りをして 其窓(そのまど)の前を二三遍(べん)あちらこちらに飛びますと 画家は やにわに面を挙(あ)げて

「此(この)寒いのに燕が来た」

 と云ふや否や 窓を開いて首をつき出し宛(なが)ら 燕の飛び方に見ほれて居ます。燕は 得たり賢しと暇(すき)を伺って 例の金の板を部屋の中に投込んで仕舞ました。画家(えかき)の喜びは何に譬(たと)へませう。天の祐(たすけ)があるから自分は 眼病をなほした上で 無類(むるい)の名画をかいて見せると 勇み立って医師の處(ところ)にかけ附けて行きました。

 王子も燕も 遥かに是(こ)れを見て 今日も 一ついい事をしたと清い心を以て 夜の眠りにつきました。

 そう斯(こ)うする中(うち)に 気候は段々と寒くなって来まして 青銅(からかね)の王子の肩は 中々凌(しの)ぎ難い程になりました。然(しか)し 王子は 次の日も次の日も 今迄長い間見て知って居る貧しい正直な人や苦しんで居るえらい人やに 自分の体の金を送りますので 燕は 中々(なかなか)南に返る暇がありません。日中は 秋とは申しながら さすがに日がぽかぽかと麗(うらら)かで 黄金色(こがねいろ)の光が赤い瓦や黄になった木の葉を照らして 暖かなものですから 燕は 王子の仰せのままに あちこちと飛び回って御用をたして居ました。其中(そのうち)に 王子の体の金は 段々にすくなくなって 可哀相に 此間(このあいだ)までまばゆい程に美しかったお姿が 見る影もないものになって仕舞ました。或日(あるひ)の夕方 王子は 静かに燕をかへり見て

「燕、お前は 親切ものでよく此(この)寒いのも厭わず働いて呉れたが 私にはモー人にやるものがなくなって仕舞って こんな醜い体になったから さぞお前も私と一所に居るのがいやになったらう。モーお帰り。寒くなったしナイル河には美しい夏がお前を待って居るから。此町(このまち)はモーやがて冬になると淋しいし お前のようなしなやか奇麗な鳥は居たたまれまい。夫(そ)れにしても お前の様なよい友達と別れるのは悲しい」

と仰いました。燕は 是(これ)を聞いて 何とも云へない心地になりまして いッそ 王子の肩で寒さに凍えて死んで仕舞うかとも思ひながら しおしおとして御返事もしないで居ますと 誰か 二人 王子の像の下にある露台に腰かけて ひそひそ話をして居るものがあります。

  王子も燕も氣が附いて下を見ますと 其處(そこ)には一人の若い武士と見目(みめ)美しい乙女とが腰をかけて居ました。二人は もとよりお話を聞くものがあろうとは思いませんので しきりと たがいに心のありたけを打ち明かしていました。やがて 武士が申しますのには、

「二人は 早く結婚したいのだけれども 大切なものがないので出来ないのは残念だ。夫(そ)れは 私の家では 結婚する時に 屹度(きっと) 先祖から傳(つた)へてきた名玉を結婚の指輪に入れなければ出来ない事になって居ます。所(ところ)が 誰かが夫(そ)れを盗んで仕舞ましたから ドーシテモ結婚の式を上げる事は出来ません」

 乙女は 固(もと)より 此(この)武士が 若いけれども勇氣があって強くって度々(たびたび)の戦いで功名(こうみょう)手がらをしたのを慕って ドーカ其(その)奥さんになり度(た)いと思って居いたのですから 涙をはらはらと流しながら嘆息(たんそく)をして 何(なん)の言葉の出し様もありません。仕舞には 二人手を取りあって泣いて居ました。

 燕は 世の中には 憐(あわ)れな話もあるものだと思ひながら フト王子を仰いで見ますと 王子の目からも涙がしきりと流れて居ました。燕は 驚いて近々ととすりよりながら「如何(どう)なさいました」と申しますと王子は、

「氣の毒な二人だ。彼(か)の若い武士の云ふ名玉と云ふのは 今は私の眸(ひとみ)となって居る 二つのオパールの事であるが 王が私の立像(りつぞう)を造られようとなされた時 私の眸に使う程立派な玉が何處(どこ)にもなかったので 大層(たいそう)心を痛めてお出でなさると 悪い諂(へつらい)好きな家来が それはお易い御用で御座いますと言って アノ若い武士の父上を訪れて 四方山(よもやま)の話のまぎれにソット あの大事な珠(たま)を盗んで仕舞ったのだ。私は モー目が見えなくなってもいいから どうか 私の目から眸を抜き出して アノ二人に興(や)って呉れ」

 と 仰りながら 尚(なほ)涙をハラハラと流されました。凡(およ)そ 世の中で盲(めくら)程(ほど)氣の毒なものはありません。毎日 奇麗に照らす日の眼も 毎晩美しくかがやく月の光も 青い若葉も紅(あかい)い紅葉も 水の色も空の彩(いろどり)も 皆な見えなくなってしまふのです。試みに目をふさいで一日だけがまんが出来ますか。できますまい。夫(そ)れを年が年中 死ぬまでして居なければならないのだから 本統(ほんとう)に思ひやるのも憐(あは)れな程でせう。

 王子は ありッ丈(たけ)の身のまはりを哀れな人におやりなすッたのみか 今は 又(また)何よりも大切な目までつぶそうとなさるのですもの。燕は ほとほと 何(なん)とお返事をしていいのか分からないで うつぶいた儘(まま)で 是(これ)もシクシク泣き出しました。

 王子は やがて涙を拂(はら)って

「ああ 是(これ)は私が弱かった。泣く程自分のものを惜しんで 夫(そ)れを人に施(ほどこ)したとて何(なん)の役に立つものぞ。心から喜んで施しをしてこそ 神様の御心にも叶ふのだ。昔キリストと云ふ御方は人間の為には十字架の上で身を殺してさへ喜んでいらっしたのではないか。モー私は泣かぬ。サァ 早く此(この)珠(たま)を取ってアノ若い武士にやって呉れ、サ、早く」

 と お急(せ)きになります。燕は 尚(なほ)も心を定めかねて 思わずらっていますうちに 若い武士と乙女とは 立ち上がって悲し相(そう)に下を向きながら トボトボとお城の方に帰って行きます。モー 日がとっぷりと暮れて 巣に帰る鳥が飛び連れて カアカアと夕焼けのした空のあなたに見えて居ます。王子は 夫(そ)れを御覧になるとお叱りになるばかり 燕を急いて 早く眸(ひとみ)を抜けと仰います。燕は ひくにひかれぬ立場になって

「夫(そ)れでは仕方が御座いません。御免(ごめん)蒙(こうむ)ります」

 と申しますと 観念して 王子の目から眸を抜いてしまひました。おくれてはなるまいと 其(その)二つをくちばしに咬(くは)えるが早いか 力を籠(こ)めて羽ばたきしながら二人の跡を追いかけました。王子は もとの通り町を見下ろした形で立って居られますが モー 何(な)んにも見えるのではありませんかった。

 燕が 物(もの)の四五町(し、ごちょう)も走って行って 二人の前にオパールを落としますと 先(ま)ず乙女が夫(そ)れに目をつけて取り上げました。若い武士は 一目(ひとめ)見ると 驚いて夫(そ)れを受け取って 暫(しばらく)は無言で見つめて居ましたが

「是(これ)だ 是だ。此(この)珠(たま)だ。ああ 私は モー結婚ができる。結婚をして人一倍の忠義ができる。神様のお惠み有難い忝(かたじけ)ない。此(この)珠をみつけた上は 明日にでも御婚禮(ごこんれい)をしませう」

 と 喜びが込み上げて二人とも身を震わせて 神にお禮(れい)を申します。

 是(これ)を見た燕は どんな結構なものをもらったよりも嬉しく思って 心も軽く羽根も軽く 王子のもとに立ちもどって お肩の上にチョンと座り

「御覧なさい王子様。アノ二人の喜びはドーです。踊らない計(ばか)りじゃありませんか。御覧なさい 泣いて居るのだか笑っているのだか 分かりません。御覧なさい アノ若い武士が 珠を押しいただいて居るでせう」

 と息氣(いき)もつかずに申しますと 王子は 下を向いた儘(まま)で

「燕や。 私はもう目が見えないのだョ」

 と仰いました。

 さて 次の日に 二人の御婚禮がありますので 町中の人は 此(この)勇ましい若い武士とやさしく美しい乙女とを 壽(ことぶ)かうと思って 朝から往来を埋(うず)めて何もかも華やかな事でありました。家々の窓からは 花環(はなわ)や國旗やリボンやが風にひるがへって 愉快な音楽の聲(こへ)で町中がどよめき亙(わた)ります。燕は チョコナンと王子の肩に座って 今 馬車が来たとか 今 小児(こども)が万歳をやっているとか 美しい着物の坊様が見えたとか 丈(せい)の高い武士が歩いて来るとか 詩人がお祝いの詩を聲(こへ)ほがらかに讀み上げているとか 娘の群れが踊りながら顕(あら)はれたとか 凡(およ)そ町に起こった事を一つ一つ手に取るように 王子にお話をして上げました。王子は 黙った儘(まま)で下を向いて聞いていらっしゃいます。

 やがて 花よめ花むこが騎馬(きば)でお寺に乗りつけて 大層盛んな式がありました。その花むこの雄々(おいおい)しかった事 花よめの美しかった事は 燕の早口でも申し盡(つく)せませんかった。

 天氣のよい秋日和は 日が暮れると急に寒くなるものです。さすがに 賑やかだった御婚禮が済みますと 町は 又 もとの通りに静かになって 夜が次第に更けてきました。燕は 目をキョロキョロさせながら羽根を幾度か組み合わせ直して 頸(くび)をちぢこめてみましたが 中々(なかなか) こらへきれない寒さで 寝つかれません。まんじりともしないで 東の空がボーツと薄紫になった頃見ますと 屋根の上には 一面に白いきらきらしたものが布(し)いてあります。

 燕は 驚いて其(その)由(よし)を王子に申しますと 王子も大層(たいそう) お驚きになって

「夫(そ)れは 霜と云ふもので――霜と云ふ聲(こへ)を聞くと 燕は 葦の云った事を思い出して ギョツとしました。葦は 何(な)んと言ったか覚えて居ますか――冬の来た証拠だ 。マア 自分としたことが 自分の事にばかり取りまぎれて居てお前の事を思わなかったのは實(じつ)に不埒(ふらち)であった。永々 御世話になってありがたかったが モー私も此世(このよ)には 用のない体になったから ナイルの方に一日も早く帰って呉れ。彼(か)れ是(こ)れする中(うち)に 冬になるととてもおまえの生命(いのち)は続かないから」

 と シミジミ仰いました。燕は何( な)んで今更ら王子を振捨てて行かれませう 縦令(たとへ) 凍死(こごえし)にはするとも 此所(ここ)一足(ひとあし)も動きませんと殊勝(しゅしょう)な事を申しましたが 王子は

「そんな 分からずやを云ふものではない。お前が今年死ねば お前と私の遇(あ)へるのは今年限り。今日 ナイルに帰って又来年お出で。ソーすれば 来年又此所(ここ)で会えるから」

 と 事をわけて云ひ聞かせてくださいました。燕は 夫(そ)れもそうだ、

「そんなら 王子様 来年又お遇(あ)い申しますから 御無事で入らッしゃいまし。お眼が不自由で 私の居ない為に 猶更(なおさら)の御不自由でしょうが 来年は 屹度(きっと)澤山(たくさん)のお話を持って参ります」

 からと 燕は なくなく南の方へと 朝晴れの空を急ぎました。此(この) まめまめしい心よしの友だちが 暖かい南国へ 羽をのして行くすがたの名残(なごり)も 王子は見る事もお出来なさらず、おいたはしい、お首(つむり)をお下げなすった儘(まま) 薄ら寒い風の中に獨(ひと)り立っておいででした。

 さて 其中(そのうち)に日もたって 冬は漸く寒くなり雪達磨の出来る雪がチラチラと振り出しますと モー 降誕祭(クリスマス)には間もありません。欲張りもけちんぼうも年寄りも病人も 此頃(このころ)ばかりは晴れ晴れとなって 子どもの様になりますので かしげ勝(がち)の首もまっすぐに 下向き勝(がち)の顔も空を見る様になるのが此頃(このごろ)です。デ、往来の人は 長々見忘れて居た黄金の王子はドーシテいられる事かとふり仰ぎますと 驚くまい事か 透明(すきとお)るほど光って御座った王子はまるで癩病(らいびょう)やみの様に真黒(まっくろ)で 眼は両方ともヒタとつぶれて御座らッしゃります。

「なんだ 此(この)不体裁(ぶざま)は。町の真中(まんなか)にこんなものは 置いて置けやしない」

 と一人が 申しますと

「本統(ほんとう)だ。クリスマス前に壊して仕舞うぢゃないか」

 と一人が ほざきます。

「生きてる中(うち)に 此(この)王子は 悪い事をしたにちがひない。夫(そ)れだからこそ死んだ跡で此様(このざま)になるんだ」と また一人が叫びます。

「こはせ こはせ」

「たたきこはせ たたきこはせ」

 と云ふ聲(こへ)が やがて 彼方(あちら)からも此方(こちら)からも起こって 仕舞には一人が石をなげますと 一人は瓦らをぶつける。トウトウ 一群(かたまり)の若い者が 縄と木階(はしご)を持って来て 縄を王子の頸(くび)にかけると 皆なで寄ってたかってエイエイ引張ったものですから さしもに堅固(けんこ)な王子の立像も 無惨(むざん)な事には礎(いしづえ)を離れて 轉(まろ)び落ちて仕舞ました。

 本統(ほんとう)に 可哀相な御最後(ごさいご)ごさいごです。

 かくて 王子の体は 一か月程 地の上に横になってありましたが 町の人々は相談して ああして置いても何(なん)の役にも立たないからというので 夫(そ)れを鎔かして一つの鐘を造って お寺の二階に収める事にしました。

 其次(そのつぎ)の年 あの燕が はるばるナイル河から来て王子を尋ねまはりましたけれども 影も形もありませんかった。

 然(しか)し 今でも 此(この)町に行く人があれば 春でも夏でも秋でも冬でも 丁度 日が暮れて仕事が済む時 灯(ともし)がついて夕炊のけむりが家々から立ち上る時 凡(すべ)てのものが楽しく休む其時(そのとき)に お寺の高い塔の上から澄んだ涼しい鐘の音が聞こえて 鬼であれ魔であれ 悪い者は一刻も此(この)楽しい町に居たたまれない様に 響き渡る相(そう)であります。

めでたしめでたし。

(終わり)

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