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ゆっくりとした消費

近代はとにかく急いでいた。それは勝たなければならなかったから。資本主義は構造的に早い消費を促す。その方が儲かるから。環境危機は早い行動変容をもとめる。待った無しだから。現代社会ではとりわけ早いが求められています。

早いということがもたらす弊害は、僕たちを豊かさからどんどん遠ざけているように思います。僕たち人間はもう少し時間との付き合い方を考えてゆかなければならない、そういう時代なのではないでしょうか。

僕は店主として、焙煎家として、作ったものが早い消費の中で消えてゆくことに少し悲しさを覚えます。珈琲は日々消費されていくものですが(たくさん売れるほうが良いですが)、消費されたくないという思いがあるのです。お店に訪れた人に何かを感じてもらえたか、珈琲を飲んでくれた人に何かを残せたのか。なかなか届かないというのが現実です。それは作り手としての力量で、僕の課題なのだけど、ゆっくりとした消費であれば伝わるものが違ってくるような気がしています。


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今は、手回し焙煎機で1回500gに満たない量でやりくりをしています。生産量は少なく、計測器もなく気候の影響も受けやすく味のブレも否めません。そのぶん、人間的な、自然的なブレや揺らぎはある種の個性としても現れます。味わいは丸く、生豆の個性もぼやけていますが、口当たりの優しさや深いところに複雑な味わいをもっていくように味作りをしています。もしかしたら、衝撃的な珈琲ではないかもしれませんが、2カ月後にもう1回飲んで、3カ月後にまた飲んだ時には何かに触れるかもしれない。そういう珈琲であればいいのかなと思っています。

だから日常的ではなくとも、ゆっくりとした循環の中で、継続的に訪れてもらえたら、そういう楽しみ方をしてもらえたら良いのかもしれません。色々なことを急ぎすぎないで、お互いにゆっくりと。


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消費というのは破壊でもあります。生きるということも同じです。

僕がいつか死んでしまうように、人類はいつか滅び、地球もいつか滅びるでしょう。その瞬間もゆっくりな時の流れの中で訪れるのであればよいと思うのです。

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