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失われた奇跡たち

今年も引き続き人の行動抑制を要請される大型連休となってしまいました。

僕は自由という価値を簡単に捨ててはいけないと思ってSNSなどで投稿することもありました。要請+同調圧力の構図であった去年から今年は社会の雰囲気も大きく変わり、自由に振る舞う人も増えたのかなと思います。

その結果がどう転ぶかはわからないところはありますが、何れにしても一年という時間経過(猶予)の中では、失敗は政治の失敗であろうと思います。

一方で東京、関西、全国で大小たくさんの施設の閉鎖、イベントの中止、飲食店の制限などが政治の意思により行われているわけです。浅草演芸場もGW期間中も予定通りやると宣言したその数日後には中止の決断をしました。

文化というのは継承されていくものだと思います。この1年、2年で空いた時間の断絶を政府は保障できるのだろうか。

全国に中止、延期がどれほど溢れたのか想像もつかないけれど、きっと生まれていたであろう「人、もの、こと」との出会いがあったはずです。出会いというのは常に人生を大きく変える可能性を秘めていて、あの映画、あのお店、あのアーティストが、”その”タイミングで人にどんな化学変化をもたらしたのだろうか。とくに若い世代にとっては貴重な時間です。可能性は失われ、奇跡は儚く、一生取り返すことはできない。計算もできない保障も当然できない。閉じてしまったがゆえに失ったものの価値は、感染者数のようにはカウントできないけれど、その大きさは想像できる。

だから、歪んだ世界で政治に絶望しながら、人の行動には希望を抱いている。

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