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イエスと聾唖者について考える

なぜ書こうと思ったか

「イエスと聾唖者」について、書こうと思った背景を。イエス・キリストが何故、僕たちの救い主と言えるのか、イエス・キリストが説く「神の国」となどんなところであるのかを考えた時に、神はイエス・キリストを通して、聾唖者である僕に何を伝えたかったのかを考察してみたかったからである。教会に行くといつも、「イエス・キリスト」について説教を聞くことになる。もちろん、教会は聾唖者のための教会であって、牧師も聾唖者である。にもかかわらず、聾唖者である僕は、イエス・キリストがなぜ救い主なのか深く考えることはなかった。説教の内容が「デフフッド」に関わるものがあまりなかったからであり、実感が持てないでいた。
ただし、言っておく。
23歳の夏にイエス・キリストを救い主として受け入れたときに、どうしようもない解放感を覚えた。しかし、当時通っていた教会は聴者のための教会であり、聖書を知識として吸収していくだけの場所であった。ろう者教会があることを知り、ろう者教会に通うようになったが、教会での説教が聴者教会の説教とあまり変わらないことに愕然とした。というのは自己都合であるが、どこかが違うと僕は考えていた。イエス・キリストを語る時に「デフフッド」について考察することは避けて通れない。教会説教批判ではなく、神はイエス・キリストを通して聾唖者である僕に何を語りかけていたのかという自己批判であることをあらかじめ断っておく。

用語について

ここでは、「みんなが手話で話した島」の訳者あとがきにある用語の定義に則って用いたい。聾者=難聴であり話せる人、聾唖者=聾でありかつ話せない人、唖者=手話を使う人、ろう者=手話を使う人。ここでいう手話は、手話言語のことであるが、日本手話であることをあらかじめ断っておく。

聖書に記述されているイエスはろう者に何を伝えたかったのか

イエス・キリストは、キリスト教において救い主とされる人物であり、さまざまな奇跡を起こし、「神の国が近づいた」「神の子である」「病人のために私は来た」などいろいろな人に説教してきた。当時のパリサイ派の人にとってはこの説教が神への冒涜に等しいと考え、王であったピラトに掛け合って、犯罪人バラバではなくイエスを十字架につけるべきだと主張した。そして、イエスは予言通りに十字架で息を引き取った。「我が神、我が神、何故なのですか」「彼らをお許しください」と死ぬ前に口にしている。イエス・キリストは聞こえる人であったのか、聞こえない人であったのか。私は耳が聞こえない。それ故、イエス・キリストが我々ろう者にとって救い主であるのか否か議論してみたい。イエス・キリストはユダヤ人である。新約聖書は、福音書についてはもともと口伝えを記述してまとめ、その他はパウロ等の書簡をまとめたものである。イエス・キリストは実はろう者だった!というつもりはない。救い主として、イエス・キリストを受け入れるためには、ろう者にとって、イエス・キリストはどんな人物であったのかを考察、議論していくことは必要であろう。はっきり言おう、イエス・キリストはユダヤ人で、聞こえる人であった。また、アラム語を話す、ナザレ出身で、多くの奇跡を起こし、12人の弟子たちがいた人物である。ここに「ろう者」が入る隙はない。ただ、イエス・キリストを救い主として受け入れるときに、「何故、救い主と言えるのか」について論じなければならない。

救い主イエス・キリストを受け入れることは「永遠の命を得る」こと

救い主としてのイエスを考える時に、よく言われるのは、ヨハネの福音書3章16節である。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書 聖書協会訳 日本聖書協会 ヨハネ3:16

イエス・キリストを神の子、または救い主と信じることは、「永遠の命」を得ることができるということになる。では「永遠の命」とは何か。人は必ず死を迎える。永遠に生きるのは現時点では不可能そのものである。「永遠の命」とは、神の国へ入るための切符を手に入れる事であるという。神の国に入るということはこの世から離れる、すなわち人間として死ぬことを意味する。聖書では、死んで神の国に入るということを説明する。しかし、死を通さずに神の国に入った人間がいることを聖書は伝えている。アダムやモーゼ、アブラハムなどは死んだと聖書に書かれているが、エリヤは馬車で神の国にはいいたと説明があるが、死については語られていない。このため、「死」を通さずに神の国に入ったことを意味する。話を戻そう。ろう者にとって永遠の命とは何か、神の国に入ることは何か、神の国での生活は何かについて考える必要がある。聞こえる人たちにとっての神の国と、ろう者にとっての神の国はまるでイメージが異なる。

それでは、イエスはろう者にあったことがあるのか、そしてどのように語ったのか、イエスがろう者に何を伝えたかったのかについては次の機会に。


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