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最果てサイバネティクス

流行ってるサイボーグ。

耳には音楽、網膜には映像。だけじゃなくラジオも本もぜんぶハックして指先でオンオフ。イヤフォンにディスプレイ。デバイスを埋め込んだ身体に直接流れ込む情報の洪水。濁流。足をとられて身動きができなくなるのは、漠然と、なんかイヤだ。流行ってるけど。

バスタブに流れ込む瀑布。どどど、とお湯はとめどない。

情報は清濁合わせていつだってわたしを浸して、全身の感覚器官から染み込んでいく。無意識のうちに、わたしの血流になる。知らないうちに、流行っていることになる。

生まれてからずっと、少しずつ腐っていってる気がしてる。背が伸びても体重が増えても、読めなかった漢字が読めるようになっても、分数の計算ができるようになっても。ぜんぶ「劣化」とか「退化」みたいに感じてる。劣化を止めたい。いちばん新しかった頃に戻りたい。

それが無理なら、サイボーグでもいい。辞さない。鼻も口も舌も肌も、ぜんぶ取っかえてもいい。耳にイヤフォン、瞳にディスプレイ、なんて、ピアスひとつ開けたことのないわたしには嫌悪感がすごいけど。そうやって身体ごと情報に沈んでしまえたら、SNSの悪口も戦争のニュースもグチャグチャのグロ画像も平気になるはず。やけっぱちに、そう思ってた。

本当は今みたいに、バスタブの底に沈んでたい。どどど、とお湯の音はくぐもって耳に届く。ぜんぶ平気になりたい。サイボーグになりたい。そうすれば劣化の速度もゆるまってひと安心。そのままバスタブごと、どこまででも行ける。自分の息が続く限り。

「ひずみさん」

でも、いま入っているバスタブは狭すぎて、脚をのばして沈んでいられない。ぷくぷく浮き出す泡の輪郭を鼻先で感じながら耐えていたけど限界。ざばーと半身を起こして、湿った空気を湯気ごと吸い込んでせき込む。

垂れた髪の毛の先から水滴がぽたぽた落ちて、揺れる水面に輪を描く。

「日角さん」

バスルームの天井に備え付けられたスピーカーから、男の人の声でわたしの名前が再び降ってきた。はい、と答える。

「こちらは準備ができましたので、いつでも」

短く伝えてぶつりと声は途絶えた。

濡れたまま裸でバスルームの扉を開けると、狭くて真っ白い小部屋。ロッカーの中に入ったみたい。真ん中に立つと、全方位から温風が噴き出してくる。両手を上げたり脚をあげたりして、満遍なく身体を乾かす。髪が風に暴れるようになったくらいで温風は止んだ。

バスルームと反対側の壁が、ういん、と左右に開く。再び真っ白い部屋。ぽっかり自宅リビングくらいの空間、その真ん中にヘッドレスト付きの流線形の椅子がぽつんと置いてある。事前検査のデータを参考に、わたしの身体にぴったりフィットするように作られているらしい。バスタブは小さかったのにな、と少し不満。予算の都合?

「そのまま進んで、横になってください」

男性の声が指示する。抑揚も何もない古いタイプの合成音声。なんか、つるっとしている。わたしはまた、はい、とだけ答える。さすがに照れというか、浴場でもない場所を裸で歩くのはちょっと気が咎めたけど、ままよ。

裸足で歩いて裸のまま椅子に身体を預けた。お風呂上がりでまだ湿り気を帯びているお尻が座面に吸い付いた一瞬、思ったよりふわっとした質感で驚いた。四肢を投げ出す。

「それでは始めます」

音声が告げる。手術が始まる。これからわたしはサイボーグになる。
約1000年の間、生きられる身体を手に入れる。

きっかけは国家研究機関の被験者公募で、ふつうにSNSのタイムラインに流れてきた。半信半疑ながら応募フォームに個人情報を埋めた数か月後、当選したと連絡が来た。当選て、と少し笑えた。

選ばれたのは各世代で数十人いるらしい。トータルだと1000人くらい。けっこう受かるんじゃんと拍子抜けした。

お母さんに「わたし1000年生きることになったわ」と告げてみたけど、仕事が忙しいから後で聞く、と言われて放置された。もともとネグレクト気味の家庭だったし、少しチクリと胸は痛んだけど想定内。

想定外なのは1000年という果てしなさのほう。人間の寿命では到達できない未来を目指して、緩慢に情報を得ていくのだ。浸り続けることで、わたしはこれまで誰にも得られなかった「平気」を手に入れられるだろう。洪水に濁流に、足をとられることはない。

流行っているサイボーグとは違うやり方で、情報を血流に変えるのだ。その方が、わたしの性に合っている。気がする。気がした。どうだろう。

友人の艶子にだけはちゃんと相談した。えーいいじゃんあたしも応募しよっかな、とかゲラゲラ笑ってくれて。確かに、誰かと、艶子と一緒ならいいな、と思った。1000年は、長いもんな。

おすすめはしなかったけど、艶子も本当に応募したらしい。受かったかどうかは、聞いていないから知らない。すぐに検査とか始まって忙しかったし。

ぐいーと機械音を上げながら椅子がリクライニング。視界が動いて、眼前に天井が広がる。

「あの」

この期に及んで気になって、誰ともなく声をかけた。別室で研究員か誰かがモニターしてるはず。ざざっとノイズの後、男性の声で「はい」と応答があった。無機質だけど、肉声っぽい。

「友だちもこれ応募したんですけど、受かってるかどうかってわかりますか」

そうたずねた。ざー、とさざ波のようなノイズを挟んで「申し訳ありません、そういった情報は現時点ではご提供できかねます」と事務的に拒否された。そりゃそうか。

じゃあいいです、と答えると、ぷつっと音が途絶えた。まあいいや。もし艶子も受かってたら。1000年先でも、一緒にいられたらいいな。

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