『夫のちんぽが入らない』読了
この衝撃的なタイトルの本を買ったのは、随分前のことだ。ネットやテレビで話題になったときは私がもう書店を辞めていて、カツカツの給料で日々を凌いでいた。普段からハードカバーの書籍をあまり買わないのは、偏に場所と金額の問題である。私は興味を引かれながらも文庫になるまで待とうと決め、忘れた頃に店頭に並んでいた文庫を見かけて買った。奥付を見ると2018年9月とあるから、今から四、五年前になるだろう。
多少下世話な興味で買った私は、一ページ目で読むのを辞めた。あまりに深刻だった。ネタバレを嫌って何も情報収集をしていなかったのが徒となった。それから何度か読もうとしたものの、ページを開いて閉じるだけを何度か繰り返した。
そしていよいよ今日読んだわけだが、あまりにしんどかった。毒親持ちの人は気を付けた方がいい。リアルにしんどい。私はこだま氏のように母親が毒というわけではなかったが、精神的に安定できる家庭ではなかったので多少気持ちがわかる。いや、毒と言うと酷かもしれない。今この時代はどうかわからないが、田舎は特に女性への負荷が高い。閉鎖的であればあるほど。
初体験に関する描写にしてもそうだ。娯楽のない田舎の学生の行状もよく見た光景である。もっとも私の場合は過去にうっかり見てしまったBL本がトラウマだったことと、圧倒的な顔面偏差値の低さ故に彼女と同じ道を歩むことはなかったが、周りではよく聞く話だった。あの感じ、今思い出しても薄ら寒くなる。
そうした中でこだま氏が故郷を脱出し、運命というべき愛する人と出会えたことは幸運だったと思う。お人柄なのだろう、こだま氏の文章は終始清廉で、飾り気がなく、人肌の温かみがあった。愛する人の行いを黙って見逃し、支える部分も、子供達の容赦ない悪意と甘えに心がすり減っていく様も、行きずりの男に恥部を晒してある種の救いを求めるのも、痛いほど理解できた。特に希死念慮については私も昔線路を同じ気持ちで見詰めていた経験があるのでよくわかる。
『僕はこんな心の純粋な人、見たことがないですよ』(文庫179p13l)
そういう人だからこそ地獄であったろうし、そういう人だからこそこういう結末に収まれたのだろう。このエッセイはお伽話のように紆余曲折あってちゃんと入るようになりました、めでたしめでたし、にはならない。だがある種のカタルシスがある。どんなに想い合い愛し合っても叶わない辛さを、彼女らは『雪に閉ざされた底冷えのする舎房の鉄格子の向こう』に置いてきた。お二人だからできた希有のことだと思う。
今日何故これを読んだかというと、自分が書くものがあまりにつまらない上、筆が全く乗らなくて首でも括ってしまおうかと思うくらいだったからである。この手のループは思考を自分に向けているとズブズブにヤバくなるので、内に内に掘り下げる二次創作などやろうものなら悪化するのが目に見えている。そこで矛先を向けるべく、久々に未読の本に手を出したわけである。
結果美しい文章に、生き様に打ちのめされて、あー自分ってほんとダメだなと再認識してしまったわけだが、こだま氏がサティー(※イスラム教の慣例の方、ものの例えです)にならずに声を上げてくださったのも、彼女がガードレールでアクセルを踏み込まず生きていて下さったからである。人間はいずれ死ぬから幸せには意味がないといういつもの鬱思考にほんの少し覆いを被せて下さったことに感謝しつつ、読了の記録とする。