見えないモノを捉えるのには「哲学」が必要なのだ。

『上田:テクノロジーによって便利にはなると思いますけど、実は幸せになれるかどうかは関係ないんじゃないかなって最近思うようになりました。全知だけど全能じゃない世界と言いますか。マルク:どういうことでしょうか。上田:見えているものと、できることの乖離が激しいということです。例えば、今や遺伝子解析の技術によって、遺伝子異常を把握できるようになっています。ただし、その異常をどうやったら改善できるかはまだ実現できていない。いずれは全知と全能はイコールで繋がるかもしれませんが、その狭間は不快感やもどかしさを伴う。マルク:確かにそういった感覚はあります。ただ、一方で乖離があるからこそ、それを埋めようと進歩していく面もあるはずですよね。ある意味では、その余地が救いや希望にもなり得ます。~マルク:ITの技術者は常にユーザーの意外性を考えながらソフトやサービスを作り、何度もテストを重ねます。それでもいざ公開してみると、予想もしない操作をするユーザーが必ずいてバグることがあるんです。でも、その突拍子もない操作やバグの発見が新しい発明に繋がることだってある。上田:最近では、偶然にもアラビックのりが白血病治療のための細胞培養にすごく有用だったことが判明していますよね。確かにそういう異常系は進化において大事ですよね。マルク:ビットコインも開発されてから2〜3年ほどは見向きもされずに放置されていました。だけど、徐々に価値を帯びていき、大きな影響力を持つようになりました。』

『仮想通貨はソースコードと哲学でできている』この表現をみた時、私も「言い得て妙」だと思った。視覚優位のヒトと言うイキモノにとっては見えないモノを捉えるのには「哲学」が必要なのだ。ソースコードも見ることはできるが万人が理解できるモノではないからである。

ビットコインの創始者「サトシ・ナカモト」という虚像の正体
静かに消えてしまったほうがいい
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65704

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