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【短編小説】「最後の手紙」



最後の手紙

 2021年春。都心から少し離れた郊外の、ある木造アパートの一室。和室6畳間の部屋で、どこにでもいるありふれた男が、短編小説をパソコンで書き終えた。小説のタイトルは「或る、春の日」。男は煙草に火をつけ、紫煙しえんをくゆらせた。彼の名は「木埜誠也きのせいや」という。パソコン画面を満足気に眺めながらスマホを手にとった木埜は、ある旧友に電話をかけたのであった。


【第1幕】 或る、春の日


或る、春の日
木埜誠也 著

 気ぜわしい春が来た。春は出会いと別れが交錯する。入学式、卒業式、入社式。薄ピンク色の桜がセレモニーに華を添えている。しかしながら今年の祝典は、昨年から続くコロナ禍の影響で、時間も規模も縮小されていることが多いようだ。私が勤める会社でも今年度の入社式はオンラインで実施された。
 会社では政府の「働き方改革」の大号令のもと、在宅勤務が推奨されている。「新しい働き方」を歓迎する社員、戸惑っている社員と様々である。オンライン会議も促進されているため、オフィスはいつも気絶したような雰囲気で、コロナ禍前の雑然と熱気があった頃と大違いである。これらの新しいスローガンたちは、昭和の古いタイプの私にはいささか "美しく"見えているが、このご時世、不承不承ふしょうぶしょうに受け入れている。
「商品本部 販売企画課 課長補佐」
 これが今年度の私の肩書だ。毎年春先に人事部から厚さ2センチの白い紙箱で名刺が配られる。強い名刺、弱い名刺と様々だ。課長補佐。年下の課長を補佐するポジションだ。
(俺のサラリーマン人生もこんなところか)
 仕事がはけて帰宅すると、毎晩といって焼酎のお湯割りと軽いつまみで晩酌をする。そして晩酌中は江戸落語を聴くのが至福の時間だ。
 私の名前は「神崎良介かんざきりょうすけ」という。昭和41年生まれ、今年で55歳になる。生まれた年にザ・ビートルズが初来日したことが、なんだか自慢だ。好きな物は靴、洋服、文具、佐野元春(ロックミュージシャン)、古今亭志ん朝ここんていしんちょう(落語家)だ。訳あって妻とは別居中。同居の話も出ているが実現には至っていない。一人息子が今春から社会人になった。子育ても終わり、ようやく肩の荷が下りた。

 ありふれたブルーな日常が続く、或る春の日の出来事だった。その日は「早帰り推奨日」ということで、全社員が半強制的に早い帰宅を迫られる水曜日であった。私はさっさと仕事を片づけ、そそくさと外に出た。外はまだ薄暮はくぼ前の明るさがあった。
 渋谷駅から横浜方面行の各駅電車に乗って帰宅の途につき、電車は学芸大学駅に到着していた。私は扉にもたれかかり、いつものように車窓からの景色を眺めていた。住宅密集地が目の前に広がっている。ふと目を凝らすと白いマンションのベランダで、薄いブルーのシャツを着た若い女性が外を眺めている姿が目に入った。私は女性をしばらく見ていたが、電車が動きだした時、視線を感じたのだろうか、その女性が私に視線を向けた。とっさに車内を見渡したが、車窓から外を見ているのは私一人だった。数秒間、目を合わせたままの状態が続き、そして私は何を思ったか、
(ぺこり)
と、頭を下げて妙な挨拶をした。変な中年おやじ、と思われても仕方なかったが、女性は、
(ぶふっ)
と、吹き出すように笑ったかと思うと、私に小さく手を振った。
 ほんの10数秒の出来事に、胸の鼓動は高まった。

 忙しい仕事の日々はコロナ禍であっても容赦なく訪れていたが、私はあのベランダにいた女性を思い出していた。翌週の早帰り推奨日(水曜日)、どうにも女性のことが気にかかって、学芸大学駅で途中下車した。
(これはストーカーか? いや、変なことはしないさ)
と、自分でも何をしているのかと思ったが、迷う気持ちを都合よく断ち切り、ひとまず住宅地に足を踏み入れた。女性がいたマンションはすぐにわかった。築年数は経過しているようだが、モダンな意匠がほどこされている建物だった。しげしげとマンションを見上げていると、
「こんにちは…」
と、若い女性の小さな声が聞こえた。前を見るとあの時の女性が買い物袋を持って立っていた。上下グレーのスウェットとスニーカーを履き、黒縁のボストン眼鏡をかけ、髪はひとつにまとめていた。
「このあいだの電車の人でしょ? 何しているの?」
と、いぶかし気な声で女性は言った。私は、あ、いや、と、はっきりと答えることができずにいると、
(ぶふっ)
と、女性は肩をすくめて笑った。そして、
「よかったら、ティーでもドリンクしましょうか?」
と、意外な言葉をかけられた。私は、う、うんと上ずった返事をした。
「じゃあ、荷物を置いてくるね。少し待ってて」
と、女性はマンションの中に入った。しばらくすると、白いボタンダウンシャツに薄いオレンジ色のカーディガンを羽織り、ボトムスは幅広のチノパンツ、靴は栗色のパラブーツ・ミカエルを履いて戻って来た。
「お待たせっ」
と、軽く息を切らせながらそう言って、彼女はひとつに束ねていた髪をほどいた。頭を左右に振ると、長い黒い髪が広がった。
「私が知ってる喫茶店でいいですか?」
「う、うん」
と、またも不甲斐なく上ずった。
「じゃあ、付いてきてね」
と、彼女は涼し気な顔で、私の少し前を歩きだした。
 時折、春風が強く吹き、彼女の髪を揺らしていた。

 前を歩く彼女に歩調を合わせながら歩いていると、赤煉瓦が丁寧に積み重なった小さな喫茶店に到着した。
「ここなの。いいかしら?」
「うん、とてもいい感じ」
と、私たちは店に入った。店に入るとコーヒーの湯気が漂う小さな空間があった。数人程度が座れるカウンターと小さなテーブル席が3卓あり、カウンターの中には私と同年代と思しきマスターがいた。
「いらっしゃいませ」
と、マスターはコーヒーミルのハンドルを廻しながら微笑で迎えてくれた。私たちは一番奥のテーブル席についた。
「このお店、コーヒーがすごく美味しいの。熱いコーヒーはお好きですか?」
「一日、5杯は飲むよ」
「マスター、熱いコーヒーを2つね」
と、彼女は手慣れた感じで注文し、マスターは微笑して小さくうなづいた。視線を私に戻した彼女は、
「はじめまして。あ、2回目か」
と言い、明るく笑った。
「そうだね。2回目だ。でも、はじめまして」
「お名前と年齢を教えてください。その他はいいわ」
と、彼女は清々しく言った。
「神崎良介と言います。歳は54歳。君は?」
「歳は29歳。名前はね、言うと笑うわ、きっと」
「キラキラネーム?」
「全然そうじゃないけど」
と、彼女は続けた。
丘絵梨おかえり、っていいます。はい、笑って」
「笑わない、大丈夫」
と、少し笑いをこらえると、彼女は、
「でも前の名前は違うのよ。あ、結婚とかじゃなくてね。私が高校生の時、ママが再婚してね。で、次のパパさんが、丘さん。で、丘、絵梨。うけるでしょ?」
と笑って話した。
「ちなみにママは次のパパともうまくいかなかった」
と、この不思議な出会いは、自己紹介の後にずいぶんとプライベートな話から始まった。

 少しの会話を交わしたところで、注文したコーヒーが運ばれてきた。マスターがテーブルに柔らかく置いてくれると、コーヒーの芳醇な香りが嗅覚を刺激した。
「いいお店でしょ? 落ち着くから好きなの」
「うん、ほんとに」
カウンターに戻るマスターは、にっこりとこちらを見た。
「ニューヨーク、ってお店か」
「ちがうわ。ニューヨークじゃなくて、ニュウヨウク」
「ほんとだ。ニュウヨウクだ」
私はテーブルの脇にある、店名のロゴが入ったメニューで確認した。
「ここのマスターは2代目でね。先代のマスターが、ニュウヨウクって付けちゃったみたい」
と、彼女はくすっと笑った。私はコーヒーを一口すすった。
「コーヒーもすごく美味しい」
「でしょ? でも結構するから」
と、彼女は小声で言った。私は一息入れて、ううんと軽く咳払いをして話を始めた。
「ところで、おじさんと会っていきなりお茶するって、少し不用心じゃない?」
と、自分のストーカーまがいのことは棚にあげて言った。彼女は一口コーヒーを飲んだあと、
「いい人ってわかったから。あの、ぺこり、の挨拶でね」
「でも、気を付けたほうがいいよ」
と、私は何の説得力もない馬鹿なことを言った。
「お互いにね」
と、彼女は目を少し細めて、うまく答えてくれた。
「あの日、ベランダでずっと電車を眺めていたの。世間様のお顔でも見ようかな、と思ってね。でも車内の人はみんなスマホを見て下を向いていたわ。で、神崎さんが初めて目が合った人」
「そうだったんだ。ああ、みんなスマホを持つようになって、顔を上げなくなったからね。車窓からの景色を見る人もずいぶんと少なくなった」
と言うと、彼女は、うん、と相槌程度に返事をし、足を組み替えて話を始めた。
「神崎さんって昭和何年生まれなの?」
「41年生まれ」
「41年って、丙午ひのえうまっていうんだよね?」
「うん。若いのによく知っているね?」
「ママが41年生まれなの」
子供の世代だとわかると、この状況がより不思議に思えた。
「お母さんと一緒に住んでいるの?」
「ママは、去年死んじゃったわ」
「ああ、ごめんなさい」
と、しくじったと反省した。会社でセクハラ対策講座を受講したばかりなのに。
「あ、いいの。でね、遺品の整理をしていたら、机の引き出しの中から、ママの昔の日記が出てきたのよ。前のパパ、つまり、実のパパと付き合っていた時に書いてたようなの。表紙に、1985年って書いてあったわ」
と、彼女は言った。1985年と言えばバブル期へ突入する頃だ。この後、日本は過剰な景気拡大を迎える。当時、私は大学1年生だった。
「80年代ってどうだった?」
と彼女は言い、話は展開を始めた。
「そうだなぁ、かなり面白かったんじゃないかな。エキサイティング、という表現が合っていると思う。大人はお金があって楽しかったようだし」
「バブルってやつね。豪華絢爛、悪く言えば、狂喜乱舞なイメージがするわ。でも私、80年代に興味あるのよ」
「へえ、どうして?」
と、私が問うと彼女はまた組んでいた足を入れ替えた。
「悪いけど、ママの日記を最初から最後まで読んだの」
と、彼女は続けた。
「リアル感や情熱があるって感じたわ。なんていうか、手触り感というのかなぁ。人と人との付き合いがここにあるって感じ。待ち合わせ一つとっても、何かドラマがそこにあるように感じた。私は今、パパやママが青春してた時代で生きてみたいと思ってる」
と、彼女は言った。私は、
「確かに今より街自体に活気があったと思う。みんな下を向いてないし、生の人間が主役っていう感じはあった。でもいいことばかりじゃないよ? 夜道は今より危なっかしいし、からまれることもあった。どの時代も終わってみれば美化されるものさ」
と、肯定と合わせて軽く水を差した。
「絡まれるのは嫌だけど。でも、少なくとも今より、人と人とが繋がってなかったかしら?」
「でも今は便利だよ。すぐに連絡が取りあえるし。写真でも動画でも一瞬で共有できる」
と、私が言うやいなや、
「その便利さが、味気ない社会を作っているのよ」
と、彼女は私の言葉にかぶせるように語気を強めた。
「人との連絡は簡単に取れるけど、その相手のことを考えている時間ってほんの一瞬じゃないかしら? 大切にすべき人との交信がひとつの作業になっていない? 次から次へと手のひらの中で情報が錯綜していて、まるでバイキングレストラン状態。まったく脈絡なく展開しているわ」
と、彼女はコーヒー皿の横に置いてあった水を一口飲んで続けた。
「多くの人が、つぶやきや、見せびらかしの写真で沢山の共感を取り付けて満足してる。でも実際はどうかしら? いいね、してる人達って本気で共感しているかしら? ほんの数秒でスワイプしてるじゃない。まったく無味乾燥だわ。そんな電子ツールを使った実感なんて、現実味のない見掛け倒しのインチキよ!」
と、彼女は熱を帯びて言った。
 的を得た意見と思ったが、今の時代では真向から逆行している考え方である。

 彼女はひとしきり言い終わった後、下を向いてすっかり疲れた様子を見せていた。どうしたんだい? などと、優しく声を掛けるほど野暮じゃないと思った私は、少し空気を変えようとした。
「あの、唐突だけど、佐野元春って知ってる?」
「佐野元春? 一度テレビで観たことあるわ。ロック歌手だよね?」
「うん、そう。で、その佐野さんの曲に『ハートビート』っていう曲があるんだ。そこに『何もかもインチキに見えちゃさびしいぜ』っていう歌詞がある。今、それを言いたくなった」
「ありがとう。ちょっとオーバーヒートしたわ。ごめんなさい。ひどく疲れているのよ、私。引いたよね」
と言った後、彼女は少し間をあけて、
「でもいいわね、その歌詞。佐野元春か。80年代、人気あったの?」
「あったってもんじゃない。日本では、佐野元春旋風が85年に巻き起こったんだ。一度聴いてみなよ」
「そうね、聴いてみるわ」
と、彼女は少しぬるくなったコーヒーを飲みほした。私たちはしばらく話し込み、気がつくと、とっぷりと日が暮れていた。時計をちらっと見て私は、
「連絡先を交換したいんだけど。LINE使ってるよね?」
と、緊張気味に言った。ああ、と彼女は言って、
「今、スマホは持ってないの。少し前に解約したわ。携帯ショップの人に、解約して黒電話にしたいって言ったら目を丸くされた」
と笑って話を続けた。
「でも、それまではずっとスマホを見てたわ。朝から晩まで一日中。でも、なんだかいろいろ疲れてね。で、一度、周辺をリセットしたくなってスマホを手放した。何が必要で、何が不必要かを見極めたかったの。仕事も辞めたわ。あ、これって病んでるってやつ?」
と、目を大きく開けて私を見たが、私はすぐさま手を横に振って、そんなことはないと否定した。
「自宅の電話番号を教えるわ。マスター、あれ、もらえる?」
と、彼女は両手で四角形を作ってみせた。マスターは、承知、と言って店のロゴ入り紙コースターを持ってきてくれた。
「一度やってみたかったんだ」
と、彼女は小さな革の鞄からボールペンを取り出して、紙コースターの裏に電話番号を、さっと書いた。きれいな文字だった。ボールペンはペンキャップ部分に白い模様があしらわれていた。
「モンブランのボールペンだね。マイスターシュテュックだ」
「このボールペンは実のパパの形見。あ、まだ生きてるかも。知らないけど」
と笑ったあとに、
「はい、自宅の電話番号。語呂でも覚えられるよ。ナゴヤノ、ミ、ヨ、コ、サン」
と、紙コースターを差し出した。私は受け取り、電話番号を確かめた。
「昔は電話番号をよく語呂で覚えたよ。懐かしい」
「留守番機能のない黒電話だから夜遅くはやめてね。ベルがほんと怖いから」
「うん、わかった」
と私は言って、紙コースターを胸の内ポケットにしまい、テーブルに置かれたレシートを手に取った。BM、と書かれた熱いコーヒーは1杯1,000円だった。
(ブルーマウンテンだったか)
「あ、私も出すわ。ここ高いから」
と、彼女がカウンターにいるマスターをにやりと見ると、マスターは苦笑いで答えた。そのやりとりを見ながら、私は鞄から財布を取りだそうとする彼女の手を軽く制し、2人分のコーヒー代を精算した。そしてふとカウンターの脇に目をやると、店に入った時には気づかなかったが、柔らかい布を底に敷いた小さな竹かごがあった。その竹かごには、
「スマホお預かりします。電源を切ってお入れください」
と、小さな紙のポップがあしらわれていた。マスターに話を聞くと、
「もちろん強制ではありませんが、うちの常連さんは、結構利用していただいてますね」
と微笑んだ。理由を聞くと、
「私は良質なお飲み物をご提供する、お客様はご自身で良質な時間を手にしていただく、という考えのもとです」
と、要領よく話してくれた。
 店の外に出ると、綺麗な丸い銀の月が輝いていて、月明りの下、ほんの少し立ち話をした。私は、
「一応、伝えておくよ」
と、LINEのアカウントをメモして彼女に手渡した。そして、胸の内ポケットに入れた紙コースターを指さしながら、
「近いうちに電話する。遅くない時間に」
と言い、私たちは手を小さく振って別れた。

 数日後、私たちは会う約束をした。彼女から一つだけ条件があって、それは、スマホを持って来ないようにということだった。そのため念入りに待ち合わせの場所と時間を確認したが、当日、彼女は約束の時間になっても現れなかった。どうしたものかとしばらく悩んでいたが、彼女はいそいそと小走りにやってきた。
「ごめんね、お待たせしました。わざと20分、遅れてみました。焦った?」
と言い、彼女は大きく目を開けた。
「うん、ずいぶん焦ったよ。近くに公衆電話なんてないし、どうしようかと考えてた」
「はは、やった。ママの日記にね、パパはしょっちゅう待ち合わせ時間に遅れてきたんだって。待ち合わせ場所も間違えるし、ずっと待ちぼうけの時もあったって。で、待ちぼうけしていると、知らない人に沢山声を掛けられた、とか書いてあった。いわゆるナンパってやつ? でも、なんかそういうの、いいよね!」
と、彼女は嬉しそうに言い、
「次からは遅れないわ」
とも言った。
 私たちは約束していた、しながわ水族館に向かった。入場券は「コーヒーのお返しよ」と彼女が買ってくれた。館内に入り水槽を眺めながらしばらく歩いていた時、彼女はある風変りなフォルムの魚に視線を向けた。
「あの、おでこが出ている魚、なんていうんだろ?」
「ナポレオンフィッシュ、っていうよ」
「魚、詳しいの?」
「佐野元春ファンなら、必ず知ってる魚さ」
と、魚には全く詳しくないが自慢げに答えた。館内はにわかに家族連れやカップルでいっぱいになってきており、薄暗い照明でもあった。彼女は、
「なんだか、はぐれそうね」
と心配そうに言い、軽く私の肘に手をかけてきた。
 私たちは2時間ほど魚を鑑賞した後、しながわ水族館から日の出桟橋へと足を運び、水上バスに乗った。5月の晴れた午後は群青色の空が高く、私たちは船の上で潮風に吹かれた。
 くつろぐ彼女の優しい笑顔がまばゆく映り、彼女の悩みはたちまち消えていくように見えた。

 その後も私たちは幾度となく休日を一緒に過ごしていた。
 季節は夏になって、これまでの夏とは桁違いな陽射しの厳しさを感じるある日、私たちはニュウヨウクで会っていた。店内ではスティーヴン・ビショップの「Carelessケアレス」が流れており、物憂げな名曲がコーヒー豆の焙煎の香りと混ざっていた。私たちは他愛もない話で盛り上がった後、私は彼女と最初に交わした会話に触れた。
「最初に会った時に君が言ってたこと、このあいだから考えていたんだ。スマホという究極のツールで、今や人はいろんな恩恵を手に入れている。情報、利便性、経済性、娯楽など計り知れない。ただ、同時に私たちは一体、何を失ったのだろうかと」
「なんだった? 聞かせて欲しい」
と、彼女は身を乗り出した。私は咳払いをして話し出した。
「いろんな表現ができるんだけどね。大きくは3つになる」
と、軽く前置きをして続けた。
「まず1つ目は、、だ」
「和?」
「うん。人は容易に時間と場所を制限されることなく、完全に個人化された空間を持ち得てしまった。そこかしこでうつむく姿は、和の分断の象徴だ。その象徴の姿は、これまで世間に普通に存在した、見知らぬ人同士の空気感や一体感、連帯感を破壊した。その結果、世間が急速に矮小わいしょう化し、人と人とのふれあいが劇的に減少してしまった。そしてそれは、人々の和の中で共有体験として生まれていた、喜び、感動、興奮、情緒、風情などの心情を大きく損なわせてしまった」
「そう思うわ。誰かのよそ見している姿には、しらける」
と、彼女は相槌を入れた。
「2つ目は、良質な孤独だ。良質な孤独は人を成長させて、そして熟成させる。しかし、その逆も然りだ。私が特に懸念しているのは、若者から哲学の時間、平たく言い換えれば、何もしない時間、が搾取されてしまっていることだ」
「うん。みんないつも、何か遠くのところに、つながろうとしてる」
「最後の3つ目は、エネルギーだ。言わばデジタルネットワークはバーチャルな世界と言っていい。人は自宅の外に居ながら地面下に潜ってしまった。そして時間さえあれば、手のひらの中で、他人への同情と攻撃を始めた。人間本来の直接的なエネルギーが減衰して、私たちはリアルな社会において、大きな声を失った」
と、私は頭にあったことを一気に話した。
「つまり、これまで人が大切にしてきたことを、躊躇なく捨ててしまったということね。それは寂しいことよ」
と、賢い彼女は要約した。私はまだ熱を帯びていた。
「スマホはデジタルネットワークの末端に位置するデバイスだ。デジタルネットワークの世界は、今こうしている間にも知能指数の高い一部の連中が、巧妙にデザインしている。彼らは『何も不安がるな。悪いようにはしない』って。そして私たち一般人のほとんどは無自覚に彼らを歓迎している。そしてもはやこの状況は永久に不可逆性のものだ」
と私は話し、渇いた口を水で潤した。彼女は、
「失ったものが大き過ぎるわ。人はどこに向かおうとしているのかしら?」
と聞いた。私は少し考えてこう答えた。
「言うなれば、完璧な世界、か。人間なんてみんな馬鹿さ」
彼女は無言で頷き、この話はこれで切り上げた。
 私はいつになく多弁になっていた。

 その後はしばらく、他愛もない話を続けていた。そんな時、すっと彼女は足を組み替えた。話が急展開する予感がした。
「伝えないといけないんだけど。神崎さん、私、もうすぐ遠くに引っ越しするの。前から決めてたんだけど」
「えっ、どこに行くの?」
と、私は動揺を懸命に抑えながら彼女に聞いた。
「それは秘密にさせて欲しいの。仕事先も決めたわ」
(詮索してはいけない)
と、狼狽うろたえる気持ちが出るのを踏ん張っていたら、彼女は、
「いつかまた連絡するわ。引っ越しして、働きだす前に少し時間があるから、短い旅でもしてくるわ。パリよ」
コロナ禍で長い期間、海外渡航は禁止されていたが、開発されたワクチンが効果的に働き、海外渡航禁止が解除されていた。
「実のパパがパリにいるってわかってね。で、連絡が取れたのよ。それで行ってくる。パリでカフェするわ。そして佐野さんの『月と専制君主』を口ずさむの。『カフェ・ボヘミヤ』よ!」
と、彼女は潤んだ目をして言った。店内では、クリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」が流れており、ふたりが注文したアイスコーヒーの氷はすでに溶けていた。
「やだ、雨だわ。強い雨…」
「大丈夫、傘は持ってきてる。帰りは送ってくよ」
 彼女は数日後、引っ越しをして、パリに旅立った。

10

 それから月日が経過して、10月になっていた。ある日、テーブルの上のスマホが震え、見ると「ファイティング80エイティー」というLINEグループができていた。そこには、招待通知が届いており、彼女だとすぐにわかったので、急ぎ参加した。しばらくしてメッセージが画面に表示され始めた。
「絵梨です。お元気ですか?」
「スマホ持ちました」
「スタートラインに立ってギヤを入れ直すことができました」
「現実にうまく折り合いをつけながら生きていきます」
「『うまくやるんだ。でもうまくやり過ぎるな』を、モットーに」
と、ピコピコの着信音とともに次々に書き込まれた。私は、
「それがいいよ。でもそんな肩に力入れないで」
と書き込んだ。その後もっと気の利いたことを書こうと欲を出したせいでもたついた。彼女の書き込みが続いた。
「佐野さんを教えてくれてよかった」
「佐野さんの唄は今の私にとって言葉の宝石箱のようです」
私は立て続けの書き込みに圧倒されていた。
「そしてなにより」
「良ちゃんに会えてよかった」
「わたしの手はポケットの中だけど」
「さようなら」
と、最後はウミガメの可愛いスタンプが手を振っていた。そして彼女はLINEグループから退会した。私のスマホにはまだ書きかけの言葉が残っていた。一息ついて私は残りの言葉を打ち込み、彼女が読むことのないLINEグループに書き込んだ。

11

 それから2か月が経過して、12月31日大みそかを迎えていた。私は家の掃除を簡単に終え、新年を迎えるための準備をしていた。あの日以来、彼女からの連絡は入らず、後ろ髪をひかれたが、私はようやくLINEグループを退会した。
(いい夢を見た、ということか)
久しぶりに、別居中の妻に連絡を取ろうとスマホを手に取った。妻とのLINEの最後の交信は半年前だった。
「近いうちに会わないか?」
と書き込んだ。しばらくして、「既読」と表示され、数分後、
「はい」
と短い返事が来た。
(俺もギヤを入れ直してリスタートだ!)
日が暮れて大みそかの夜。除夜の鐘が遠くで聞こえる。私はいつもの晩酌はせずに、古今亭志ん朝の「芝浜」を聴いていた。さげ(オチ)がきた。

女房「今晩はお酒呑んでいいじゃありませんの」
熊公「そうだな。でも呑むのはやめておこう」
女房「どうしてだい?」
熊公「また夢になるといけねえ」
観客(大拍手)
志ん朝「お忘れものないように」




 木埜は旧友との数分間の電話で、短編小説「或る、春の日」を紙面で旧友に郵送する段取りをつけた。電話の後、木埜はパソコンの中の小説をB5サイズ用紙に印刷して、小冊子に製本した。その後、小冊子は翌々日に旧友のもとへと届けられた。
 そして、この小説に別のドラマが生まれるのは、それから10年の長い月日が流れた、2031年の冬であった。


【第2幕】 最後の手紙

 深夜零時を過ぎ、除夜の鐘の響きとともに、2031年が幕を開けた。今から11年前の2020年から始まった新型コロナ騒動は、ワクチンと治療薬の両輪が世界中で整備されはじめ、ようやく沈静化を迎えた。
 人の移動が活発化され、各国の国際線空港ロビーは、様々な人種で賑わいを取り戻し始めた。行政、法律、医療体制など各方面の懸命な努力によって、人々はようやく安心して生活できるようになった。しかしながら、このコロナ禍で人類が負った傷は大きく、総じて人間社会は、コロナ禍前のようにうまくいかなくなった。そんなご時世である。
 私の名前は「野上俊行のがみとしゆき」という。昭和41年生まれ、今年で65歳になる。新人類と呼ばれた私たちの世代も、いよいよシニア世代に差し掛かった。昭和はすでに遥か彼方の遠い時代となり、どうやら私たち新人類も、旧人類の分類となっているのであろう。
 そんな私は今、東京の自宅の小部屋で机に向かい、れたてのコーヒーを味わいながら、思いにふけっている。机の上には使い慣れた文具と、お気に入りの文庫本、そして、B5サイズのある小冊子が置かれている。
 その小冊子は「或る、春の日」と題された短編小説である。長辺じになっており、右端には黒い製本テープが貼られている。特に保管に気を付けていたわけではないが、状態はおおむね良好である。毎年花粉が行き交う春になると、不思議と読み返したくなって、この小説は私の愛読書になっていた。
 あの日からはや10年が経過した。10年前(2021年)の春に小説の筆者「木埜誠也きのせいや」から電話があったのだ。私のスマホが震え、取って耳をあてると、懐かしい声が聞こえてきた。
「野上か? 木埜だ。久しぶりだな」
「電話とは珍しい。どうした?」
「唐突だが、しばらくぶりに短編小説を書いてみた」
「おお、短編小説か。懐かしい、昔はよく読ませてもらった」
「ああ、そうだったな。で、どうだ、読んでみるか?」
「もちろん読ませて欲しい。どんな内容だ?」
「男女の淡いラブストーリーフィクションだ。テーマは、再生、だ」
 そんな簡単なやりとりであったと記憶している。
 木埜の文章は平明で読み易く、また、上手に言葉をもじったりして愉快だった。彼は自分が経験した出来事をモチーフに、イメージを巧みに広げてフィクションにするのを得意としていた。
 私は彼とは東京の大学時代からの友人である。2人はともにイタリア語を専攻していた。お互いクラシカルな映画が好きで意気投合し、レンタルビデオショップで映画ビデオテープをよく借りた。彼はとくにシニカル(冷笑的)な作品が好きだった。一緒に酒を飲みながら鑑賞し、時には、愛とか自由について語りあうこともあった。
 2人は大学を卒業してともに東京で就職した。年に1度か2度、酒をみ交わす機会が続いていたが、次第に会うこともなくなっていった。そして気づくと旧友の仲は全く疎遠になっていた。
 時は流れ、世の中のデジタル化が進み、世の大勢がパソコンやスマホを持つようになった。インターネットや電子メールが社会インフラとなり、人はこぞってデジタル網の中で知人や友人を探し始めた。
 そんな中、私の友人連中の間にも10数人程度の友人LINEグループが出来た。どうにか木埜も参加していた。しかし、どこか控えめであった彼は、一度もメッセージを書き込むことはなかった。
 そして10年前の春、彼は私に小説「或る、春の日」を送り届けた後、友人LINEグループから姿を消した。
「諸事情により退会します」
と、彼は最初で最後のメッセージを書き込んだ。そして、彼はその後すぐに携帯電話を解約していた。
 私は折にふれて木埜のことを思い起こすことはあったが、日々の仕事と、うすのろな生活を乗り越えるのに精一杯で、彼のことをしっかりと気に留める余裕はなかった。おそらく他の彼の友人たちもそうだろう。それ以来、彼の消息を知る者はいなかった。
 今、彼はどこで何をして、何を考えているのだろう。

 先月、私は定年退職を迎え、サラリーマン人生(42年)を終えた。サラリーマンドラマのようにドラマチックではなかったが、なんとかまともに会社人生を終えることができた。これからの人生、どんなオチがついても、選んできた道には花を飾りたい。あと幾年の寿命が残っているか定かではないが、これまで我慢してきたことを楽しみたい。心に掛かることは払拭したい。退職する間際から沸々とそうした気持ちが芽生えていた。
 私は密かに思っていた。旧友「木埜誠也」の消息を尋ねてみようと。彼は孤独と上手に付き合える男であったが、旧友と久しぶりに会うのもそう悪くなかろう。とにかく動いてみよう。幸い、時間はたっぷりとある。
 そう考えていた私であったが、彼に関するものは学生時代の彼との数枚の写真と、長女が産まれたという知らせが記されている、彼からの古い年賀状が1枚あるだけだった。風の便りで彼は東京を離れていると耳にしていたが、彼のことで覚えていることも少なくなり、勤めていた会社、故郷は青森で大学進学時に上京したという程度だった。そこで私は、これまで世話になったことはなかったが、興信所を訪ねて木埜の消息調査を依頼することにした。
 そして数日後の夜、興信所から木埜の衝撃な情報が入った。

 結論から言うと、木埜は半月前に亡くなっていた。興信所によると、彼は故郷の青森に10年ほど前に戻っており、ひとり暮らしをしていたようだ。ショッキングな情報に狼狽うろたえはしたが、木埜の住所と長女の連絡先を入手することができた。長女は結婚して姓を「菊池」とかえ、秋田に居住しているようだった。
 明朝、少しばかり震える手で私は長女に電話をした。古くからの友人であること、10年前から行方がわからないで、気掛かりでいたということを話した。長女は冷静に私の話を聞きながら、優しく応対してくれた。
 長女の話では木埜は職場で倒れ、運ばれた病院で亡くなったということだった。葬儀は身内だけで済ませたが、遺族が遠方に居住のため、まだ木埜の住まいには出向けておらず、賃貸住宅の解約、遺品の整理ができずにいたようだ。そしてようやく明日、木埜の住んでいたアパートに向かうということであった。
 私は無理なお願いと承知しながら、私も立ち会わせてほしいとお願いした。唐突な話にもかかわらず、長女は快く承諾してくれた。
 思いも寄らぬ展開に胸の鼓動が早い。明日、青森に向かおう。

 妻には小説をもとに木埜の話と状況を説明し、アパートへの同行者は、木埜の一人息子だと説明して了解を得た。翌日、早朝の飛行機で青森に向かった。青森は初めての訪問だった。地球の温暖化がなお一層に進み、冬でも時には厳しい日射しがあったが、降り立った青森は、やはり雪国であった。
 長女とは青森空港の近くにある、大手カフェ店で待ち合わせることにした。青森の雪道をそろそろと歩き、待ち合わせ時間より少し早い時間に着いた。コーヒーを注文して店内の奥のテーブルにつき、そして木埜との古い思い出をあれこれと巡らせながら、鞄に入れて持ってきた小説「或る、春の日」を取り出し、読み返していた。
 しばらくすると、時間どおりに長女と思しき女性が現れた。私は自分の特徴と服の色と形を伝えていたので、女性は私を見つけてゆっくりと近づいてきた。歳は30歳前後、肩までの黒髪で、目鼻立ちがよいスマートな女性であった。そして、私がちょうど小説を鞄の中に収めた時、女性は私の目の前で足を止めた。
「はじめまして。野上さんですね。お待たせしました」
と、女性は頭を下げて挨拶をした。
「いえ、私もさきほど来たところです」
「実は長女の姉に急遽どうしても外せない用事が入ってしまいました。姉から次女の私に連絡が入り、私が参った次第です。私は赤井と申します」
と、申し訳なさそうに話した。姓がかわっているので、次女も結婚されているのであろう。
「そうですか、それは急なことで大変でしたね。ご姉妹がいらしたのですね」
と私は言い、ポケットの中のスマホを出して見ると、不在着信が2件入っていた。おそらく長女からだろう。
「はい、姉と私のふたり姉妹です」
と、次女は答えた。私は自己紹介と、あらためて、木埜との関係を話した。次女も目を私にしっかり向けて、優しく聞き入ってくれた。私からの話を終え、私たちは店外に出た。
 私たちは木埜が住んでいたアパートにタクシーで向かった。移動するタクシーの中で、次女は前方に視線を置きながら、木埜の昔からの話を始めた。
「父と母は故郷の青森で、高校生の時からの付き合いでした。2人とも大学進学時に上京したようです。そして、大学を卒業して数年後に結婚しました。なかなか子供に恵まれなかったようです。私たち姉妹は遅い子供でした」
「そうですか」
「私が小学校の高学年の頃には、父と母は口論が多かったのを覚えています。そして私が高校生になった頃から、父と母は別居を始めました。父が家を出て東京でひとり暮らしを始めました。あ、随分と不毛な話ですみません」
と、次女は頭を下げた。
「いえ、とんでもないです」
と、私も申し訳なく言った。次女は一度外を眺めて、また視線を前方に戻して話を続けた。
「そして別居が3年ほど続きました。何度か復縁して同居する話もあったようですが、今から11年前の2020年、ちょうどコロナ禍が始まった年のある夏の日に、2人は正式に離婚しました」
「ああ」
「そしてほどなく、父は青森に引っ越し、母と姉、私の3人は、母の叔母がいる秋田に引っ越しました。姉と私は秋田で就職して働き始めました。ああ、ややこしいですね、すみません」
と、次女はまた頭を下げた。
「いえ、そんなことありません」
と、今度は私も頭を下げた。話したくもない話をさせてしまっているようで、私は自分を責めた。
「父と母は離婚するまでは、時折、手紙でのやりとりはあったようですが、姉と私は父が別居してからは、ほとんど接触はありませんでした。そしてそんな中、半月前に思いも寄らぬ連絡を受けたのです」
と、次女は重い口調で話し、横を向いて窓の外に視線を向けた。そのあと私と次女はタクシーの中で無言でいた。
 私は次女の横顔越しに青森の景色を眺めていた。

 20分ほどするとアパートに到着した。アパートの入り口で大家さんが待っていてくれて、私たちに立ち会ってくれた。案内してもらい玄関の扉をあけた。玄関にはマロン色の洒落たチロリアンシューズがあり、2DK(和室6畳間)の部屋には彼が読んでいた書籍、映画ビデオテープ、DVDなどが沢山あった。
(本や映画の趣味、変わってないな)
と私は思った。そして綺麗に片付いた部屋は、彼が几帳面な性格であったことを思い出させてくれた。
 感傷にひたる時間もなく、私たちは早速、遺品の確認と整理を始めた。そして、しばらくの時間が経過した時、次女は小さな机の胸の引き出しを開けて、手を探り入れた。
「ん? これ何かしら? 紙コースター?」
と、次女は手に取って不思議そうに言った。台所にいた私は目を大きく見開いて振り返り、
「か、紙コースタァー!?」
と、すっとんきょうな大きな声を出した。
「び、びっくりしたぁ…」
と、次女は私の声に驚き、紙コースターの裏面を見て、続けた。
「名前と電話番号が書いてあるわ。電話番号は読めるけど、名前の文字がれて読みづらい」
「お、おかえり、おかえり、だ…」
と、わなわなと震えた声で私は言いながら、次女に近づいた。
「おかえり?」
と、次女は眉間を寄せ、大きな目を細めて私を見た。私は、
「紙コースターはリアルな現実だったんだ、ちょ、ちょっと貸して!」
と、次女から紙コースターを渡してもらうと、私は胸の内ポケットからルーペを取り出して、名前部分を凝視した。
「文字が薄くなって読みづらいが、でも、丘絵梨おかえりじゃないな…。? ?」
「ゆ、い? ま、こ?」
と、次女が復唱して首をひねったときに、私は、
「あっ、わかった…。唯井ゆいじゃない! 唯井ただいだ、唯井ただいだ! 唯井真ただいま子だぁっ!」
と、紙コースターを左手で高々とあげ、大きな声で叫んだ。
 次女と一緒に大家さんも私の声に驚き、2人は不思議そうに私を見ていた。

「この件はあとで話すよ」
と私は言って、紙コースターを胸の内ポケットに入れた。
 私たちは引き続き、遺品の確認と整理を進めた。その後おおよその目途がついて、印鑑や銀行通帳などの貴重品は次女が持ち帰り、家具や沢山の書籍、映画ビデオテープ、DVDなどは処分してもらうように、大家さんに頼むことにした。木埜は生前、大家さんと親交があったようで、大家さんは快く引き受けてくれた。私は次女に厚かましいお願いと承知しながら、ある映画のDVD1枚を譲ってくれるようにお願いした。次女は快く承諾してくれて、形見分けをしてくれた。
 アパートの諸手続きを済ませ、大家さんには謝礼と粗大ごみの廃棄料金を手渡し、お礼を言った。最後に部屋を見届けて、私たちはアパートを出た。すでに夕方近くになっており、雪国はもう日が暮れていた。2人はどっと疲れていたので、アパート近くの喫茶店に入って休むことにした。
「お金たくさん出していただいてすみません。ありがとうございました」
と、次女は申し訳なさそうに言った。
「いや、こんなことぐらいしかできないけど」
と、私は一口コーヒーをすすりながら答えた。
「ところで、紙コースターとか、おかえり、とかって何ですか?」
と、次女は少し身を乗り出しながら私に言った。
「ああ、ごめんなさい。まだ言ってなかったけど、これ、読んでもらっていいかな?」
と、私は小説「或る、春の日」のことを話し、鞄から小説を取り出して手渡した。
「これ、父が書いたのですか?」
と、次女は父親の知らない一面を見たように言った。
 次女は真剣な面持ちで読み始め、およそ20分で読み終えた。次女の注文したホットミルクティーは湯気もなくなり、すっかりぬるくなっているようだった。次女は小説をテーブルにおいて、
「一人息子ではないけど、東急東横線、趣味、話す雰囲気とか、小説内の語り手の男性は、うちの父を強く想起しますね」
と、私に言った。そしてすぐ後、
「でもなに? この淡いラブな感じ。これってパパの恋愛ノンフィクションじゃないの!?」
と、ぶっきらぼうにつぶやいた。顔が幾分、紅潮しているように見えた。
「いや、この小説を届けてもらった時に、彼はあくまでフィクションだと強調していたよ」
と、私はなぜか木埜を弁護するように言った。
「おかえり、と、ただいまこ、ねぇ…。昭和の親父ギャグか!?」
と、次女は小説に視線を向けてまた呟き、「丘絵梨」(唯井真子)の存在に動揺する様子を見せていた。

 私は何かしら罪悪感のようなものを感じていたが、私たちはひとまず飲み物を飲んで一息ついていた。
 しばらくして、私は胸の内ポケットにしまっていた紙コースターを取り出した。紙コースターの表には「ロスアンゼルス」という、喫茶店と思しきロゴが薄く残っていた。そして、その裏に書いてある電話番号は、番号からして携帯電話番号のようだったが、おそらく小説の中の「丘絵梨」の電話番号だと思った。
 次女は長女に、この「丘絵梨」「唯井真子」のことをLINEで連絡した。そして、私と彼女たちは相談の上、この電話番号に電話を掛けてみることにした。緊張して電話をしたが、10年も前の電話番号でもあったため、
「この電話番号は現在使われておりません」
と、予想通りの音声メッセージが流れた。
 素人の私たちにとっては、ここからは進ませようがなく、彼女たちの意思も確認したうえで、再度、前回と同じ興信所に依頼することにした。興信所に「唯井真子」の名前と、紙コースターに書いてある電話番号をLINEで伝えた。しばらくすると興信所から「調査に数日程度かかる可能性があります」という返事が来た。
 私と次女はその後、喫茶店で軽く食事をして一旦別れた。次女は秋田に戻り、私はいく日か青森に滞在して興信所からの連絡を待つことにした。そして寝不足が続く4日目の夜、興信所から連絡が入った。
 唯井真ただいま子。
 どうやら、石川県加賀市で九谷焼の工房を経営しているオーナーではないか、ということだった。数年前に東京の東急東横線沿線の住宅地から石川県加賀市に移住して「ただいま工房」を運営している、とのことであった。私は移住前の住居地から、彼女(唯井真子)が「丘絵梨」であると確信を持った。
 明朝、私は次女にLINEで連絡をした。すると次女から、
「その方と会って話がしたいです。私は1週間ほど大丈夫です。姉は所用で行けません」
と、すぐさま返信が来た。私は急ぎ、ただいま工房に電話を入れた。唯井は大阪に個展で工房を出払っていたため、私は電話応対してくれた工房の男性スタッフに事情を説明した。男性スタッフは唯井に連絡をとってくれて、私と次女は唯井が工房に戻ってくる日(2日後)に、工房を訪問する許しを得た。私はすぐさま次女に連絡をとり、2日後、(石川県小松市)小松空港の空港ロビーで午後2時に待ち合わせることになった。
 私はその夜、妻にLINEでこれまでの経緯と状況を長々と伝え、明後日、石川県に移動すると連絡をした。
 明朝に「既読」と表示され、数分後、カワウソが驚いている可愛いスタンプが、ひとつ送られてきた。

 石川県は学生時代に訪れて以来2度目の訪問だった。金沢市の近江町市場で食べた甘えびの味が旅の思い出だ。
 当日の北陸の地はよく晴れていた。次女と会い、小松空港からタクシーで「ただいま工房」に向かった。工房はタクシーで小一時間ほどの山間にあった。工房に到着して私たちは小さな事務所のベルを押し、工房の男性スタッフに案内されて事務所内に入った。事務所内には陶器の作品がテーブルの上に並べられ、直販売もされていた。どの作品にもタイトルが記してあり、直筆でその作品の説明が綺麗な文字で書かれていた。いずれも「作者 唯井真子」とあった。
 私たちが10分ほどソファーに座って待っていた時、唯井と思しき女性が額の汗をタオルで抑え拭きしながら、事務所に現れた。
「大変お待たせいたしました。唯井です」
と、女性は挨拶をした。歳は40代の頃であろうか、黒髪をひとつに束ねた大変美しい女性であった。
「はじめまして。お忙しいところ申し訳ありません」
と私は言い、次女は私に合わせて頭を下げて挨拶をした。唯井は、
「簡単に話は聞きました。木埜さんとは昔、親しくしていただいていました」
と言った。私たちは自己紹介をして、今回の訪問の経緯をあらためて説明をした。唯井は、
「わかりました。お嬢さんが折角ここまでいらしているんですもの、私が知っている木埜さんのことを、思い出す限り正しくお話しします。ただ、ここからは少し、不躾ぶしつけをお許しいただけますか?」
と、彼女は言って続けた。
「ごめんなさい、私、敬語とかそういうの苦手なのよ。一般社会に不適合な人間ってやつ?」
と、彼女は明るく笑った。
「木埜さん、お亡くなりになったのね。本当に驚いたわ。それは誠にご愁傷様です」
と、彼女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
と、次女も真顔で答えて頭を下げた。
「当時、木埜さんとはいろんな話をしたわ」
と、唯井は足を組んで言った。私はまず、小説「或る、春の日」の話をして彼女に小説を手渡した。わぁ、と彼女は少し驚いたように言って、
「私と出会ってね、彼はいつか私とのことを小説にしたいって、言っていたわ」
と、彼女は足を組み替えて、小説を読み始めた。
(ぶふっ、ぶふっ、ぶふっ)
と何度も笑い、20分ほどで彼女は読み終えた。
「面白かったわ。そして、佐野元春フリーク全開ってところね」
と、まずは簡単な感想を言って、小説をテーブルの上に置いた。私は次女から「会話を進行して欲しい」と言われていたので、軽く咳払いを入れて話を切り出した。
「木埜とはどういう経緯でお知り合いになったのでしょうか?」
と、まずは聞いた。唯井は足を組み替えて、話を始めた。
「コロナ禍が始まった年、今から11年前の2020年の春だったわ。出会いは電車の中だった。彼が茶色の手帳をどさっと車内で落としたのよ」
と、彼女は言った。次女の顔がわずかに曇ったのがわかった。
「そうだったんですね」
「その時にね、手帳から何かのレシートがさんざんに散らばったのよ。で、彼と一緒に私も拾ってあげたの。すると、思いのほかすごく喜んでくれてね。電車の中で私だけが拾ってあげたからかしら。他の人はみんなスマホを見て知らん顔な感じだったから。で、いわゆるナンパってやつ? 彼が『ティーでもドリンクしませんか?』って。この昭和レトロな言葉には、うけた」
と、言って笑った。すると次女が、
「えっ、父からあなたをお茶に誘ったんですか!? 小説ではあなたからうまく父を誘っているじゃないですか!?」
と、身を乗り出し、語気を荒くして言った。唯井は、
「今時、電車内で女性に声を掛ける人って珍しいなと思ってね。でもなんか、いい人そうだなと思って。お話とかしてもいいかなって。おしゃれさんだったし」
と、明るく次女に向けて言った。私は、ふたりに軽く目をやり、会話を進めた。
「小説では、ベランダで電車を眺めるあなたと目が合ったって、印象的なシーンに書いていましたね」
と唯井に聞いた。彼女は、
「彼って映画が大好きだったじゃない?」
「ええ、相当好きだったですね」
「あの場面、なにかの映画のワンシーンに似ていない?」
と、眉間をよせた。私もあの描写には気づいていた。
「Shall we ダンス?」
「ああ、それ、それ! その映画のオマージュよ、きっと」
と、彼女は少し泥が残っている指で私を指さし、続けて、
「で、学芸大学駅を出て、喫茶店でお茶した」
と言った。次女はまた間髪入れず、
「ああ、あなたのお気に入りの喫茶店ですよね? でも1杯1,000円のコーヒーなんて、さぞ父も驚いたと思いますよ?」
と、今度は嫌味っぽく薄い笑顔で言った。唯井は微笑しながら、
「喫茶店は彼の馴染みのお店よ。あの当時でも珍しい喫煙可能なお店でね。紫煙が充満してたわよ。コーヒーは安いけど美味しくなかった。喫茶店の名前はね『ロスアンゼルス』だったかな」
と、彼女は店名の記憶まで正確だった。私は胸の内ポケットから紙コースターを取り出して、
「そしてあなたは、この紙コースターに電話番号を書いた」
と言って彼女に見せると、わぁ懐かしい、それよ、それよ、と嬉しそうに言った。すると次女は、
「ああっ、それは私が見つけたんです! あ、あなたは病んでスマホ手放したのに、そのくせ、やっぱり父には電話して欲しかったから、それに電話番号を書いたんですよねっ!」
と、次女の頭の中は、現実と小説フィクションの混乱がピークに達していた。
「まさか」
と、唯井は軽く笑って、
「当然スマホは持っていたし、病んでもなかったわよ。でも彼が『一度やってみたかったんだ』って言ってね、私の携帯電話番号を紙コースターに書いてほしいって」
「もう、ぜんっぜん、違うじゃないっ!」
と、次女はテーブルの上の小説をバーンと叩き、木埜に憤慨した。
(いや、これはフィクションの小説だから…)
と、私は聴こえないほどの小声で次女にささやき、同時に木埜のフィクション小説の巧な技に感心していた。

 しばらくの会話と時間が経過した。唯井はふぅっと軽く息を吐き、次女も私も、それに合わせるようにふぅっと息を吐いた。興奮気味だった次女も、ようやく冷静になってきているように見えた。そんな時にふと、唯井はテーブルの上を見て声をあげた。
「やだ、ごめんなさい、お茶もお出ししてないじゃない!?」
と、彼女は男性スタッフに向けて声を掛けた。もうしっかりしてよ、と声を足した。「これは失礼しました」と、男性スタッフが慌ててお茶を持ってきてくれた。事務所内に案内してくれたスタッフで、先日、電話応対してくれた人であろう。
「気がつかなくてごめんなさい、どうぞ粗茶ですが」
と、唯井は続けた。
「紹介しますね。来年、結婚する予定です、この人と」
「はじめまして、石野と申します」
と、男性スタッフは頭を下げた。
(石野さん、か)
と私は思い、一口お茶をすすって話を再開した。
「真子さんは、木埜とはどういうお付き合いだったのでしょうか?」
と、私はさながら芸能リポーターのような気持ちになっていた。唯井は、
「ロスアンゼルスで会うことが一番多かったわ。ただ、書いているように何度か外に出かけた。日の出桟橋が一番いい思い出よ。スマホを持ってこないように言われてね。あえてスマホを持たない外出って、新鮮な体験だったわ」
と言い、お茶を口にした。次女は、
「小説では、そこであなたの悩みが消えてくように書かれてますが、父に悩みがあったんですよね、きっと」
と、冷静な口調で言って、ゆっくりお茶を口にした。次女も感じをつかんできているようだった。
「そうね。でも悩んでいたというより、彼は憂いていたわ。この国のことを」
「この国のこと?」
「そうよ。この小説は一見、私と彼とのラブストーリーに見えるけど、そうじゃないわ。この小説はこの国への憂いと嘆きのストーリーよ。彼は行き過ぎたデジタル社会と、手のひらの中で無自覚に分断されている世の中を、本当に憂いていたわ。そう、彼は、炭鉱のカナリア、だったのよ」
と、彼女は言った。私は、
「小説では、真子さんもこの社会を嘆いているように書かれていますが」
と聞いた。すると彼女は眉をあげて、
「いえ、それはないわ。だって私たちの世代は物心ついたときには、すでにGoogleの検索窓はあったもの。デジタル社会を抵抗なく受け入れているわ。嘆いたところで悲しくなるだけだし、一個人ではどうしようもない。時代にアジャストするのが大切だと思ってる。何も考えてないのではなく、本能的にそう理解していると思いたいわ。そうだわよねえ? 赤井さ…」
と、言いかけた途中で、言いなおし始めた。
「赤井さんじゃ、よそよそしいわね。下の名前、教えてもらっていいかしら? その他はいいわ」
と言った。次女は、
「笑われるから、言いたくないんですけど」
と、前置きをして、
「りんご、と言います。赤井りんご、です。はい、笑ってください」
と、照れくさく言った。ああ、故郷の青森にちなんで、と私が言うと、
「それがね、ちがうんですよ。なんか、父が好きだった80年代の青春学園ドラマがあって、その主人公の女性の役名が『りんご』だったみたいです。ちなみに、私の姉の名前もそんな感じです」
と、次女はあきれたように言った。
(『翔んだライバル』辻沢きょう子、か。長女のはなんだろうか?)
と私は思い、学生時代の写真に写っていた、木埜のちょっと変な笑顔を思い浮かべていた。

10

 名前が空気を和ませることがあるのか知らないが、1時間も経つと女性ふたりは会話も弾み、すっかり打ち解けていた。そんなやわらいだ空気の中、次女はすうっと一息吸った。
「それと、これは思い切って聞いていいですか?」
と、ふっと神妙な顔つきになって、次女は言った。
「父と真子さんは、その、深い仲だったのでしょうか?」
と、次女は本当に知りたかったことをずばり聞いた。ああ、と唯井は言い、
「ご息女の前で、野暮なことはいいたくはないけれど」
と言って、続けた。
「私と彼はお互い好意を持っていたわ。で、ある夏の日の強い雨が降った昼下がりにね、私は、不倫は嫌だよ、と彼に言ったの。でも彼は、これは不倫ではない、とはっきり答えたのよ」
と、次女の顔をしっかり見て言った。次女は一瞬顔が曇ったが、すぐに明るく笑みを浮かべた。
「わかりました。真子さんとお話ができてよかったです。別居の父とは疎遠でしたが、ほんの少し、父と近づけた気がします。ありがとうございました」
と、次女は清々しく言って頭を下げた。私はもう何も言うことはなかった。唯井は、
「人はみな叩けば埃が立つわ。それは私もそうよ。彼と知り合ってそして別れたのは10年前。その後、10年も経過してるじゃない。その後も彼にはいろんな人生があったはずよ。人生には、いろいろあるわよ」
と言った。横に目をうつすと、間をあけて座っていた石野さんの体が、心なしか硬くなっているように見えた。
ひとしきり話も終わり、気づくと、もう日が暮れかけようとしていた。
「そろそろ失礼させていただきましょうか」
と私は言って、次女とソファーから立ち上がった。唯井もソファーから立ち上がって、
「りんごさん。誠也さんへのお供えの品として、お受け取りくださるかしら? 以前、彼のことを思って作りました」
と言うと、石野さんが小さな木箱に入った陶器を持ってきてくれた。次女は一度、遠慮したが、
「では、ありがたくいただきますね」
と言って、笑顔で受け取った。
「近くまで来ることがあったら、また寄ってくださいね」
と、唯井は笑顔で言って手を小さく振った。私と次女は丁重に頭を下げて挨拶をして、工房を後にした。

11

 帰りのタクシーの中、次女は「まだ時間大丈夫ですか?」と言って、私を夕食に誘った。
 私たちは小松市市街地の小料理屋に入り、個室に通された。ふたりは喉が渇いていたのでビールを頼んだ。私も次女も、まずはビールをぐいと1杯、2杯と飲みほした。次女は、ふぅっと息を吐いてグラスをどんと置き、
「やっぱりママと時期が重なっていたわ。まったく男ってどうしょうもないわねっ!」
と、腕組みをしてふんっと鼻から息を勢いよく出し、眉間を寄せた。
「でも、木埜は嘘はつかないと思うよ? 離婚した後の、その関係だと思うよ」
と、私は何の根拠もないことを言った。
「どうだか」
と次女は言って、またぐいと3杯目のビールを飲みほした。そして少しの沈黙が流れた後、次女が口を開いた。
「それにしても、真子さんて本当に綺麗な人でしたよねぇ。かっこいいし」
「そうだね。スーパー・ナチュラル・ウーマンって感じだった」
と、私が言うと次女は、うんと軽く頷いて、何か考え事を始めた。また少しの沈黙が流れた後、次女は、
「はぁ、めんどくさいなぁ。ね、野上さん、これ、見てもらっていいですか?」
と、鞄の中から便せん封筒を取りだして、テーブルの上にひょいと乗せて言った。
「これ、机の引き出しの中にあったんです。紙コースターと一緒に」
「手紙?」
「そう、母に宛てた手紙。投函してないから母に届いてないの。出さんもんはつかん。これ、当たり前」
と言って、手をひとつたたき、けらけら笑った。私は便せん封筒を手にとって中を見た。便せんが1枚入っていた。次女は、
「すみませえん、ビール、もう1本くださあい!」
と、うっすらと赤くなった頬で注文して、またぐいと4杯目のビールを飲みほした。そして、次女は私を見て
「読んでいいですよ」
と、あっけらかんに言った。私は、じゃあと言って、畳んであった便せんを開いてみた。すると「最後の手紙」という文字のあとに、文章がこうつづられていた。

千明へ

これが君に宛てる最後の手紙になるだろう。そう思うと涙が止まらない。僕たち二人は若葉の頃から切ない時を重ねて、深く、思いあってきた。二人で空を仰ぎ、想いを誓ったことを僕は忘れてはいない。ただ何故だろう。二人は本当に別れることになってしまった。いつからボタンの掛け違いが始まったのか。でもどうか、いいことだけを心にとめておいてほしい。けして、酷い言葉で傷つけあったことではなく。

思い出は美しい
そうであってほしい

子供たちにもよろしくと
伝えておいてくれ

誠也

と、見覚えのある筆跡で書かれてあった。私が手紙を読み終えたのを見計らって、次女は、
「いい手紙なんですよね、これだけなら。でも、浮気してこんないいこと書いても駄目だよパパって、は、な、し」
と、次女はやや虚ろな目で私を見てそう言い、
「ママにこの手紙を渡すべきかどうか」
と、次女は、うーんとうなった。
「ね、野上さんなら、どうします?」
と、ぐんと身を乗り出して次女は私に問いかけた。
「ああ、まずは、真子さんの存在は言わないほうがいいね」
と、私はうっかり言ってしまい、
「そんなの、あたり前ですよ!」
と、軽く怒られてしまった。次女は5杯目のビールを飲み始め、
「ふぅ… ちょっとごめんなさい」
と言って、長女にLINEを打ち始めた。この手紙の相談をしているようだった。そしてしばらく時間が経った時、次女は、うそぉっ!? と驚いた声を出して私に視線を戻した。
「桃子の話では…、あ、ごめんなさい、姉の話では、うちの母に最近、パートナーの男性が出来たみたいです」
「おお、そうなんだ。お母さんもまだまだお若いしね」
「なので、この手紙は母に渡さないと姉と相談して今決めました。ただ、私たち姉妹にもこの手紙は、持て余してしまうんです。でも、捨ててしまうのは、さすがに心苦しい」
「うん、そうだろうね」
「で、本当に、野上さんにはご迷惑な話、とは思うのですがぁ…」
と、次女は両手を膝の上に置き、
「野上さんに、この手紙を受け取ってほしいのです。あと、真子さんからのいただきものも、引き取ってくださいっ!」
と言って、テーブルにおでこを、ごんっと付けた。
 私は困惑したが、これも成り行きと思い、セットで持って帰ることにした。

12

「一度やってみたかったの。パパが若い頃大好きだったドラマのラストシーン。しっかり見といてね!」
と、まだ少し赤い顔をした次女は笑顔でそう言って、空港搭乗口に向かう下りエスカレーターで、私に背を向けながら両手を大きく左右に振って、さよならを表現した。次女は私より早い便で、小松空港から秋田へと帰っていった。
 そして私は今、空港待合室で酔い覚ましのコーヒーを飲みながら、思いを巡らせている。手荷物の紙袋の中には、形見分けでもらった映画「ライフ・イズ・ビューティフル人生は美しい」(主演:ロベルト・ベニーニ)のDVDと、次女から譲り受けた唯井真子の陶器(木箱)が入っている。陶器は、白地に鮮やかな黄色いデイジーの花模様が描かれたコーヒーカップであり、その横に直筆の説明書きが添えられていた。説明書きには、

作品名『La Vita è Bellaラ・ヴィータ・エ・ベッラ』 ― この作品はロックミュージシャン 佐野元春氏の同名曲にインスパイアされて作成しました。『君が愛しい、理由はない』という歌詞に思いをはせて。
― 作者 唯井真子 (非売品)

と、書かれてあった。私は、
(イタリア語「La Vita è Bellaラ・ヴィータ・エ・ベッラ」、日本語で「人生は美しい」だな)
と、にんまりした。
 その後、飛行機は定刻どおりに東京に向けてフライトした。飛行機窓から夜景を眺めると、綺麗な星空が広がっていた。私は木埜に話しかけた。
「木埜、お前の奥さん宛ての『最後の手紙』、行き場を失って俺が持つことになったぞ。しかし、ずいぶんとシニカルで滑稽な展開になったな。まあ悪く思うな、許せ。でも、こういう展開、お前は嫌いではなかったはずだ。それに、形見分けの映画タイトルと真子さんからもらった陶器の作品名が、見事に一致した。人生はどうあれ美しい、ってことか。お前の好きだった落語みたいにオチがついたぞ」
と私は呟き、妻への長いLINEを書いている途中、深い眠りについた。






【付録】 天空てんくう対談

『Cafe "Fiction" Meeting』

画像2

 何度目かの緊急事態宣言の中、東京日比谷のホテル「ザ・ペニンシュラ東京」の最上階のカフェ・ラウンジルーム「TENKUてんくう」で、昨年デビュー40周年を迎えたロックアーティスト 佐野元春氏と、神奈川県在住の会社員 田中茂雄氏の対談が行われた。田中氏が今春に佐野元春事務所に送った短編小説「最後の手紙」を佐野氏が読み、佐野氏からのオファーで実現した。個室のラウンジルームでは、Jackie Trentの「Where Are You Now,My Love?」が優しく流れている。部屋は感染予防対策が万全に施されており、飛沫防止のためのアクリルパーテーションもきちんと設置されている。

 本編は「スワッチ」増刊号の付録として今回の様子をお届けする。

 田中氏は緊張の様子で着座。少し遅れて佐野氏が入室。佐野氏は黒のセットアップスーツとクールな装いである。

佐野「ああ!」
田中「どうも」
佐野「こんにちは。佐野です」
田中「はじめまして、田中です。お会いできて感激です」

時節柄、エルボータッチで挨拶をしたご両人。

佐野「どうぞおかけください」
田中「ありがとうございます」
佐野「いつも応援してくれているようで、どうもありがとう」
田中「はい。ファン歴は35年になります。すみません、40年ではないんです」
佐野「あはは、オッケー。いいよ」
田中「ビジターズの頃から途切れることなく、35年目です」
佐野「ありがとう。早速ですが、作品を読ませていただきました。大変おもしろかったです」
田中「うれしいです、ありがとうございます」
佐野「もうタイトルを見ただけで、僕は胸が高鳴った!」
田中「ありがとうございます。すみません、オマージュということで、お許しください(苦笑)」
佐野「あはは、オッケー。ところで日頃、小説は趣味で書かれているのですか?」
田中「いえ、中学生のときに1度だけ書いたことはありましたが、それっきりです」
佐野「今回、小説をお書きになったきっかけを教えてください」
田中「はい。通勤途中の電車の中だったのですが、小説のイメージがどんどんいてきました。これは書ける、と感じました。家で過ごす時間も多くなっていたので、いい機会だと思い、取り組みました」
佐野「第2幕が第1幕をうまく引き立てて、いい構成になっていますが、最初からこの構成が思い浮かんでいたのですか?」
田中「いえ、当初は第1幕の『或る、春の日』は独立した小説で、それで完結していました。ただ、読んでもらった友人らに続編を書くようにすすめられて、第2幕の『最後の手紙』を書き加えました。今ではその友人の声に感謝しています」
佐野「ああ、それはよかったですね。やはり、第2幕があったほうが断然いい。グッと小説の値打ちがあがっています。内容がクロスオーバーすることで、物語に奥行きと微妙な不透明さが生まれています」
田中「ありがとうございます。うれしいです」
佐野「どのくらいの方に読んでいただいたのですか?」
田中「およそ30人の方に読んでもらいました」
佐野「反響はありましたか?」
田中「はい、思いのほか好評でうれしかったです。感想を聞くのが本当に楽しみでした」
佐野「それは共感しますね」
田中「佐野さんも、同じですか?」
佐野「そうだね、ファンの方の喜びの声を聞くと、うれしいよ」

ここでラウンジルームに、香り高いコーヒーが運ばれてくる。横にはマンゴープリンが添えられている。

佐野「では、第1幕『或る、春の日』から質問させてください。これはずばり、田中さんの体験談がモチーフになっていますか?(笑)」
田中「いえ、それはないです(苦笑)。読者からも、ほとんどその声をもらいました。冒頭は自分のことをモチーフに書き始めましたが、丘絵梨をベランダで見かけるところからは、全部、中年男性の妄想です」
佐野「主人公の2人が電車内とベランダで目が合うシーンは、第2幕で触れられているように、映画からのヒントなんですか? 僕はあのシーンが印象的で好きです」
田中「ありがとうございます。当初は神崎良介が電車内で手帳を落として、それをきっかけに女性と出会うという設定だったのですが、最終的には、ベランダでたたずむ女性と目が合うっていう設定に落ち着きました。実は、映画『Shall we ダンス?』というのは、ある読者の「或る、春の日」を読んだ感想だったのです。私自身はその映画のことは意識していませんでした」
佐野「読者の感想をうまく取り込んでいるのですね。では、この第1幕の中で書きたかったことは何ですか?」
田中「神崎が、喫茶店でデジタル社会に関して、熱く話を展開していますが、そのあたりです」
佐野「ああ、あのくだりは田中さんの現代社会に対する論考が、うまく組み入れられてるなと感じました」
田中「ありがとうございます。ただ、読者の方に押しつけにならないように、重くならないように、配慮したつもりです」
佐野「では、第1幕全体を通して、工夫した点はどういうところですか?」
田中「はい、自然に流れるようにストーリーを構成することができたと思っています。実は細かい仕掛けをちりばめています」
佐野「たとえばどういうところ?」
田中「名前が丘絵梨とお遊びのような感じですが、若い女性の私的なストーリーにテンポよく入っていくために、その名前が一役買っています。丘絵梨は次の名前で、それは母親が離婚したから、と私的な話に自然に入っていきます。そうでないと、中年男性から若い女性のプライベートなことに、おいそれと立ち入ることはできないですから」
佐野「テクニックが垣間見れるところだね」
田中「佐野さんも、常々、曲作りには、感性も大事だけれどテクニックが大切と言われていますね」
佐野「ああ、そうだね」
田中「『ザ・ソングライターズ』は毎週楽しみに見ていました」
佐野「どうもありがとう」

ここでショートブレーク。佐野氏が横にあったアコースティックギターで「サムデイ」を口ずさむ嬉しいハプニング。

佐野「さて、では第2幕『最後の手紙』について。これはもうそのまんまのタイトルですね」
田中「はい、これはもうずばりそのまんまです」
佐野「第2幕の中で書きたかったことはなんですか?」
田中「第2幕で書きたかったことは、実はそうないのです。第1幕の解説のような気持ちで作成しました。ただ、強いて言うなら、唯井真子がデジタル社会について、なんの抵抗もなく受け入れている、というあの一文です。結局はアナログ社会を懐かしむ中年男性の愚痴だったという、そういうオチをつけたくて」
佐野「うまくオチがついてるね」
田中「ありがとうございます。あと、それと」
佐野「うん」
田中「出来上がってみれば、人生はともあれ美しい、ってことが表現できたような気がします」
佐野「うん、そうだね。では、工夫した点や苦労した点を教えてください」
田中「はい。それはリアリティをいかに作るか、ということでした。というのも、実際問題として、旧友の消息を辿るために興信所の世話になり、そして東京から青森まで訪ねていくなんて、普通考えにくいことだと思うんです。でも、そこに必然性を持たせるために、丁寧に文章をつむいで、ボリュームを持たせました。そこがかなり骨が折れました」
佐野「ただいま工房での会話は、読み応えがあって、ぐいぐいと引き込まれていきました」
田中「ありがとうございます。実はあの工房での会話も苦心しました」
佐野「というと?」
田中「設定では1時間ほどの滞在時間なのですが、実際のところを考えると、内容的に会話にはボリュームがでないんです。でも、章立てを工夫してみたり、名前で遊んだりすることで、うまく文章のボリュームを出すことができました」
佐野「第1幕と同様に第2幕でも名前遊びが愉快だった」
田中「ありがとうございます」
佐野「そう、1つ気になってることがあるんだ」
田中「はい」
佐野「お姉さん、菊池桃子さん? 桃子さんの名前の由来になったドラマって何?」
田中「はい、それは『男女7人夏物語』です。第2幕のラストシーンで、りんごが『パパが若い頃大好きだったドラマ』と言って、エスカレーターで後ろ向きに手を振る描写を入れましたが、そのドラマのラストシーンなんです。そしてそのドラマの女性の主人公の役名が、桃子なんです」
佐野「ああ!」
田中「ほかにも、小説の登場人物にそのドラマの配役名をあちこち使っています」
佐野「では、次に行きますが、最後の小料理屋で登場する、便せん封筒に入った『最後の手紙』は、ほぼそのまま歌詞が引用されていますね?」
田中「はい、佐野さんのアルバム『或る秋の日』の『最後の手紙』の歌詞を読んだときに、これはそのまま手紙として成立する、と思っていたんです。で、当初はあの小料理屋の場面はなくて、野上とりんごが工房を出るところで終わりだったのですが、なにか物足りなさを感じていました。で、ふと、佐野さんの『最後の手紙』を思いつき、この歌詞をそのまま登場させようと、ひらめきました。と同時に、小説のタイトルと方向性が決まりました」
佐野「それはこの作品を決定づけるアイデアですね」
田中「はい、このアイデアがこの小説の生命線だったと思います」
佐野「その他にも、僕の曲の歌詞が頻繁に登場してきていますね」
田中「はい、数えてみたら、10曲以上から引用させていただいています。気の利いたワードは佐野さんの曲から拝借しています」
佐野「まあ~ それは光栄ですね(笑)」

一同、笑いに包まれる。

佐野「残念だけど、そろそろお時間が来てしまいました」
田中「ああ、そうなんですか。楽しい時はあっという間に過ぎます」
佐野「読者の方に何かメッセージはありますか?」
田中「はい、まずは忙しい日常生活の中、読んでいただいて本当にありがとうございました、と言いたいです。それとあと、何度も読んでいただければ嬉しいです。細かい仕掛けも目一杯、詰め込んでいますので、読むたびに新しい気づきがあると思います」
佐野「今後も何か執筆される予定はありますか?」
田中「いえ、もう全力で書きましたので、余力もありませんし、書きたいこともありません。なけなしの才能も枯渇しました」
佐野「そんなことはないだろうけど。では折角の機会なので、何か僕に聞いてみたいことはありますか?」
田中「はい。では、佐野さんはこのコロナ禍が終息した後の世の中がどうなるとみていますか?」
佐野「それは難しい質問だね」

佐野氏、しばし沈黙する。

佐野「僕はこれまで自らのことを『炭鉱のカナリア』だと言ってきた。だけど、今回のコロナ禍の前では、僕はただの雨に打たれたみすぼらしい犬のようだった。それほどまでに、人間社会は大きな傷と変容を経験した。でも、僕はこの世の中の変容より速いスピードで変化していきたい。期待しておいてほしい」
田中「これからもずっと応援していきます」
佐野「本当に今日はどうもありがとう」
田中「ありがとうございました」

 対談後、佐野と田中の両氏は手の平を消毒して、握手。記念撮影後、田中氏は念願の佐野氏のサインを受け取って満足気。佐野氏は、コヨーテバンドと新作アルバムのレコーディングに向かうため、部屋を退出。田中氏は「夢のような30分でした」と語ってくれた。

「最後の手紙」
詞曲 佐野元春


覚えているかい
冬の海岸
告白した日
風のキャンドル
空を仰いだ
ふたりの誓い
僕は忘れない

思い出は美しい
そうであってほしいよ
せつない時を重ねて
深く、想いあってきた
ふたり

だから、どうか
いいことだけを
心に留めておいてくれ
けして、醜い言葉じゃなく
いつか君に贈った
あの唄を
心に留めておいてくれ

これが君に宛てる
最後の手紙になるだろう
そう思うと
涙が止まらない

子供たちにも
よろしくと伝えといてくれ

(Album「或る秋の日」収録)

田中茂雄
1966年生まれ 。大阪市出身。佐野元春氏の楽曲を多感な時期に聴き、多大な影響を受ける。

佐野元春
1956年生まれ。東京都出身。1980年「アンジェリーナ」でデビュー。日本ロック、ポップス界に旋風を巻き起こし、多くの日本ミュージシャンに影響を与える。現在も精力的に第一線で活躍中。「第34回日本レコード大賞 優秀アルバム賞」受賞。「第72回 芸術選奨 大衆芸能部門 文部科学大臣賞」受賞。

天空対談は願望フィクションです。
最後までお読みいただき
本当にありがとうございました。
あなたの愛読書のひとつになればと
願っています。

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