見出し画像

展覧会レポート 西田俊英展 不死鳥 松坂屋美術館

会期 2024年2月10日(日)〜3月3日(日)

全館写真撮影不可

今回の展示作品「不死鳥」は、下のリンクから閲覧可能。
(千住博氏とのギャラリートークの動画もあります。)

「不死鳥」は、人間と自然の共生、生命の原理をテーマとした、第6章からなる、未完の超大作。完成されれば90メートルにもおよぶとのこと。現在は第3章の初めまでの40メートルを展示。

人間の精神の構造と自然界の構造をひとつの全体として捉えられないか、ということで制作。自然に絶えず繰り返される揺らぎのようなものを表現していきたいとのことなのだが、その文章の意味を深く理解することは難しい。。作品のイメージとしては、1滴の水からの生命の誕生、生命が脈々と繋がり生い茂る中で、人間による自然伐採という破壊行為からの再生を不死鳥になぞらえながら描いて行くと言った感じかなーと思う。

さて。西田俊英氏は武蔵野美術大学日本画学科教授。
小さな頃から絵が上手でただただ描くのが好きな少年だった。小学6年生から師匠に絵を学び、絵が上手いだけではダメだと言われて、自分の内面と向き合って。落ちるはずがないと思っていた院展で落選して。情報が薄っぺらくなるから本物を描かなきゃダメだと思ってたどり着いたのが屋久島の原生林。

美穂野杉の写生は、自分自身との対峙の時間に。生命の原点でもある原生林の中に抱かれ、長い時間生きた美穂野杉を眺めて写生する。弱くて情けないちっぽけな自分。なんで涙が出るのかわからないと。

・・・圧倒的な自然の中にいるといかに自分の悩みなんてちっぽけなものなんだと思うと共に、自然災害を目にすれば、どれだけ願っても大いなる力からは避けられないことに呆然とする、なんてこともあるよな、と思いを馳せる。

この屋久島での1年にも及ぶ滞在と写生を元に不死鳥は製作されている。屋久島は大規模な伐採により、現在残る原生林は島全体の2割のみ。そんな背景もあって「共生」「再生」への祈るような思いに繋がったようだ。

展示には、写生の原画もあった。添えられたキャプションには、
「昔は海の底に何度も潜って目に焼きつけたものを描いて、また潜ってを繰り返して写生をしたものだが、今の時代は写真に撮って描くことができるからたくさん描けていいなと思う。ただそうだったら、描くことに飽きていたかもしれない。
写生で長い時間その場に居続けると、思いがけない生き物と出会ったり、対象物が変化したりする。そういうところが好きなのかも知れない」とのことだった。

そして。

作品は、圧倒的な存在感で。これが現代の日本画なのか、とも思った。
世界感はファンタジーなのだけれど、写実的だからか、幹や根の質感が妙に生々しくて、浮き出ているように見える。じっと眺めていたら、なんだかその自然が「そこに在る」かのような感覚に。隙間に流れる沢の水音、枯れ葉を踏んで粉になる足音まで想起させるようで。その場に縫い留められること数分。

室内の照明の具合もあるかもしれないけれど、その存在感に圧倒されて、何度も最初に戻っては細部と全体観を楽しみました。全体が完成したらまた観てみたいな。

不死鳥以外にも、若かりし頃の西田氏が制作した作品から、研修で1年間滞在したインドで描かれた作品やインド滞在の影響が色濃いエキゾチックな雰囲気の作品類なども多く展示されていた。

西田氏の略歴を見ていると、作品制作のポイントは、

「いのち、祈り、自然」

なのかな、とも思った。この「不死鳥」は間違いなく、彼の人生の集大成ともいうべき作品なのだろうなと感じた。

最後に不死鳥の作品カタログがあったので手に取ってみたのだが、作品の写真があまりにも実物と違う印象で、購入しなかった。

当たり前のことだとは思うけれど、作品そのものを知っていることと、実際に見て体感するのは全く違うことだなと改めて感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?