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障害の重い子どもたちのココロ -特別支援学校小学部の実践から- 講演会

講師略歴

講師三木裕和氏(立命館大学産業社会学部現代社会学科 教授)

兵庫県にて32年間現場の特別支援学校に勤務。全期間において、担任を持ち、重い障害を持つ子どもを担当してきた。その後鳥取県立大学にて教鞭を執り、その後現職立命館大学へ。

内容

3名の女児の事例を基に話を進める。今回の標題にある、「重い障害」に限らず、軽い障害の子ども、そして大学で出会った女子大学生の話などを基に、障害を持つ子どもに関わる事でサポートする側の人生が変化することがあったり、考え方や助けられることも多いという話しとなった。

1、小4女児


<症状:重度心身障害>
重傷新生児仮死により、大脳に大きなダメージがあり、主に運動機能障害。身体的には生後2か月の成長。全体的な発達としては1歳半程度。首すわりがないため、座位保持椅子使用。体の緊張が強く、関節が曲がった状態で固まっている。

身体と比べて知的には比較的軽く、言葉のやり取りはできないが、言葉や単語によって想像したり記憶を呼び起こしてその時の感情を味わうことができる。(お泊り合宿の時の事例:1日の出来事を夜に話すと、声を上げて笑ったり、初めて出会う動物に対して豊かな表情が変化するなど)

<余談>
子どもの発達と診断(田中昌人著 大月書店)

子どもが新しい言葉を使うのはいつか? 「1日のうちの夕方」
わくわくした出来事を「この人なら否定せずに聞いてくれそう」と思う人に話したいと思い、話す時に、新しい言葉を使う。

<学校では>
 重症児が通う学校では、教育と医療の担当を完全に分離すると、水漏れ(カバーしきれない部分が出てしまう)を起こしてしまうため、指導案や医療的ケアについて看護師・教師双方が共有している。
また、日頃の指導について振り返りをする際、教育の専門ではない介助人や看護師の意見がとても参考になる。教師は子に対し話しかけたことに対し子の言葉を即座に代弁しがちだが、看護師は話しかけてから相手の表情の変化や返答を待つ沈黙の時間をもつことができたりする。

<授業の内容>
授業は基本的に健康チェックや、リハビリなどにあてられるため、実際に授業のようなものをするのは、3時限目のみ。

・独自の授業として、例えば桜が満開の時期にまぶしくない位置に寝かせて桜を下から見上げるような体験や、桜の花に触れたり、葉桜を見たり、天候の良いときに関わらず雨を体験したりなど様々な刺激を与えるような自然に関わる授業を実施。

・物語の世界を味わうために、教員の手によるブラックライトシアターや人形劇などを実施し鑑賞。人形劇も、操る側を敢えて見せるような取り組みも。当初は操り手の教師ばかりを見てしまって、教師と子どもの目が合ってしまう事があった。人形浄瑠璃の操り手を参考にし、操り手も人形に注視することで共同注視の作用により、子どもたちもやがて物語にのめり込むように。おおかみなどが出てくるシーンを先に察知し、怖いから敢えて「見ない」行動をとる子どもも出てくるようになった。

2、小1女児 

<症状:軽度発達障害>
 家庭環境の都合により、幼少から福祉施設で生活。里親に引き取られたが、里親との関係悪化で学校近くの福祉施設へ引越しし、急遽4月から入学することに。講師にとって初の5歳児の知能を持つ子どもを担当。

「じゃんけんができる子に出会ったのは初めてだった」。じゃんけんの仕組みを理解し、じょうろで水をあげることの本質も理解していて、みずやりの方法を教えれば次には準備をすることができ、雨の日はあげないことも理解している。彼女の真似をする女児は、理解していない為、雨の日も水やりをしたり、他の授業の一環で行っている「かんぴょう」にまで水をかけてしまうことも。

自分の行動により、大人がもめている様子を見ると、仲裁に入るような素振りを見せたり、自分の行動に対してほめてもらいたいという行動も。

成育歴より保育園の頃から尿失禁を繰り返す。「くさい」という言葉に敏感に反応。入学後すぐに親から一緒に住みたいとの要請があり、学校側も戻ることを応援することに。土日には親元に戻り、平日は福祉施設で生活し引っ越し後の生活準備。6月のお別れ会では、周りの大人がさみしくて泣いているが当の本人は、親と一緒に住めるのが嬉しい。「なんでみんな泣いてるの?」と講師の耳元で問いかける。

転校先は一般の小学校の支援学級。9月の運動会に本人だけには内緒で見学。しかし本人は、本部席で隠れながら写真を撮り、涙を流す講師を目ざとく見つけていたようで、担任の先生を介し面会。担任の先生にお茶菓子を渡すと「あなたのおかげでお菓子もらっちゃった。ありがとうね」という担任の言葉に、彼女はこの場所で「愛されている」と講師は実感。その後彼女の父が勤務している青果店の社長に飛び込みで話を聞きに行こうと思っていたが、「もうそれは私の仕事ではない。現担任の仕事だ」と青果店に行くのはやめたとのこと。責任を持って心配をすることができるのが担当教師。
子どもを愛する・・・ネガティブな行動していても。

3、大学8年生 女子

 4年生の卒論前までは単位も多く取り、成績も上々。卒論も7割仕上げていた。しかしその後3年間学校に出てくることが無くなった。担当教員が接触を図り、生存確認だけはできている状態だった。所属していたゼミの教授が別の大学へ転籍することになり、8年生となる4月、講師の研究室のドアを叩く。

 鳥取大学の学生は優秀。講師は若い学生に障害を持つ子どもやその親を自分事として理解しようとするか?など疑問だった。しかし貧困にあえぎ、自身が障害を持ち(弱視、難聴など)、家庭環境が厳しく親子関係に葛藤がある学生が非常に多いことがわかり、その思いは無くなった。

彼女は、髪もぼさぼさ、外見も気にしない。受け答えの様子から陰鬱な印象。講師のゼミはフィールドワークを通した障害児の事例検討を軸とする。彼女の様子から、就学前療養機関のみしか考えられなかった(礼儀作法、外見から学校施設は難しいと判断)。寛容な園長によりなんとか受け入れられたが、事例検討をするためすぐに研究対象の子どもを1人に絞る必要があった。
選択傾向として、問題行動が多い子、行動がいじらしく、かわいい子の2手に分かれるが、彼女が時間をかけて選んだ子どもは、ヘッドギアをして壁に向かって座り、30分以上積み木を噛み続けているような目立たない子。

その選択に講師は、彼女は見る目があり、目立たない子を「楽しませたい」と思う事が出来る感性の持ち主であると感動したとのこと。

 フィールドワークで通う期間が長くなると、職員のように扱われるようになり、10:30までにトイレを終わらしておいてねという職員からの指示を失念した際、だっこをしてトイレに連れていこうとしたことがあった。その時「わたしは超えてはいけないラインを超えようとしている」と自制したという。職員から言われた通りの指示をこなすいう自分の「利益」の上に子どもを置こうとしていると猛省したそうだ。

卒論を書き上げた後、事例検討の対象となった子どもと親に対して、苦難を研究させていただくことに感謝を示すべく面会した際、「うちみたいな地味な子が研究対象になるのですか?家では姉二人に対して髪をひっぱったりして姉が泣かされているような子ですよ」という母の話に、「髪をひっぱってもやり返さない。お姉ちゃんたちは弟をとても大事にしているのですね」と語っていたとか。

卒論発表会で最後に今回のフィールドワークを通して1つだけわかったことがあると切り出した彼女。

「私も生きていていいのだと思いました」

彼女が大学入学の時期に、高1になった弟が統合失調症を発症し、弟に振り回されて、家庭が崩壊していく様子を見ていた。大学に合格しても、いい成績をとっても家族は弟のことで精いっぱいで顧みることがなかった。ひきこもっていた3年間、大学を卒業するのが怖かったのでは?彼女に問いかけると、「わからない」と答えた。

3年下の同級生と卒業旅行から帰ってきて研究室に訪れた彼女。
「先生、私今、弟に会いたくて仕方がないです」と弟へのお土産を手にし語ったという。

何回か採用試験を受験した後、現在では関西地方で特別支援学校の教諭として働いている。現在も講師と会う機会がある。今でも入院中の弟に会うと気が沈んでしまう。でも現在の生活拠点に戻ると元気が戻る。これからも弟と向き合っていきたいと語っていたという。

今でもフィールドワークで1年間寄り添った、子どもと家族とは会っている。あの時の出会いが、彼女にとって人生のターニングポイントとなったことは間違いない。

所感

重い肢体不自由などの障害を持つ子どもたちは、自分自身が動けず逃げることができないので、新しいことに恐怖を感じやすいなど、知らない事も多かった。言葉が話せない分、細かな表情から心の機微を感じ取り、周りの教師としてどのようにあるべきなのかを実践を基に話されており、理解しやすい内容であった。

また子どもによって障害の度合いや特性がそれぞれ違う事を鑑み、個々に添った指導案や、医療と教育が双方でもれなく助け合う協力体制など、障害を持つ子どもだけでなく、全ての学校で行ってほしい(無理とはわかりつつも)内容であると感じた。

小学校での実践となるため、就学前の療育施設に通う親子の様子などは最後に少しだけ触れることができたが、療育施設に通っている親は子どもの障害を受け入れている・・・という話しもちらっとあり、その前の親の気持ちの移り変わりなどについてもっと知る機会があるといいのかなとも思った。

専門家以外の人からの意見を取り入れることで、よりよい対応や指導をしていく姿は、子育て支援の場でも活用すべきことかなとも思う。

障害を持つ・持たないどっちにしても、子どもの気持ち、そしてその子の親の気持ちを推し量ること、想像力を持つことの大切さということなのだと思う。

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