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和田誠さんでした

去年の9月ごろに青山塾の授業でこんな絵を描きました。
「似たものどうし」というテーマです。
僕はプリンと窓の外にある丘(スコリア丘)を描きました。
でもそれとは直接関係がありません。
この記事はプリンの左にある本の話です。
 
今年の2月ごろ、ゲスト講師授業ということで装丁家の名久井直子さんが絵を見てくださる機会がありました。
講評もとても勉強になったんですが、何故かそれよりも心に残っている出来事があります。
名久井さんは僕の絵にざっと目を通した後この絵に目を留めて、左側にある箱型の物はたばこですか?と聞かれました。
僕が本ですと答えると名久井さんは何の本ですか?と聞かれました。
僕が答えると名久井さんは納得した様子でした。
 
やはりブックデザイナーだから装丁が気になったんだろうかとか、絵の中に本があることについてどう思ったんだろうかとか、授業が終わった後もこの出来事がなんとなく印象に残っていました。
 
この本にはモデルがあります。中央公論新社から出されているレイモンドカーヴァーの大聖堂です。
カーヴァーのシリーズはどれもこのスタイルの装丁なんですが、まあ強いて言えば大聖堂です。

シンプルな装丁なんですがカーヴァーの質素な文章に合っているし、本としての佇まいがいいなと思っていました。
絵に描きたくなる、というか実際に描いています。
この時は誰が装丁したのか知りませんでした。調べたり奥付やそでを見たりしたんですが書いていなかったんです。
 
今になって名久井さんのその質問を思い出して、そういえば誰の装丁だったんだろと思いもう一度調べてみてびっくりしました。

奥付と袖しか見てなかった…

和田誠さんでした。恥ずかしながら和田誠さんが装丁のお仕事をされていたことを知りませんでした。
今思えばこの本の訳者は村上春樹さんなので和田誠さんが装丁を手掛けられたのは取り立てるほどのことではないのかもしれません。
でも予想もしていなかったところで知っている名前を見つけて嬉しくなりました(もちろん面識はありませんが)。
 

最近何となく考えている言葉があります。それは「自己表現」です。イラストに於いて自己表現の対義語は「匿名性」でしょうか?
この装丁は匿名性の高い仕事だと思います。
青山塾に入る前はイラストは自己表現の一種だと捉えていました。
正確に言えば何となくそう思っていて、特に考えたこともありませんでした。
 
いい文章の前提には誰にも読めるというものがあります。
文章の内容をできるだけ分かりやすく伝える。
難しい内容こそなるべく分かりやすくする。
イラストに言い換えれば誰にでも分かるということでしょうか?
何が描いてあって絵の中で何が起きているか。
色々考えてみますが特に結論はありません。

他の絵にも描いてた!

なんか締まらない終わり方なので近況を書きます。
最近は特に考え込んだりせずにとにかく描くべき時期だなと思っています。
特に迷いもありません。強いて言えばそれなりの時間を絵に費やしているのに枚数が全然できないことです。
でも取り合えずある程度の枚数を描いて営業をしてみて、手ごたえが全くなかったらまた色々考えてみようと思っています。

こういうやり方って本当は良くないなと思っています。いつでもやれるときにやった方がいい。
先延ばしの体のいい言い訳。
「こうした方が絶対いい!と分かっていてもできないこと、あるよねー。好きなようにやりなさいよ」と僕の中のイマジナリー偉い人が言っています。

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特に装画のお仕事をしてみたいという強い憧れがあります。
よろしければ一度ポートフォリオをご覧ください。


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