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愛しの勝新太郎さま ~授業は終らない~

 昭和54年(1979年)。
 アニメ「ドラえもん」が放送を開始し、西武ライオンズ球場が完成。「魅せられて」や「カサブランカ・ダンディ」、「いい日旅立ち」が街に流れていた年。
 その頃の私は、広島の片田舎で女優を夢見てアルバイトに明け暮れる、身の程知らずの18歳だった。
 ある日、バイト先に置いてあった女性週刊誌をパラリとめくった。いきなり、俳優の勝新太郎氏の写真が目に飛び込んで来た。勝さんが、俳優養成所「勝アカデミー」を開校したという記事。松平健さんや郷ひろみさんら有名芸能人が入学式に駆け付け、勝さんを中心にした一期生の若者たちの華々しい写真も掲載されている。
「二期生募集中」
 目がくらんだ。応募の締切日も近い。
「これは、運命だ!」
 そう思い込んでしまった。
 勝新太郎といえば、座頭市。それは知っている。けれど、勝新太郎主演の映画や時代劇はあまり観たことがない。ファンでもない。むしろ、緒形拳の方が好きだ。でも東京で「私を待ってる人がいる」。それは「勝新太郎」だ。いい日旅立ちなのだと、激しい妄想にとらわれてしまった。
 熱に浮かされたような私は、親に内緒で応募書類を送付し「一次審査通過」を勝ち取り、再び親に内緒で、二次審査のために広島駅から新幹線に飛び乗った。たったひとりで。初めての東京へ。

 地図を片手に恐る恐る審査会場に入ると、受付の近くに勝新太郎が立っていた。
「おぉ、よく来たな」
「え…」
 卒倒するかと思った。生れて初めて、同じ空間で芸能人を見た。勝さんは集まった受験生たちに、嬉しそうに声をかけて笑っている。集まった受験生たちは、私と同じように「う」とか「あ」とは「は」とか声を発するだけで、まともに受け答えができないでいる。当然だ。あの「勝新太郎」が自分に話しかけているのだ。信じられない。私はロボットみたいにカクカクと右往左往しているうちに、実技審査が始まった。
 審査室には、勝さんの他に、俳優の加賀まりこさん、岸田森さん、草野大悟さん、そしてたぶん有名な映画監督やプロデューサーの方々が長机の向こう側に座っていた。数種類の台詞を演じ、誰かから何かの質問をされたような気もするけれど、その間のことは、なにひとつ憶えていない。何せこちとら、演技経験ゼロだ。ただただ憧れだけでここまで来てしまった。緊張しすぎて記憶がスコンと飛んでいる。
 けれど数週間後には、驚いたことに合格通知が届き、私は上京に反対する親と死闘を繰り広げ、説き伏せるというより、ほぼ家出同然で上京するに至った。

 勝アカデミーに入学して、真実を知った。
 一期生は応募が殺到し、高倍率の中で、魅力と可能性の宝庫のような若者たちが集まった。小堺一幾さんや後のルー大柴さんは、その一期生だ。
 ところが勝さんはその同じ時期に、映画「影武者」の撮影現場で、黒澤明監督と対立し「監督は、二人いらないんだよな」という台詞を残して、主役を降板してしまった。
 そのあおりを受けたのか、二期生の応募者は激減。蓋を開けてみると、受験した人間は全員合格というお寒い展開となった。
 私は、その二期生なのである。

 けれど芝居の「し」の字も、東京の「と」の字も知らない私にとって、夢のような日々がそこから始まった。
 以前は、勝新、勝新太郎と呼び捨てにしていたのに、勝センセイと呼べる立場になった。それだけでも人間の「格」みたいなものが二つも三つも上がったような気がしていたのに、勝センセイは、突然の降板で出来た空き時間を持て余し、頻繁にアカデミーの授業に顔を出すようになったのだ。勝センセイから直々に何度も授業が受けられる。それは、幸運以外の何ものでもない。
「黒澤監督、ありがとう」と、心の中で何度も何度も手を合わせた。

 いよいよ授業が始まった。早速、田舎娘は度肝を抜かれる。勝センセイは、ビール片手に教壇に立つ。けれど、一般人のように缶から直接飲んだりはしない。お付きの人が持って来たグラスに自ら注ぎ「悪いな」とニヤリと笑って飲む。実に美味そうに飲む。「ほう」という感嘆の声が、ちょっと大人の生徒たちから上がる。今なら目くじらを立てて非難する人もいるのだろうが、当時の私は、酒を飲む大人の男は、親戚のおじちゃんぐらいしか知らない。映画の一シーンのような勝センセイの一挙手一投足を「なんか、カッコイイ」と、ただただ呆けたように見つめていた。
 儀式のようなビールのシーンが終わると、本格的な授業に突入。田舎娘は、ここでも大きな衝撃を受ける。
 他の先生方は、台本を読み込み解釈し、きちんと役づくりをするところから芝居が始まる。ところが、勝センセイの授業には台本もプリントも一切ない。
 一人の男子生徒を指名して前に出す。
「お前は通り魔だ。いいな、そこから歩いてきて俺を刺せ」
 勝センセイは、渋い声で指示を出した。
「スタート!」
 それだけで、芝居が始まるのである。生徒は、ボールペンをナイフに見たて、目をむき鼻息荒く勝センセイに近付き「どりゃ~!!」と掛け声一発、突進して刺した。まあまあと、興奮する生徒を軽くいなして勝センセイは言った。
「刺せといったら大抵みんな、そうやって刺すんだよ。今度は力を抜いて何も考えずに、笑いながら刺してみな」 
 生徒は戸惑いながらも、へらへらと不器用に笑い、ふにゃりと頼りなく歩き、倒れるような動作で笑ったまま、刺した。
「うわっ!」 
 生徒はみんなのけ反り唸った。怖い。笑いながら近付いて来た人に刺される方が、数百倍怖い。
「な、こっちの方が面白いだろ」
 いたずらっ子のように勝センセイは笑った。
「こ、これが芝居ってものなのか!」
 私は、心の底から興奮し震えた。

 また、別のある日。
 男子生徒と女子生徒、ひとりずつを前に出した。
「デートの帰りにお前は女のアパートまで送ってきた。イッパツヤリタイ。
どうしても部屋に上がりたい。彼女は絶対部屋に入れたくない。ハイ、スタート」
 芝居が始まった。女子生徒はクラスでも一番の清純派。可憐な女の子だ。
「ちょっと、お茶でも…」
「いえ、困ります」
 押し問答が続く。いつもの彼ららしい芝居。突然、勝センセイは芝居を止めて男子生徒を教室の外に出るように指示した。そして、残された女子生徒にたずねた。
「どうして、部屋に入れたくないんだ?」
「えっと…… 部屋が、散らかってるから…」
 ポっと顔を赤らめる彼女。大きな瞳をきらきらと輝かせて、勝センセイは言った。
「お前の部屋の冷蔵庫にはな、切り刻まれた男の死体が入ってる」
「え?」
 今まで、清純派の彼女にそんな役を付ける人はいなかった。勝センセイは、すぐに男子生徒を教室に戻した。
「ハイ、スタート」
 何も知らない男は、嬉々として彼女の部屋へ入ろうとする。彼女の芝居が変わった。
「ちょっと、トイレ貸してくれない?」
「いえ、困ります」
 セリフそのものは、変わっていない。それなのに、彼女の無垢な表情が深い陰影を宿している。清純そうであればあるほど、その可憐さが狂気をおびて見えてくる。こんなに可愛い顔してるのに、この女、冷蔵庫に男の死体を隠してる。こわ~い!! 鳥肌が立った。そんな彼女を見るのは初めてだった。妖しい女に見えた。やむにやまれぬ事情で男を殺した女には見えない。むしろ快楽殺人で男を切り刻み、死体を溺愛する狂った女に見えた。
見つめる生徒は息をのんで成り行きを見守っていた。
「そろそろ、部屋に上げてやれ」
 と勝センセイの声。にっこりと天使のように微笑んで、彼女は「はい」と答えた。何も知らない哀れな男は、上気した様子で部屋に入って行った。「カット! 良かったな、部屋に入れてもらえて」
「は、はい!」
 男子生徒は照れくさそうに笑った。
「おまえも、冷蔵庫だな」
 男子生徒はきょとんとしている。私達は笑った。震えながら笑った。
(し、芝居をつくるというのは、こういうことだったのか! 人間のありとあらゆる側面を、あぶり出して光に当てることだったんだ!)
 私は陶酔した。
(たったこれだけのシチュエーションで、ここまで面白いものを創造出来るんだ。あぁ! 生きてて良かった~!!)
 心の中で叫び、舞い踊った。

 私達はみんな、ペーペーで下手くそな役者の卵だった。けれど勝センセイの授業の時だけは、下手な者は誰もいなかった。他の講師の時には切り捨てられてしまうくらいどうにもならない棒読みのセリフも、勝センセイの授業ではそれが素朴な優しさとして認められた。無骨な動きも、空回りする情熱も、ひとつの個性として光を当ててもらえた。人間は一色だけではなく、自分ですら気が付かない心の奥にひそむいくつもの顔の存在を教えられ、自分自身にときめきをおぼえた。

 勝センセイの授業は、一期生の先輩方もたくさん見学に来ていた。そして見学者の中には、特別講師で来ていた俳優の緒形拳さんもいて、ある日、私の前の空席に「ここ、いい?」と人懐っこい笑顔を見せてふわりと座り、楽しそうに受講しておられた。私は教壇に立つ勝センセイと緒形拳さんの背中を交互に見つめ、この信じられないシチュエーションに少し泣いた。

 型にはまらない言動で、世間を驚かせていた勝センセイ。だがそれだけではない。役者としてのとてつもない力量と、そこに裏打ちされた血肉にまでなっている基礎。そして人間をみつめる深い慈愛の眼。それがあったからこそ、勝新太郎は輝き続けていたのだ。本物のカリスマだった。勝新太郎のためなら死んでもいいという男たちが周りにたくさんいた。その気持ちが、18歳の小娘にも痛いほどわかった。まだお化粧すらしたことがなかった私は、世間のことをあれこれと学ぶ前に、いきなりとてつもない超人物と出会ってしまった。人格形成に影響がないわけがない。毎日が新鮮な驚きと衝撃の連続。胸が高鳴ってはちきれそうだった。

 勝アカデミーに入学して半年後に進級試験が行われた。そこで半分の生徒が脱落する。私は、なんとか進級試験にもパスし、アルバイトに授業にと走り回っているうちに時は過ぎ、二期生も卒業公演の日を迎えた。
 生徒にとっては、最大のチャンスだ。公演には業界の関係者やプロダクションの人たちが招待されている。もちろん勝新太郎学長も、客席にいる。ここでバッチリ良い芝居をして、役者の世界で生きるきっかけを手にしたい。みんな必死だった。
 卒業公演の演目は、既存のテレビや舞台などの台本から印象的なシーンをピックアップし、数分ごとにつなぎ合わせたものを次々に演じる。時代劇もあれば、コメディや外国物まである。私も三つほど役をもらい、舞台を走り回った。どういうわけか、これが勝センセイの目にとまった。
「優秀演技賞」をいただいた上に、ご褒美までいただける事になったのだ。   
私自身、何が起きているのかしっかり理解出来ていないうちに、あれよあれよと話が進み、秋からの地方巡業に参加することになった。聞けば勝新太郎主演の「座頭市」と萬屋錦之助主演の「宮本武蔵」の二本立てで東北地方を1ヶ月かけて巡るというではないか。
「な、なんというゼイタク…」
 これがご褒美である。こんな面白そうな企画に乗らないわけにはいかない。「座頭市」と「宮本武蔵」これが一度に観られるし、出演も出来るなんて。すぐさま、ありがたくお受けした。

「座頭市」の演出は全て勝センセイが仕切っている。稽古の初日から、勝新太郎スタイルが炸裂した。相変わらず台本はない。出演者が集められ、勝センセイからオープニングのシーンの説明を受けた。

 幕が開く。
 そこには荒れた土地が寒々と広がっている。舞台向かって右手に貧しい身なりの農民が、十数名立っている。娘を遊郭に売った親たちだ。左手に娘たちが六、七人。ボロボロの身なりで旅支度をしている。人買いの男が二人。娘たちを品定めするように見て、それぞれの親に金を渡し娘を連れて去っていく。娘たちと入れかわりに、人買いの仲間数人がやって来て農民を惨殺。渡したばかりの金を奪って逃走する。ゴロゴロと死体がころがる中に、ようやく座頭市の登場となる。
「おや…?血の匂いがするねぇ」
 などと言いながら。この短い冒頭のシーンが私の出番だった。売られていく娘のひとりである。

「好きなように演ってごらん」
 勝センセイに言われ、芝居の稽古は始まった。親も娘たちもオイオイと泣いて別れを惜しみ、人買いに引きずられ娘たちは花道から去って行った。「俺がやってみるから」
 と勝センセイは人買いを演じている役者を下がらせ最初の立ち位置に全員を戻すと、人買いを自ら演じて見せた。ドキドキした。あまりに格好良くて。悪い奴のはずなのに、姑息な悪人のはずなのに、渋くて素敵すぎる! こんな人買いなら、買われて行くのもいいかもねなどと不謹慎なことを考えながら、夢見心地で稽古場にいた。

 人買いはゆっくり娘たちを値踏みしている。すると勝センセイは、突然演出家の顔に戻り、私の隣に並ぶ丸顔でぽっちゃりとしている女の子に向かいこう言った。
「お前はな、売られて行くってことがどう言うことなのか良くわかってないんだな。行けば白いマンマが腹いっぱい食えると言われて来た。白いマンマのことだけ考えていれば良い」
「白いマンマ、白いマンマ」
 とおまじないのように唱えて彼女はうっとりと微笑んだ。観客は彼女の屈託のなさに笑いを誘われるはずだ。だがこの笑顔が、これから起きる悲惨な出来事をより凄惨なものに深める役割をして行くのだ。全てを見通しているようにうなずいて、勝センセイは私の前に来た。
「そうだな… お前はちょっと利口なんだな。向こうへ行ったら、どんな生活が待っているかお前は解っている。どうする?」
と、突然そんな… 私は遊郭の暮らしを思い浮かべた。行くも行かぬも地獄だ。
「い、いやだ…行きたくない」
「どうする?」
「いやだ、行かない」
「逃げろ」
 私は「ひゃ!」とか「うきゃ!」とか奇妙な声を上げてあわてて舞台から逃げ出した。緊張と恐怖で足がもつれ、四つんばいになりながら崩れるように逃げた。急に身体がふっわと軽くなった。勝センセイの人買いに襟首をつかまれて、舞台の中央に引き戻された。
「ふ、なめた真似しやがって」
 今度は胸ぐらをつかまれ、ぐっと顔を近付けられた。身体が金縛りにあったように動かない。そのまま2、3発張り手をくらい床に叩きつけられて娘たちの列に投げ戻された。周りの娘たちが慌てて私を抱き起こし怯えたように人買いを見た。
 リアルな芝居が出来上がっていた。私は力なく列に並びながら、全身が小刻みに震えていた。嬉しくて叫び出しそうだった。すごい!すごい!!
勝新太郎と一緒に芝居を創っちゃった。興奮して涙がにじんで来る。笑いたいような泣きたいような不思議な気分だった。
 襟首や胸ぐらをつかまれた。殴られ床に叩きつけられた。それなのに、まったく痛くない。勝センセイは、リアルでしかも美しく見せるための動作を私に教えてくれた。
「今はまだ無理かもしれないけれど、どういう風に動いたら殴られているように見えるか、どういう風に転んだら怪我をしないできちんと見せられるか、勉強しておきなさいよ」と言われた。

 メソメソと泣くだけだった農民の親たちは、絶望する者、金を貰ってさもしく喜ぶ者、卑屈になる者とそれぞれが個性をもって生きている人々となり娘たちも、逃げたり、笑ったり怯えたりと豊かな表情を表すようになった。
これが勝新太郎の演出だった。どんな短いシーンでも、人間が人間として生きている。その上、私は「おさわ」という役名まで頂戴し、よろけて泣きながら「おさわ~!」と呼ぶ父親に、花道でくるっと振返り「とっつぁま~!!」と絶叫するセリフまで貰った。
 あぁ、ご褒美!
 たったひとことのセリフに、私は命をかけても惜しくないと意気込んだ。

 いよいよ公演が始まるという矢先に、萬屋錦之介さんが病に倒れた。急遽、弟の中村嘉津雄さんが代役に立つことに決定し、「宮本武蔵」と「座頭市」の超豪華二本立ての旅公演がスタートした。

 勝新太郎と旅に出る。
 こんなこと人生で滅多に経験できるものじゃないし、楽しくないはずがない。出演といっても、「宮本武蔵」では舞台をキャーキャーと言いながら通り過ぎる京都の町娘と、「座頭市」の貧しい娘「おさわちゃん」の二役だけ。セリフは「とっつぁま~」の一言。時間と余力は充分にある。勝センセイとの時間はお宝の山だ。ひとつだって無駄にしたくない。勉強と称して、いつもピッタリと張りついていた。

 舞台の袖で厳しい顔をしていた勝センセイも、板に乗っかれば水を得た魚。酒好き女好きの異色のヒーロー「座頭市」を天真爛漫に演じていた。しかも次々にアドリブをやっては客席を大爆笑に巻き込み、最後にはきっちりと泣かせる。場の空気を自由自在に操っていて、眩しいくらいに素敵だった。
 ところが、出番のない時の勝センセイ。こちらもケタ外れだった。
 遊女は命からがら女郎屋から抜け出し恋しい男の元へ走った。男は困惑している。惚れた女を地獄から救いたい。だが、自分が女を受け入れることはふたりの死をも意味する。男と女の情感あふれる、切なくも美しいシーンだ。
 西村晃さんと新藤恵美さんが演じているそのセットの裏で、こともあろうに勝センセイは、出演者にだけ聞こえる小さな声で、卑猥な歌を延々と歌っているのである。またある時は、必死で演技をしている出演者の目の前のふすまに、裏からびりびりと穴をあけ、覗き込んでウィンクしたり、指でもってなにやら妖しげなサインを送ったりしていた。西村晃さんは、真っ赤になって全身を振るわせ、泣きながら笑いをこらえていた。
「センセイ… 子どもじゃないんだから…」
 舞台の袖で成り行きを見ながらそう思いはしたが、この子どもっぽさが天才たる由縁でもあるのかなと、変な納得をしながら見ていた。

 そして千秋楽の日がやってきた。
 ついに勝センセイは「宮本武蔵に出たい」と言い出した。ラストシーンで、武蔵と僧兵の大立ち回りがある。そこに出るんだと言ってきかない。十数人の役者に混じって、僧の衣装をつけ頭巾で顔を隠した勝センセイは、嬉しそうに武蔵と闘って斬られていた。もちろんお客さんは、その他大勢の役者の中に勝新太郎がいるとは誰も気付かない。中村嘉津雄さんは、迷惑だったに違いない。
 だが、やはりこの人はただでは引っ込まない。
 中央に、大きな滝のセットがある。その右側の少し高くなった岩場に、武蔵が立ち二刀流の剣を振りかざして、大きく見栄をきる。ラストの決めのポーズだ。その足元には、斬られた僧兵がごろごろと転がっている。勝センセイも当然そこに倒れているのだが、武蔵のポーズが決まった瞬間にむっくりと起き上がった。
「えっ?!」
 舞台袖で見ていた私もスタッフも、いや、そこにいた全員が息を呑んだ。
勝センセイは、舞台の上に落ちていた長槍を拾い、ぐわんぐわんと回しながら滝の左側へひらりと飛び移った。そして、滝の上方で立ち尽くす武蔵に、スローモーションのようにゆっくりと狙いを定めて、低く鋭く槍を構えた。それは激しく落ちる滝を挟み、あたかも二匹の龍と虎が睨み合っているような、壮絶なシーンになった。時が止まった。凄惨なまでの美しさ。研ぎ澄まされた武蔵の精神が、場面全体にくっきりと浮き彫りになった瞬間だった。
 ここで、エンディングのテーマ音楽が鳴り、緞帳が静かに下りた。袖で見ていた全ての人が、その瞬間、腰が砕けたようにへたり込んでしまった。

 アドリブでここまでやってしまうのである。力のある役者は、こうして自分を生かし相手役も自分の存在そのもので生かすことが出来るのだった。旅の間中、この天才の技を幾度も堪能させてもらった。

 公演も終盤を迎えたある日、勝センセイからホテルのラウンジに来るようにと呼び出しが掛かった。
「え? 私だけ? まずい。芸能界、怖い」
 緊張して出掛けた私の眼に、ぽつんとひとりでお酒を飲んでいる勝センセが映った。いつも沢山の人に囲まれていた勝センセイが、ひとりぼっちでいるのを見たのは、その時が初めてだった。私を見つけると、手招きをして自分の横に座れと言う。怖いことになった。センセイなにをする気なんだと硬直していると、次々に「売られて行く貧しい娘」のメンバーがやって来た。そりゃそうか。私一人のはずがない。
 勝センセイは、ちょっと寂しかったらしい。私たち女の子を相手に大いに歌い、飲み、踊った。夜も更けてきた頃、唐突に尋ねられた。
「お前、彼氏はいるのか?」
 聞かれた人達はみんな、すんなりと「います」と答えた。困った。私は当時、自分のことにいっぱいいっぱいで恋愛をする余裕はなかった。余裕で恋愛をするものではないと思うけれど、とにかくそんな相手はまったくいなかった。私以外のひとはみんな、「いる」と答えている。

「雅美(私の本名)お前はどうなんだ?」
 あぁ…まずい…
「い、います」
 張らなくていい見栄を張ってしまうのである。勝センセイは大きくてキラキラした瞳で、私の眼をじっと見た。吸い込まれそうだ。そしてセンセイは、ふっと笑ってこう言った。

「神様ってやつぁ、良くしたもんだなぁ…」

「センセイ… それ、どういう意味ですかぁ…」
 勝センセイは声を上げて笑った。

 私はそれから少しして芝居から離れ、数年後には銀座や赤坂あたりで夜な夜な歌う人になった。
 ある夜、仕事帰りに赤坂見附からタクシーに乗った。深夜だというのに、まだ人も車もたくさんいた。信号待ちをしていたタクシーからふと外を見ると、勝センセイがひとりで歩いていた。少し怒ったような顔つきで。
「センセイ……」
 私は声も出せずに呼びかける。センセイはずんずん歩いて行く。通り過ぎた人が、驚いて振り返っている。誰かが、話しかけた。けれど勝センセイは何も答えず、そのまま雑踏の中に消えた。
 タクシーが進み出し、私は振り返り勝センセイの後姿を追う。その頃のセンセイの実情は何ひとつ知らなかったけれど、ひとりで夜の街を歩いていたセンセイを思うと、胸がギリギリと痛んだ。

 1997年  6月21日、勝新太郎さんはこの世を去った。享年65。
 不世出の役者だった。ちんまりとまとまって来た芸能界に、勝さんは収まりきらなかった。それくらい大きな存在だった。

「心の地面はいつでもやわらかくしておけよ」
 あの、渋い声が聞こえて来る。

「地中深く眠るマグマのようにグラグラ、フツフツと動かしておくんだ。
とてつもないものが、そこから飛び出してくる可能性があるから。
カチカチに固まった地面からは何も生まれては来ないんだよ」

 18歳からの数年間、私はほんの少しでも、あの天才俳優と同じ空間で同じ時間を生きる事が出来た。幸せだったと思う。私にとっては今でも、役者・勝新太郎は、優しくて偉大で寂しがりやな「勝センセイ」なのだ。

 センセイ、あれから随分たくさんの時間が流れましたね。驚いたことに、私の年齢もセンセイの年齢に近づいています。でもね、ほんとうに、神様ってやつぁ良くしたものみたいです。役者としては上手く行かなかったけれど、私、なんとか元気にやってます。

 センセイ、いい作品、撮れてますか?

1980年の勝センセイと私


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