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【エッセイ】これは動悸かときめきか

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数年前に還暦突破。そうか、残り時間も潤沢にあるわけではないのだな。のうのうとしてはおられん。一作でも、面白い作品が書きたい。表現したい。そんな思いに駆られている私のエッセイなどど…
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記事一覧

愛しの勝新太郎さま ~授業は終らない~

 昭和54年(1979年)。  アニメ「ドラえもん」が放送を開始し、西武ライオンズ球場が完成。…

しげのぶ真帆
3か月前
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【エッセイ】好きを伝える、感想を伝える。それが、ものすごく苦手で

私は○○が好き、と公言する。 この作品は○○だと感じる、と表明する。 これが苦手。ものすご…

しげのぶ真帆
6か月前
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【エッセイ】残り時間はわからないけれど

通っている小説の教室で「読んでおくべき本」の一覧をもらった。 たくさん読めば自動的に書け…

しげのぶ真帆
7か月前
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【自己紹介】しげのぶ真帆と申します。

高度成長期、真っ只中の頃。 愛媛県八幡浜市で誕生し、すぐさま瀬戸内海を渡り広島県で育ちま…

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【エッセイ】静寂・ホスピスにて

2023年8月14日、父を見送った。 88年の生涯だった。 葬儀場に飾られた遺影は、勤め上げた海上…

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【エッセイ】潮騒を聴きながら・平成3年~令和4年頃

■平成前期を生きる 呪いを解き新しい家を作れば  原因不明の喘息も、身体の痛みも出血も、…

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【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和52年~平成2年頃

■「この道」を爆走する私   中学三年生の時でした。私には、高校進学のための三者面談に足を運んでくれる大人は誰もいませんでした。 「お母さんは?」 「いません」 「お父さんは?」 「いません」  担任の教師は、とても困っていました。母親は薬物中毒からの精神疾患で入院し、父親は母親の後始末に追われて、娘の進学どころではない状況だなんて、恥ずかしくて教師には言えませんでした。 「何か、困ったことがあるんじゃないんか?」  そう声をかけてくれた教師に、私は「大丈夫です」と何も問題が

【エッセイ】潮騒を聴きながら•昭和36年~52年頃

■記憶はモノクロ。昭和三十年代から始まります  今から六十年ほど前。  港町の酒場で、海上…

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【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ③

「若い人はね、良い光をたくさん浴びて仕事をしなさい」    銀巴里の楽屋でそう話しかけて…

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【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ②

 銀座の街を彷徨う。惨めだった。色とりどりのネオンサインが針のように尖って感じられ、沈み…

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【エッセイ】銀巴里*昭和の光とおさまりの悪い私のこと ①

 東京、銀座七丁目花椿通りの雑居ビル前に銀巴里跡という石碑がある。この場所には、かつて「…

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【エッセイ】イルクーツクに眠る人

 ロシア連邦イルクーツク州「第七収容所第一小病院」。  かつて日本人捕虜の強制収容所内に…

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【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記③

「いつまで滞在ですか?」  浜でぼんやり海を眺めていたら、女の子に声をかけられた。原宿の…

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【エッセイ】32歳クライシス~小笠原逃亡記②~

 その日、竹芝桟橋は重い雲に覆われていた。  小笠原へは唯一の定期便「小笠原丸」に乗り込むしかない。9月末の乗客は少なく、船底に近い3等客室は閑散としていた。船が沈むと、ここの客が真っ先に死ぬんだなと思うと、想像しただけで暗澹たる気持ちになる。どうしよう。帰ろうか。  広いカーペット敷きのフロアには、人ひとりが眠れる大きさに畳まれた毛布が、お行儀良く列を作って並べられている。ここで雑魚寝をして見知らぬ人と28時間も過ごすのか。なんか、惨めだ。その上、用途の分からない金属製の洗