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きれいごとばかりじゃない、そんな世の中だけれど

スランプ続きだった近頃に、染み渡る文章があった。


ここ最近、いろいろと思うことがあり
自分のなかで消化しきれないままだったことたち

言葉にして、吐き出して整理して
前を向いて進んでいこう、って頭ではわかっていても

どうにも出しきれずに、書いては消して。

下書き欄に溜まっていく本音とタテマエの断片たちは、秋の夕暮れどきの影法師のように、わたしの足元からびゅうっとのびて、それでも前に進もうとする足どりにじっとりと絡みつく。

苦しかった。いや、ほんとは今も、苦しい。

泣きたいのに、泣けない。
怒りたいのに、怒れない。
いつのまにか、感情を素直に表現することを忘れてしまっていた。素直に表現できる人のことが、ただただうらやましかった。

自分がよかれと思ってしてきたことが、
実はただの「お節介」「自己満足」だったんじゃないか。そう思うと途端に呼吸が浅くなり、
なにも手につかなくなってしまう。
今だってほんとは、そうなんだ。

仲間だと思っていた人が突然姿を消した日の夜

彼のことを大切に思っているつもりだった
共通の人たちと、何の気なしに落ち合って
彼の悪口を言ったり、冗談ばかり言って大笑いしていたあの夜

中途半端な慰めや優しさがないのが心地よかった。ただ一緒にいて、暗黙の空気の中でみんなそれぞれに、お互いの「やりきれなさ」を持て余していた。ああでもしないと、壊れてしまいそうだった、みんなそれぞれに。

苦しかった。いや、ほんとは今も、苦しい。

苦しいだけじゃない。いろんな感情がある。
今まではそれを、どうしたら分かりやすく表現できるだろうかとか、余計なこと考えてしまったけどそれは違った。

それで、冒頭に載せた文章だ。

「僕にとって文章を書くといういとなみは、自己表現ではありません。僕という人物を知ってもらう、僕らしさをアピールするために書いてはいません。僕の文章は、ある種の愛し方であり、愛情表現なのです。まるで大好きな人に宛てた手紙のように、この本も書いています。だからあなたも同じように、読んでくれる人への愛情表現だと思って書けばいいんです。何か説明しようとか、教えてやろうとか、自分の思いを伝えようじゃなくて、ただ、読んでくれる人たちを愛せばいい」


そっか。シンプルに。
伝えたい人に伝えたいことばを、綴っていけたらな。そんなことを今日やっと思い直せた。

きれいごとばっかりじゃない、そんな世の中だけれど。それでも。

時間をかけて、心を込めて、愛するように、ことばを綴る。

なにも返ってこなかったとしても。がっかりするような出来事に、出くわしてしまったとしても。どんなに時間がかかったとしても。

伝えたいひとに、伝えたいことばを。
ちょっとずつ、ゆっくりでも、届けていけたらいいな。



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