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先輩のこと

長高(長岡高校生)にはお馴染みの福島江の桜

長岡高校に入学すると、大先輩の話を聞きますが、大抵は山本五十六長官、そして和同会(生徒会みたいなもの)を創立した井上円了先生、校歌を作詞した堀口大學先生、東京帝大総長の小野塚喜平次先生……

しかしきちんと同窓会名簿に書いてあるのに、あまり教えてもらった記憶がない島峰徹先生、国立東京医科歯科大学の創立者、初代学長です。
さらっと紙に書いてあるだけでした。

そして、佐藤剛蔵先生、今のソウル市にあった京城医学専門学校の校長、京城帝国大学医学部の設立準備委員でもあり、およそ30年間、現在の韓国での医学教育に人生を捧げた人物です。ワタシのもらった著名卒業生のリストに書いてありません。長岡市出身ということで、同窓会名簿に書いてあることがわかりました。
京城医学専門学校最後の校長として1945年8月15日を迎え、学校は休校となります。佐藤先生はその時に教え子に守られて日本に避難しました。
教え子は、自主管理の医学校を2ヶ月後に立ち上げます。
それが現在のソウル大学医学部の前身となりました。
ソウル大学医学部と、京城帝国大学・京城医学専門学校の連続性はない、といわれるのがそういう理由です。
しかし、佐藤先生の、その教え子達が現在のソウル大学医学部や、他の医学校をつくったので、佐藤先生が、韓国医学教育の礎を築いたのです。

長高時代には聞きませんでした。大人になって知りました。
猪俣津南雄先生も大学で知りました。
偉大な先輩が多すぎる、という贅沢な高校ですが、せめて教えてもらいたかったです。ドラマのSKYキャッスルをみて雑感。

京城医学専門学校第7代(最終代)校長 佐藤剛蔵

佐藤剛蔵は旧姓夏目剛蔵であり、兄の夏目洗蔵は長岡中学の教員をしていました。兄弟で教育者でした。

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