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秋田港発、関西8日間・旅日記(兵庫県前編)

 3日目 西宮市・芦屋市・異人館の巻

 宿泊したホテルはポートアイランドと言う人工島の上にあり、幕張新都心と同様で大地震が来たら、液状化の被害などが目立つ区域でした。

 事前にホテルの駐車場を予約し、ベルボーイが玄関前にある場所まで誘導してくれて、好感と安心感がある対応に落ち着きを感じました。

 想像したよりも遅いチェックインで荷物を取り出し、シャワーを浴びて、また服を着替えるのが億劫になりレストラン街へ行くのを思い迷いました。恐らく初めて頼むルームサービスに、時間と気持ちの余裕ができて早めに休むことが出来ました。

 3日目は知人に会いに行くために西宮市へ向かいました。旅行前、神戸市は横浜市のように貿易で栄え、異国と洒落た街の印象のみでした。また平坦と想像していましたが、それは一部で急勾配な坂がとても多く移動するのに気を使った印象が強かったです。

 知人はアロマオイルなどの調合師でセラピストをしています。世間話から始まり、東北と関西の地域格差や米国大統領選、医療や食の問題など幅広く話しました。一番印象だったのは日本人が余り気にしていない食品添加物、農薬濃度が世界で一番使われていること、種子法と種苗法改定に付いてでした。

 知人のマンションから高級住宅街で有名な、芦屋市六麓荘町が近くに見えました。前日に立ち寄る予定でしたが、知人宅から次の目的地である神戸北野異人館街へ向かう途中、六麓荘町へ立ち寄りました。

 私は住宅関係の仕事をしていて、何度も芦屋市に建てる物件を担当していますが実際に行くのは初めてです。昨年に出版された「女帝 小池百合子」にも氏が生まれ育った芦屋市が出てきて興味深い地域でもありました。

六麓荘町

 芦屋市はそんなに大きな町ではありませんでした。海側の国道沿いは一般の物件が多く、六甲山側へ進むと本気の高級住宅地である六麓荘町が見えて来ました。国道から山側へ行くと六麓荘町の看板が見えて来て、そこからは通常の電柱と電線がなくなり(電線は景観が乱されるために地下に埋めているそうです)モダンな街灯へ変わって行きます。

 町には建築協定があり、敷地の4割以上(地区により3割)は庭として緑地にすること、個人の住宅(別荘)として使うこと(オフィスなど禁止)、一戸建てのみの建築を可能とすること、敷地の4割以上は庭として緑地にすることなど様々な取り決めがあります。

 屋敷の庭には彫刻や噴水や小便小僧など、とても邸宅には見えなくギャラリーと錯覚してしまう、一般の感覚からは離れていました。

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 地名もブランドとし良く使われます。芦屋もその一つと感じています。仕事柄、高級住宅を手掛ける事もあり、田園調布や成城など書類ではごく当たり前に見る日々を送っています。

 特に芦屋を含めた高級住宅地は、大衆と高級な邸宅との差がとても激しいです。今回のように傍から見ても通常の感覚とは離れ、大衆向けの地域もあってブランドには一旦、引いた目で見る必要があると改めて感じさせられました。

 書籍「女帝 小池百合子」にも氏と家族が芦屋という地名を、ふんだんに使った事に付いて書かれています。地方ではメディアを通し情報を得る歴史が根強く続き、情報がグローバル化したとは言え、まだ大都市ブランドに弱い所があります。小一時間でしたが、とても俯瞰し見る体験が出来ました。

 六麓荘町の急勾配な坂道を徐行運転で下り、国道へ抜けて神戸北野異人館街へ向かいます。予定では初日にゆっくりと散策するはずでした。

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 15時を過ぎて異人館街へ入ると、一方通行の心臓破りの坂が連なり目的地の風見鶏の館を通り過ぎて、また国道まで戻って来る事になりました。気持ちが滅入り朝から何も食べていなく休憩を取り、北野坂で遅い食事を取りました。

 イタリア人が営んでいて、客層は若いカップルやBoseのヘッドフォンをしながらゆっくり読書をする人やオープンテラスで寛ぐ人など、のんびりした雰囲気でした。時間も夕方に差しかかっていましたので、ゆとりを持てず店を出た事に罪悪感を感じてしまいます。

 ゆっくりと散策どころか小一時間という短い時間で、風見鶏の館と萌黄の館を見ました。と言うよりも急勾配が余りにも多すぎる地域で時間があっても、私の脚力では回る事は難しかったかもしれません。

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 両邸宅は120年前に欧米の富裕層が建てた2階建ての住宅建築です。邸宅内はアール・ヌーヴォー風の装飾が至る所に目立っていました。豪華なシャンデリアを使用したダイニングルーム。朝食専用の間。一人娘の広い寝室と遊び部屋と玩具。使用人専用の部屋とキッチンへ繋ぐ階段。

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 私が観て感じたことは「こんな山の上に、高級住宅なんか建てるんじゃねぇ~!!」と余り良い好感が持てませんでした。現代は一般大衆へも世界中の建築工法や装飾などが使われ、見た目を重視した化粧梁や柱、飾りの煙突など使い、先人が造り上げた真似事を楽しんでいる満足感が伺えます。

 120年前にはホンの一角の層にしか使用することが出来なかったと思いますが、当時の彼らは新しく先端なものを追いかけることに、ゆとりを感じていたと伺えます。そんなに大きくない当時の高級住宅内には家具、ファッション、絵画、食器、チェスなどの娯楽品を含めた私物には、数多くの芸術が見られました。

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 旅行に時間的な余裕と体力があったら、もっと別の角度で楽しむことが出来た神戸北野異人館の一区画巡りでした。

 邸宅を出た時間は日没に差し掛かっていて、すぐ傍にある北の広場から街並みが一望できると、素敵な場所と感じることが出来ました。

【4日目 姫路城編へつづく】



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