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「パワハラ視」「老害視」怖い。

思うことはある。たくさんある。しかし、思うと同時には、簡単に口から出力できないのが現代日本。思ったら一旦、飲み込んで自分の頭の中で検証する。「これは言っていいことなのか、どういう言葉に変換すれば伝わるのか、あるいは、そもそもそう思ってしまう自分が"いま"にそぐわない思考の持ち主なのか。」

会社で起こる世代間ギャップで散見されるのは、「努力を厭わないモーレツ社員が好ましい」高齢層と「勤務時間内でしっかり仕事をこなす社員が好ましい」若い層との深い断層。働き方改革以降、マネジメント層は最もケアしなければならない問題として常に念頭に置き、残業の強要などしようものなら、社内パワハラ110番に通報されてしまうのではと恐怖する。窮屈な世の中になった。
こういうことがあって、今は、会社で「怒鳴る」はおろか「説教する」ことすら見かけることがなくなった。

毎日のように、怒鳴られ、時には叩かれ、ボロ雑巾のようにクッタリさせられた20代を過ごした私にとって現代は「良い時代になった」のだろうとは思う。だが、一方で、部下や後輩に対して「配慮という名の遠慮」「優しさという名の警戒」「信頼という名の無関心」が蔓延っているのも事実だろう。会社における人と人との関係はいつの間にか希薄になった。表面上は問題がなさそうに見えても、深い溝で互いに踏み込めない領域を区切って、そこを侵犯しないようにしているだけ。それはひとえに、我々50代が作り出したものであり、この時代の生き辛さ、窮屈さもまた、我々50代より上の層に全責任がある。自分で自分の首を絞めるだけならまだしも、若い世代の首も絞めているのだからタチが悪い。

三人の息子に対しては、そんなことは考えない。お互いに何も気を遣わない。私が少しでも語ろうものなら、矢のように「はい、老害」と言ってくる。それが私にとってはある意味心地よいし、自戒にもなる。家族と会社は違うからしようがないか、と思いながら、会社の後輩や部下との関係が息子たちとの関係のようになったらどんなに楽だろうと妄想する。

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