イノベーションオブライフ

不幸な道へと踏み外してしまう問題の原因はどこにあるのか。
それを知ることは、まだ正しい道を歩んでいる人や、いままさに旅を始めようとしている人にとっても重要だ。
わたしたちはだれしも、これまであまたの人に踏み誤らせた力や決定に翻弄されやすいのだから。
「イノベーションオブライフ」 クレイトン・クリステンセン著

同書では、自分の人生に対する簡単な三つの質問に対して、賢明な選択をするための手助けをする理論を提示している。

以下では、引用を交えながら三つの質問に対して答えを出すための理論をまとめていく。

第一の質問
幸せで成功するキャリア
~自分のやっていることをやれる幸せを噛みしめながら目覚められるような仕事を見つけるための戦略~

戦略の構成要素は、優先事項、計画と機会のバランス、資源配分である。

(1)優先事項

動機づけ要因に満ちあふれたキャリアは、仕事への愛情を生み出すと共に金銭的報酬が高いことが多い。

衛生要因はある一定水準を超えると、仕事での幸せを産み出す要因ではなく、幸せがもたらす副産物にすぎなくなる。

真の動機づけ要因ではなく、衛生要因につられて仕事を選択すると、不幸を招きうる。


誘因理論(インセンティブ)と動機づけ理論(モチベーション)
誘因理論:報酬によりやる気を引き出す。これでは、非営利組織や慈善団体で活動する人の説明がつかない。
動機づけ理論:衛生要因と動機づけ要因の二種類がある。衛生要因は少しでも欠ければ不満に繋がる要因(報酬、安定、方針など)。あくまで不満の解消にとどまる。動機づけ要因は仕事への愛情を生み出す要因(やりがい、他者評価、責任、自己成長)。

(2)計画と機会のバランス

自分のキャリアについて、考えが固まらないうちは、人生の窓を開け放して、多様な選択肢をとれるようにしておこう。

戦略の選択肢は、意図的戦略と、創発的戦略のふたつがある。当初の意図した計画に固執するか、修正するかは大きな選択を迫られることになる。
衛生要因と動機づけ要因の両方を与えてくれる仕事がすでに見つかっているのなら意図的手法をとるのが理にかなっている。
反面、こうした条件を満たすキャリアがまだ見つかっていない場合は、創発的戦略をとる必要がある。
そして、本当にやりたいことが見つかったら意図的戦略に移行するべきである。ふたつの戦略を行き来して、バランスをとることが重要。

(3)資源と配分のバランス

多くの人は、長期的に見て重要なことは理解している。それでも、誤った決定をしてしまうのは、小さな決定の積み重ねによるものである。

家族が何より大事だというなら、ここ一週間の時間の使い方の選択で、家族を最優先しているだろうか。

家族、子育て、キャリア、地域社会貢献など私たちは、企業と同じく様々な事業を抱えている。それぞれの事業を追求するのに、どの資源をどれだけ配分すべきだろうか。
達成動機の高い人が陥りやすい危険は、いますが目に見える成果を生む活動に、無意識のうちに資源を配分してしまう。これは、自分が前進していることが最も具体的に見える分野だからだ。
即時的な見返りは得られない子育て、家族との時間など長期的な計画に経営資源を割かないと、不幸な人生を築いてしまう可能性がある。

第二の質問
伴侶、家族、親族、親しい友人たちとの関係をゆるぎない幸せの拠り所とする  
~仕事をすればたしかに充実感は得られる。だが家族や親しい友人と育む親密な関係が与えてくれる、ゆるぎない幸せに比べれば、なんとも色あせて見えるのだ~

忍耐強く努力を続ける決意がなければ、成功はおぼつかない。

(1)良い資本と悪い資本の理論

良い資本は、成長は気長に、しかし利益は性急に求める。つまり、間違った戦略に全資源を投入せず、できるだけ早く実行可能な戦略を見つけることを要求する。一方で、悪い資本は、利益より先に成長を求める。ひとたび利益ある有効な戦略が見つかれば、そのモデルを拡大展開できるかどうかが、成否を分けるカギとなる。
主力事業が頭打ちになると新しい収益源がいますぐ必要になる。しかし、新規事業への投資を怠ってきた企業は、本当に必要になったときには、もう手遅れなのだ。


見返りが必要になる前に大切な人たちとの関係に投資しておくべきである。
人生の最も辛い時期を支えるのは、それまでに投資してきた数々の人間関係である。

いまはまだ子供が幼いから、仕事に専念しよう。成長したら大人と同じことに関心をもつようになれば、家庭に力を入れれば良い。といった考えは誤りであり、自分が思うよりはるか前から子供に投資しなければならない。

時間と労力の投資を、必要性に気づくまで後回しにしていたら、おそらくもう手遅れだろう。

(2)ジョブ理論

製品サービスを購入する直接の動機となるのは、自分の用事(ジョブ)を片付けるために、その製品サービスを雇いたいという思いである。
ミルクシェイクが雇われる理由は、通勤時間を快適に、楽しくするため。競合する製品サービスは、他チェーンのミルクシェイクではなく、バナナやベーグル、ドーナツ、シリアルバー、スムージー、コーヒーなどがある。
用事を片付けることが、購入を促す因果的作用。片付けるべき用事という観点から製品や市場セグメントを定義すべきである。

仕事でもプライベートでも、自分がどんな用事を片付けるために雇われているかを理解すれば計り知れないほど大きな見返りが得られる。

用事を理解するには、直感と共感という重要なインプットが欠かせない。パートナーが片付けようとしている用事は、あなたが考える用事とは、かけ離れていることが多い。よかれと思ってしたことが、見当違いということはよくある。

パートナーが片付ける必要のある用事を心から理解しようとすることで、愛情がますます深まる。

幸せを求めることは献身が大切であり自己犠牲の精神からその献身を不動のものにできるかどうかにかかっている。

(3)未来をアウトソーシングしてはいけない

目先の利益にとらわれて、将来的な高付加価値が見込まれるものをアウトソーシングすることは、未来の自分の首を絞めることとなる。
どうすれば、アウトソーシングのもたらしうる危険性を事前に知ることができるのか。それは、能力という概念を理解することで得られる。能力とは何か、将来に必要な能力はどれで、社内に留めるべき能力、重要度の低い能力らどれか、を理解する必要がある。
能力は、資源、プロセス、優先事項を考えることでとらえることができる。
目に見えやすいものは資源であるが、プロセスはバランスシートには表れないため目につきにくい。
企業の戦略とビジネスモデルに合った優先事項を機能させるプロセスが存在し、それに基づいた経営資源の適切な配置を行うことが生き残りに繋がる。

資源は手段、プロセスは方法、優先事項は動機に当たる。

過剰な習い事など親が子へ機会を与えることが目的化しており、子供が本気で取り組んでいない場合は、資源は得られてもプロセスを養うことができない。これは育児のアウトソーシングの代償である。

こうした活動は、子供を深く関わらせ、困難なことに取り組む意欲をかきたてる経験とならなければ、将来の成功に必要なプロセスを養う機会にはならない。


問題に恐れずに取り組む姿勢は、ありあまる資源から生まれるのではない。困難を乗り越え、大切なことを成し遂げてこそ生まれるのだ。

親として果たすべき役割をアウトソーシングすればするほど、子供が価値観を養う手助けをする、貴重な機会を失うことになるのだ。

子供はあなたが教える準備ができたときに学ぶのではない。子供自信が学ぶ準備ができたときに学ぶのだ。そのときに親はそばにいてやらなければ、人生を方向づける優先事項や価値観を養う機会を逃すことになる。

筆者が人生を振り返ると、両親が与えてくれた最も素晴らしい贈り物のひとつは、してくれたことよりも、してくれなかったことにある。例えば、服が破れたときに縫ってくれるのではなく、縫う方法を教えてくれたこと。
ここからの学びは、自分の問題を自力で解決できるという自信をもち、やりとげたことに誇りを感じられるということ。
親が子供に授けられる最も重要なことは優先事項をしっかりと持つことの大切さを教えることかもしれない。
子供が学ぶ準備ができたときに、私たちがそばにいて、行動を通して、学んでほしい優先事項や価値観を示す必要がある。今では、家庭にあった仕事の大部分をアウトソーシングできるようになったことで、子供が学ぶ準備ができたときに、そばにいるのは私たちの知らない人や尊敬できない人であることが多いのだ。
あなたの子供が、優先事項や価値観をよその人に学ぶなら、彼らはいったい誰の子供だろうか。

(4)経験の学校

履歴書的な資質の考え方は、成功と相関性のあるスキルを並べ立てるにすぎない。正しい資質は、実際に求めることを成し遂げたことがあるか、あるとすればどのような状況で成し遂げたのかである。そうすれば、今後対処すべき問題に、取り組んだ経験があるかどうか判断できる。これはプロセス能力を測ろうとするものだ。資質とは先天的なものではなく、「経験の学校」でどのような「講座」を受講してきたかで決まる。
履歴書で注目すべきは、名詞ではなく、過去形の動詞である。そこに何をしてきたかがあらわれる。

自身のキャリアについても、収入や名声をもとに選ぶのではなく、この仕事は将来立ち向かう必要のある経験をさせてくれるかどうかという判断基準で選ぶことが成功に繋がる。

あなたは親として、子供が早いうちに重要な講座をとれるように機会を見つけてあげることができる。

子供が手の届かない目標を目指して頑張った結果であれば、失敗も称賛しなくてはならない。

子供の宿題を代わりにやってあげるなど、安易な救済は「ズルをする」という講座を与えることになる。

大変な問題が起きても、親が助けてくれる、自力で解決しなくてもいいと考えるようになる。

親としての決断は重要な課題をおろそかにするとどうなるか、その成り行きを見届けさせること。夜中までかかって自力で終わらせるか、さぼった報いを受けるかだ。その結果として、テストでは悪い成績をとるかもしれない。しかし、子供は「自分の責任は自分でとる」という講座の最初のレッスンを受講することになる。

経験させたからといって、子供が学ぶべきことを学ぶとは限らない。期待した成果が得られないときは、なぜその経験ではダメだったのか考えて、色々なアイディアを用いて、繰り返す必要がある。
親にとって大切なのは、決して諦めないことだ。

わたしたちは子供が達成した成果の得点表によって、子供の成功を評価しようとする。だが長い目で見て、大切なことは様々な経験の学校で受講する講座の内容だ。どんな賞やトロフィーよりも、それこそが社会に出る前に、子供に成功する力を身に付けさせる最良の方法なのだ。

(5)家庭の文化

理想の家庭像と現実の家庭のギャップを縮めるのに役立つ最強のツールは文化だ。

エドガーシャインの定義-文化とは共通の目標に向かって力を合わせて取り組む方法である。その方法は、きわめて頻繁に用いられ、きわめて高い成果を生むため、だれもそれ以外の方法では行おうとは思わなくなる。文化が形成されると、従業員は成功するために必要なことを、自律的に行うようになる。
自律性は一夜にして身につくものではなく、共有学習を通して生まれる。共有学習とは、問題をともに解決し、有効な方法を考えだそうとする取り組みをいう。つまり、問題解決を通して、優先事項とプロセスを生み出している。文化とは、組織内のプロセスと優先事項が独自の方法で組み合わさったものをいう。このようにして文化が醸成されると組織が自己管理型になる。ただし、文化が強力であればあるほど、環境の大きな変化に対して文化を変化させることが困難になる。

親も優先事項を設けることによって、そばにいようがいまいが、子供は「我が家の行動方針」に従って行動するようになる。

いきなり方針や文化を子供に押し付けるだけではいけない。
身近な簡単なことからでもよいので、実体験を通じて楽しさ、達成感、誇りなどを感じさせることで学んでいく。

気を付けないといけないことは、文化とは意識の有無に関わらず、どの家庭にも生まれるものであること。気を付けないと、「一度や二度」はすぐに文化となる。一度家庭文化に埋め込まれたものは、そう簡単に変えられない。律するだけではだめで、褒めることも大事だ。

第三の質問
誠実な人生を送り、罪人にならずにいる
~誠実な人生を確実に送るためにはどうすればよいのか。「総費用と限界費用」の考え方から答えを出す~

(1)限界的思考の罠


わたしたちが人生で重要な道徳的判断を迫られたとき、どんなに忙しかろうと、どんな結果が待っていようと、何かが警告をしてくれて、大事な瞬間に正しい判断ができると思ってはいないだろうか。

投資の選択肢を評価するときには、埋没費用や固定費は考慮に入れずに、限界費用と限界収入をもとに判断をくださなければならない。これはファイナンスで必ず教えられる原則。しかし、これは危険な考え方である。このような分析ではほぼ必ず、総費用よりも限界費用が低く、限界利益が高いことが導かれる。将来必要となる能力を新たに構築するよりも、過去に成功するために構築した既存能力を活用するようバイアスをかける。このため、既存企業はこのような限界的思考に捉われて、新しい市場に参入することができず、結局は既存事業を失う羽目となる。もし既存事業がなかったら、新規事業を構築する一番良い方法は何か、顧客にサービスを提供する最良の方法は何だろうか、と考えるべきである。

莫大な資本を持つ大規模な既存企業が、新規事業のコストを「高い」と感じるのはなぜだろうか。これに対して、資本の乏しい小規模な新規参入企業が、すんなり計画を受け入れるのはなぜだろうか。
答えは、限界費用と総費用の理論にある。既存企業は投資判断をする際に、全く新しいものをつくる総費用、既存資産を活用する際の限界費用と限界収入、の二つの選択肢が必ずある。新規参入企業は選択肢は後者のみであり、限界費用=総費用となる。

わたしたちは限界費用の考え方を、善悪の判断にも同じように用いている。

「一度だけならいいだろう」という行動の限界費用はないに等しいように思えるが、必ずと言っていいほどそれを上回る総費用がかかる。
つまり、一度だけの代償がどれほどの総費用を伴うか気づきもしないのだ。

最初は小さな決定かもしれない。しかし、それを繰り返していくと大きな決定を迫られたときに、それが大きな決定ということがわからなくなってしまう。その結果としてなりたくなかった人間になってしまう。

「やむを得ない事情なら一回ぐらい」というのは誤りだ。なぜなら人生は、やむを得ない事情が次々と降りかかってくるからだ。

一度でも一線を越えたら、そのあとは一線を越えることが容易となる。何を信条とするかを決め、それを常に守ろう。

最後に

本書の助言を生かすためには、人生の目的を定めなくてはならない。


目的が意味を持つためには、目的の三つの部分が重要である。①自画像ー理想像、自分のなりたい自分、②献身、③尺度ー一貫性をはかる
目的は届けられるものではない。人生に起きる様々なことは得てして創発的だ。
じっくり時間をかけて人生の目的を考えれば、後から振り返って考えたとき、それが人生で学んだ最も大切なことだったと必ず思うはずだ。