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とある広告クリエイターが地方でプロバスケクラブを立ち上げて3年経った話

僕は今、株式会社ボランチという広告の企画・制作をする会社と合同会社FUという北海道岩見沢市を拠点とする3人制バスケプロクラブ「HOKKAIDO IWAMIZAWA FU」を運営する会社の代表をやっています。

2020年からチーム立ち上げの準備を進めていたので、今年で3年が経ったことになります。広告屋だった自分がなぜプロバスケクラブを立ち上げたのか、ここまでの経緯や想い、今そしてこれからについて記してみようと思います。

きっかけは2019年ルヴァンカップ決勝

僕は本業の広告会社を「ボランチ」と名付けるくらいサッカーが好きです。昔から観るのも好きだし、たまにフットサルをやったりもしています。そんな僕が推しているサッカークラブが「北海道コンサドーレ札幌」です。

好きになった理由は色々あるのですが、たまたま試合を観に行ったときに配られていたチラシを見たときに、選手の中に同じ誕生日で、かつポジションはボランチ、そしてキャプテンという自分と重なる選手「宮澤裕樹」選手を見つけたからです。そこから僕は宮澤選手に注目することになり、気付けばDAZNに入り毎試合観るようになり、たまに現地に観戦に行ったり、少額ですがスポンサーにもなりました。

そんな北海道コンサドーレ札幌がルヴァンカップというカップ戦で決勝に上がることになった2019年。こんな機会はなかなかないかもしれないと思った僕は嫁を連れて埼玉スタジアム2002に行くことにしました。

そして、そこでの体験が僕にスポーツが持つ熱狂のすごさと可能性を感じさせることになりました。まず最初に感動したのは北海道を形どった「コレオ」です。こんなにたくさんの人が北海道からわざわざ試合を観に、ここまで来たのかという驚きと、コレオの美しさに、鳥肌が立ちました。

そして、肝心の試合はというと、逆転に次ぐ逆転、アディショナルタイムや延長でのゴールなどで、最終的にPK戦にもつれ込むという劇的な試合展開。サッカーを観たことがない人でも、こんなにもサッカーはドラマチックなものかと、誰もが魅了されるような、そんな試合だったと思います。

そこで生まれたサポーターの一体感。全く見知らぬ人たちとゴールが決まる度にハイタッチを交わす。普段はあまりそういうことをやりたがらない嫁も勢いでハイタッチしてました。それくらい人を熱狂させる空間がそこにはあった。

結果的にコンサドーレ自体は惜しくもPK戦で敗れてしまったものの、この試合での体験は自分の中でのスポーツ観戦体験の印象を大きく塗り替える、そんな体験になりました。

「クリエイティブで地方創生」の違和感

当時、自分はクリエイティブの力で地方創生を行いたい、そう思っていました。自分の場合は出身が北海道だったので、まずは北海道かなと思い、実際に北海道にも何度か足を運び、色々な人と話したり、他の地域での情報を集めたりしていました。

ただ、どうもしっくりこない。クリエイターが地域おこしに関わったり、PR動画やアクティベーション施策を実施している例はたくさんあるものの、正直これで本当に地域はよくなるのか、自分には疑問でした。

「そういった上辺のクリエイティブや単発のクリエイティブでは、本当の意味では地方は良くならないのではないか」そう考えた僕がたどりついたのがスポーツでした。

前述したコンサドーレのような熱狂を地域にもたらすことが出来れば、人々はより豊かな暮らしが出来るのではないか、そしてそのスポーツの熱狂をクリエイティブの力で増幅することが、自分が目指す地方創生の形になるかもしれない。この考えが、自分がプロスポーツクラブを立ち上げるきっかけになりました。

ONE TOKYOとの出会い

プロスポーツクラブを立ち上げようと思い、情報収集を始めようとした矢先に本田圭佑さんが発起人となり「ONE TOKYO(現EDO ALL UNITED)」というサッカークラブが2020年の2月に誕生します。このサッカークラブが面白いのは「オンラインサロンで運営をし、参加者は全員オーナー」というシステムであること。すべてはサロンメンバーの投票によって決定するという、DAOの先駆けのような仕組みを取り入れていました。

まだスポーツクラブが何たるかも、何もわかっていなかった自分は、迷わずONE TOKYOに参加しました。最初は各担当を決める選挙から始まったのですが、せっかくならと思い、自分はGMに立候補しました。

GMには乙武洋匡さんが立候補していて、かなり無理目だなとは思ったものの、そこで名前を知ってもらえれば、次のチャンスが周ってくるのではないかと思ったからです。案の定、結果は燦々たるものになりましたが、予想通り、次の選挙「ロゴ担当」は自分のこれまでの経験も活かせる内容だったので、再度立候補し、無事担当に就任することができました。

その後ONE TOKYOでは、色々とゴタゴタがあったのですが笑、ある時期に深くコミットしたことで、スポーツクラブを運営する上で必要なことを知ることが出来たり、他のクラブやスポーツ関係者とつながりが出来たことは、確実に今のクラブ経営に繋がっています。

そんなONE TOKYOで得たものを自分なりにアレンジすることで、またもう少し違う形のスポーツクラブをつくれるのではないか、そう考えたときに、地元である北海道岩見沢市で「総合型地域スポーツクラブ」を運営する、現在共同代表である辻本さんと出会います。

バルシューレと教育大学

辻本さんは北海道教育大学 函館校に入学し、そこで「総合型地域スポーツクラブ」に出会います。そしてそれを生涯の仕事にしたいと考えた後、北海道教育大学 岩見沢校の大学院に入り、ドイツ発祥のボールを活用した運動プログラム「バルシューレ」について研究を行いながら、総合型地域スポーツクラブ「SLDI」を岩見沢で立ち上げます。

スポーツを通じて、まちの子どもたちに「これからの社会を生き抜く力」を身に着けさせる、それは僕がクリエイティブでやりたいことと同じでした。そして辻本さんとしては「総合型地域スポーツクラブ」の延長線上として「プロスポーツクラブ」がつくりたかった。僕は「プロスポーツクラブ」をつくることで、地域に熱狂をつくりたかった。アプローチは違うものの、最終的に目指すものは同じかもしれないと思い、僕たちはタッグを組むことにしました。

僕個人としても、地元岩見沢の最大の魅力は「スポーツと芸術に特化した」大学である北海道教育大学 岩見沢校があることだと以前から考えており、そこと組めることはプロスポーツクラブを運営する上でとても大きいと考えていました。そして大学と一緒に開発している運動プログラムを活用できることも、非常に大きな差別化ポイントだなと思い、岩見沢を拠点とすることにしました。

理念づくりと競技決めと仲間集め

プロスポーツクラブを立ち上げるにあたり、まずは理念を言語化するところから始めました。特に、僕と辻本さんは出会ったばかりでお互いのこともよく知らなかったり、やってきた分野が違うこともあり、共通言語がない可能性もあったので、まずはそこから始めました。

奇しくも世の中はコロナ禍真っ只中で、オンラインでのMTGが当たり前になったタイミングでした。辻本さんは岩見沢、自分は東京という状況でしたが、それがマイナスにならなかったのは、そのタイミングだったからかなと思います。今だったら多分難しかったかもしれません。

毎週のようにオンラインでMTGし、お互いの考えをすり合わせる。3ヶ月ほど繰り返して行く中で少しずつ理念が形になっていきました。時間は掛かりましたが、必要なプロセスだったなと思っています。

また、そのタイミングで競技をどうするか、という話があったのですが、北海道、特に岩見沢は豪雪地帯で年の半分近くが雪のため、外の競技は難しいのではという話になり、アリーナスポーツにしようという話になりました。アリーナスポーツの中でも、バスケであれば辻本さんの師である北海道教育大学 岩見沢校の奥田教授の専門でもあるので、より目標達成が早く近づくのでは、ということから競技はバスケになりました。

当初は3x3ではなく、Bリーグを目指したいという想いがありましたが、色々と調査を進めるにあたり、B3の参入でもかなり高い参入ハードルがあったため断念することにしました。そんな中、ONE TOKYOでのつながりから3x3という競技の存在を知り、リーグの方とも話したところ、非常に自分たちと考えがマッチしていたため、3x3に参入することを決めました。

理念が完成し、競技も決まった。けど、肝心の選手がいませんでした。僕も辻本さんもバスケは専門外のため(ふたりともサッカー笑)、奥田教授へ相談をしたところ、紹介されたのが現在共同代表の田尻さんでした。

我々の想いなどをお話ししたところ、コロナ禍で道内のバスケットボールの存在意義が揺らいでいることに対して危機感を覚えていた田尻さんの想いと共鳴し、三人で進めることになりました。

最初は田尻さんのバスケットボール仲間に声をかけ、一人ずつメンバーを増やしていきましたが、当時流行していた音声SNS「CLUBHOUSE」で3人制バスケクラブを立ち上げる話をしたところ、それを聞いていた人から自分たちに興味を持っている元Bリーガーがいるという話を聞き、一度話をして仲間になってもらいました。そして、またつながりから一人、また一人と仲間を増やしていき、今のメンバーのベースが出来上がりました。

3人制プロリーグ「3x3.EXE PREMIER」への参入

少しずつメンバーを増やし、スポンサー集めなども平行して行いながら、2021年9月末にプロリーグへの参入申請を行いました。

当時まだFUとしては収入がほぼなく、参入できるかどうかかなりギリギリだったのですが、前述の元Bリーガーをはじめチームとしての運営体制が整っていたことを評価いただき、何とか無事参入することが出来ました。

当時は参入可否の連絡がいつ来るか分からず、毎日胃が痛くなったり、不眠症のようになっていましたが、承認のメールが来たときは本当にほっとしたのを覚えています。

その後銀行から借り入れを行ったり、引き続きスポンサー集めをしたり、収益獲得のための事業として、ブロックチェーンを活用したトークン発行型クラウドファンディングサービス「FiNANCiE」の準備を始めるなど、あちこちに奔走していました。

そして2022年5月、ついにプロリーグが開幕しました。リーグは全8ラウンド、5月〜9月頃がシーズンになるのですが、本当にあっという間という感じです。

とにかく何も分からないまま迎えた開幕戦。初戦は見事に勝利を飾るものの、そこからしばらく勝ちなしが続く。2ラウンド、3ラウンドは本当に何も出来ずに終わった感が強く、選手も含め茫然自失とすることもありました。

自分は今までただのファンとしてコンサドーレの試合を観て、それでも勝った負けたで一喜一憂していましたが、自分のチームが負けるとこんなにも悔しいのだなと、仕事でもなかなか味わうことのない悔しさを感じることが出来たのは、プロスポーツクラブ運営ならではの醍醐味かもしれません。

また正直自分はバスケ経験がないのでちゃんとしたアドバイスは出来ない。けど、その中で何か出来ることはないかと、必死に考え、選手とコミュニケーションを取ったり、試合動画を観たり、撮ったりしながら、自分なりに研究をしたことで、少しは3人制バスケに詳しくなれたかなと思うのと、突き詰めると「成長」に必要な要素は、バスケだろうと、勉強だろうと、仕事だろうとあまり変わらないということが分かったのは、収穫でした。

そんな感じで少しずつ選手の方でも色々試していったりしたのが功を奏して6ラウンド目から少しずつ勝てるようになったものの、4勝15敗でカンファレンス5位(6チーム中)という成績で初年度は終わりました。

正直初年度は本当に何も分からなかったこともあり、自分としてもかなりリソースを割いてしまったのですが、実は本業にもかなり影響が出ました。一人会社なのと、少し蓄えがあったから何とかなったものの、このままではサスティナブルな経営からは程遠いなと個人的には強く感じました。

プロ2年目の今年。新たな挑戦。

そんな2022シーズンを振り返りつつ、共同代表三人の意思を確認し、2023シーズンもHOKKAIDO IWAMIZAWA FUとして3x3.EXE PREMIERに参入することを決意します。

そして、さらに2023シーズンはさらなる成長のためにROUND誘致を行うことにしました。3x3.EXE PREMIERにはホーム・アンド・アウェーという概念はないため、ホーム開催をするには、自分たちでお金を用意して、大会自体を誘致する必要があります。

クラブを次のステップへと進めるためには、地域の人に3人制バスケという競技があることを知ってもらったり、IWAMIZAWA FUというチームがあることを知ってもらう必要がある、そのためにはROUNDを誘致することはマストでした。

誘致するラウンドは最終節9月3日開催のラウンド9に決定し、これまでのように5月からリーグに参戦しながら、同時に実行委員会を立ち上げ、まちの人たちを巻き込みながらラウンド誘致の準備をすることになりました。

正直、リーグ参戦自体は去年一度やっていることもあり、だいぶ楽になるだろうから、こちらのラウンド誘致に力を注げば何とかなるかなと思っていたのですが、ただラウンドを誘致するだけでなく、街にとっての新たな「お祭り」のようなイベントにしようという話になり、少しスケールが大きくなってしまったことで、実際はかなり大変な状況になりました。

またこちらの誘致にかかる費用が、リーグの年会費と同じくらい(我々の場合は「お祭り」部分の費用もあるので、さらにプラス)かかるため、その費用集めが本当に大変でした。とにかく数を集める必要があったため、自分も定期的に北海道に飛び、色々な企業さんや商店街などに顔を出し、足で稼ぐというスタイルを取りました。おかげで街の人に存在を知ってもらえたり、応援してもらう機会はつくれたと思いますが、その分かなりのリソースが必要になってしまったのも事実です。

去年の轍は踏むまいと、年初はボランチとFUの割合をコントロールしようと思っていたのですが、結果蓋を開けてみれば両方120%の合計240%のような状態に。独立して以来、ボランチもFUも過去一番に忙しく、正直かなり久しぶりにメンタル的に危うい時期もありました。

そんな3年の集大成

そんな辛い想いをしながら、自分は何をやっているんだろうか? 本当にこれがやりたかったことなのか? など自問自答することも最近は多いのですが、そんなときだからこそ、初心を思い出そうと思い、今回このタイミングでnoteを書くことにしました。

プロスポーツクラブ運営は本当に辛いし、厳しい。それでもなんで僕が続けているかというと、やっぱりスポーツの熱狂を信じているから。そして、そこにクリエイティビティをかけ合わせることが出来れば、その熱狂はもっともっと大きくなると信じているから。

IWAMIZAWA FUのクラブフィロソフィーは「すべては"ワクワク"する未来のために」。そのフォロソフィーを実現するための第一ターニングポイントが本日9月3日(日)に北海道・岩見沢で初開催される「3x3.EXE PREMIER ROUND9」であり、それを拡張した「IWAMIZAWA 3x3 FESTIVAL」だと思っています。

この9月3日を越えることで、きっと自分たちはもっと成長できる。そして次のステップへと進むことができる。僕はそう信じています。

そして、僕は今「3x3」という競技自体の可能性をとても強く信じている。この競技の価値をもっと高め、広めることが、僕の目指す「スポーツ×クリエイティブ」のゴールの一つになるかもしれない。

これらの第一歩であり、この3年の集大成になる、本日9月3日の「3x3.EXE PREMIER ROUND9」&「IWAMIZAWA 3x3 FESTIVAL」。きっと楽しいイベントになると思います。是非3人制バスケの魅力と、うちの所属選手たちの魅力、そしてこの街の人たちの魅力を体験しに、岩見沢へ遊びに来てください。全力でおもてなしさせていただきます。

では、少しだけ仮眠をとって、イベント会場に向かおうと思います。長文お読みいただき、ありがとうございました。頑張ります。

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