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怒首領蜂大往生ブラックレーベル2周ALLのあとがき

あとがきというのだから長くなるだろうと思い、まず要点だけでもとは思います。

・挫折の定義も結末も他人が決めることではなく自分が決めること

・歳月は残酷で返っては来ない

・移植度は好き嫌いを分けるのか?

・ルーチンワーク化してもなお続けられるかの当人の問題

・今だからこそできる頭を下げて教えを乞うということ

こんなところでしょうか。


そもそもこのタイトルの攻略自体は1年ほど前に遡ります。当時は非常に盛んに攻略を進めていいところまで来たのですが、とてもでないですがグループホームという住環境は集中できるものではなかったですし、ゲーム機を没収されるなど制限も多かったです。急に引越しが決まり一人暮らしが始まりました。そこから攻略が加熱していくのですが、この時自分の足切りラインが決まってしまっていてそれを下回るたびに怒り狂っていたのを思い出します。

そういった結果が何に起因しているかを全てソフト側に押し付ける形で私はツイッター上で強く罵るようなことをよくやっていました。今考えてみれば異常だったと思います。それを見かねた方がLINEで通話した際に「そういうのを挫折という」とかツイッター上での振舞いにも口を出されたものです。当時私はある少年の指導や黒復活の布教を共に誓った方とふとした事で縁が切れてしまい精神的に参ってしまってその言葉を飲んでしまったのです。それから1年ほど他のタイトルに手を出しながらもどこか黒往生のことを思い出しては触れないことが多くありました。怒りの再発が怖かったのです。

怒りの要因としてxbox360版の大往生にはご存じの方は多いと思いますがとても商品として出して良いものではなかったですし、コンプライアンス的に問題はあったと思います。私は元々このソフトを販売している会社のADVのシリーズが好きでした。それが急にSTGの移植に乗り出したので驚きは隠せませんでした。同時に期待もしてしまったのです。そして蓋を開けてみれば凄惨たるものでした。そうして会社への愛や期待は憎悪へと変わっていったのです。だから今の私はこのソフトの何が嫌いになったのかもう分らなくなってしまったのです。当時の次世代機での移植という側面からPS2の大往生をはるかに上回るものになると大方期待されるのは当然の心理だと思います。長いロードや多数のバグ、痒い所に手が届かないトレーニングモードなど…つまるところガッカリゲーだったと思います。移植をするというのは難しいと思いますし、その完成度が会社の信頼や元のタイトルを楽しく遊べるかを大きく左右すると思います。完成度が印象を分けるとも言えるのではないかと私は思っています。それに泥を塗るような形になってしまったのが正直なところ許しがたいものがありました。

そんな気持ちを押し殺しながら1年ほどの歳月が経ち、ようやく重い腰を上げる時が来ました。移植はもうなってしまったからしょうがない、悪い環境の中でも十分クリアできている人はいる、ある意味逃げ道が無くなったの状態で再開することになったのですが忘れることは少なかったものの1年前とは違和感を感じることが多かったです。見えていたはずの弾が見えなくなったり、反応や対処が遅れたりなど怒りの矛先は自分自身のみならず1年前に挫折したと口にした人へ向けられることになります。端的に言えば時間を盗られた、そこでストップをかけなかったら結果は違ったかもしれないし今苦労してないだろうという飛躍した因果関係に執着したわけです。時間は返ってきません。

ただ今回の攻略で大きく違ったのは1年前の地力や移植はしょうがないと思える器量もですが失敗でも何でもいいからとにかく出すものを出して人に聞いて回って頭を下げて教えてもらうということでした。インターネットが恐ろしいぐらい発達した現代、多くの知識や技能を得るにはこれぐらい貪欲でなければ、ちっぽけなプライドをかなぐり捨ててでも教えを乞う問うことをかなりやってきました。それは絶大な効果が期待できる分、1年前の騒動から多くの人の信用を失った私に誰が手を差し伸べるのだろうかという不安もありました。私は幸運にも親切な有識者の皆様に支えられ、人間の善意に救われたのです。なぜ優しくされたのかはわかりません。どちらかと言えば私は界隈でも悪辣な罪人のような扱いを受けても仕方ないと思っていました。この場を借りて改めてお礼とお詫びを申し上げます。

そうして3か月ぐらい過ぎた頃でしょうか、このジャンルは乱数の問題はあれどパターンが命です。パターンが煮詰まってくると同じような終わり方をすることが散見されます。いわゆる40分かけて勝つか負けるかのバクチを打つだけのルーチンワークに似た状態に陥ったのです。この状態になるとあまり言えないですがものすごく退屈です。本当に私はこのゲームが好きだったのだろうかと自問自答するぐらい退屈でした。構図が似てくるとこういったことに陥ってしまうのではないかと思います。それでもなお続けられたのは根気やアドバイスをもらったという意味でのメンツも含めた意志、純然たる意志が自分を突き動かしていました。自問自答の果てに怒りはとうにろ過されて純粋にこのゲームをクリアしたいという思いだけが自宅の中に残ったのです。そしてクリアを達成して、こうして長々とあとがきを書いているわけです。

最初の要点について詳しく書いてきたつもりですが、最後にいくつか私の思いを。

結局のところ趣味なんですからどれだけ時間がかかってもいいです。時には休んでもいいです。自分なら一人でできるとか自分は偉い、すごいなどの驕りを捨ててもっと謙虚に頭を下げて教えを乞うことも考えてもいいと思います。やり遂げたら感謝の言葉を述べましょう。間違っても優越欲や自己顕示欲を満たすためやマウント取るためにやり遂げた実績を振りかざして欲しくはないです。挫折は自分が参ったと言うまで折れてないと思ってください。結末は自分が決めることです。だから自分自身で意思決定をしてください。

なぜならそれは全て自分の身に降りかかってくることがあるのですから。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

10月12日 くにしげ(QSD)

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