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名前に不満がある状態=人生に不満がある状態ではないか?という仮説

キラキラネーム、シワシワネーム、DQNネーム。そして平凡な名前。
名前と一口に言ってもいろいろあるし、それぞれつけられた経緯も違う。
誰かが名前は=呪いだと言っていた。
それもまた一つの意見だと思う。

ちなみに私はPNと本名が同じである。(もちろん表記は違うけども)
今まで二つPNを持ったことがあるが、一つは高校時代の
流石蔵人(さすがくらんど)で、男女分からないような名前にしたかったためにそう名付けた。
もう一つは24くらいに短歌をはじめた際に付けた
森下月華(もりしたげっか)である。
前回の名づけとは一転して、女らしく華やかな名前が良くてそう付けた。そんな歴史があってからの本名使用である。

私の本名表記は守屋重美だ。
しげみという名は、今で言えば「シワシワネーム」という部類だろう。
(シワシワネームとはジジババ臭い名前の総称である)

旧姓は小島で本家筋は小島、分家筋は小嶋だそうだ。父は10人兄弟の末っ子なので本家分家騒動には全く関知していないが、そういう事だと聞いた。武家で皇族に仕えたことのある由緒正しいっぽい血筋らしい。
大昔に土地か刀を貰えるとなった時に、その時のご先祖様は刀を選んだらしい。とんだ中二病である。
「土地にしとけば良かったのに」とは子孫である側の勝手な言い分である。

そんなことはどうでもいいのだが、私の「重美」という名は伯父である重雄(しげお)さんが付けた。母は違う名前を候補にしていたが、父の親代わり(私の父親は小学生時分に両親を日本脳炎で亡くしている。その父を21歳年上の兄である伯父さんが父親代わりに育ててくれた)だったので、伯父さんには逆らえなかったようだ。

ところで昭和の名前では○○子が多い、というイメージがある。
だが私の世代(昭和49年生まれの今年50歳、第二次ベビーブームと言われた世代)は○○子は古いから別の名前を付けよう!となった時代で、私の中学二年の時のクラスは「子」の付く名前は一人位しかいなかった。何なら今の方がまだいるかもしれない。
私の時は美が付く名前が大ブームだった。

美が付く名前の中でも「重美」という名は群を抜いてダサかったと思う。少なくとも当時の私はそう思っていた。
恵美、美穂、美幸、美由紀、真美、由美、美里、亜美、園美……挙げていけばいろいろ出てくるが、私は自分の名前に納得がいっていなかった。

昔、母に尋ねたことがある。
「お母さん、伯父さんが私の名前を付けたけど、何か別の名前を付けたかったんじゃないの?」
重美じゃなきゃどんな名前だったんだろう、という私の素朴な疑問である。
「そうだね、母さんは沙織ってつけたかったんだよね」
妊娠して初めての出産。娘の名前をどれにしよう!と思って母もワクワクしていたに違いない。その名づけの権利を横からかっさらってしまったのだ、伯父は。

ちなみに重美という名だが、重の字は小島家の男に付けられてきた字らしい。長男を期待されてきたのかもしれないが、重美という名も男女共用らしかった。(ちなみに伯父さんの息子(私にとっては従弟)は高実と書いてたかみさんである)もしかしたら伯父さんも息子に重美と付けたかったのかもしれないと今なら思うが、当時はまだ重美よりも高実の方が良かったぜとやさぐれていたものだった。男尊女卑の世の中なら、伯父も別に私の名前に口を出すことも無かったのだろうが、今思えば初孫にも等しい私は非常に愛されて生まれたように思う。名づけの際には姓名判断で診てもらったりもしたようだ。ちなみに大器晩成型らしい。

そういえば高校の時のクラスメイトのおバカな男子が「大器晩成の意味を答えよ」という授業で意気揚々と
「大きな器は晩に使う!」と答えていた。
夕飯は豪華なんだね。良かったね。

――またまた脱線してしまった。
ちなみに伯父は今年で93歳。いまだに元気でやっているようだ。
伯父自身は穏やかで快活で良い人なのである。息子代わりに育てた弟の子供なので孫気分だったというのもあるのだろう。
なぜか伯父がしゃしゃり出て私の名前を付けた。しかも「重美」。男女兼用の名前。二十歳ごろまでは正直
「なんで私は沙織じゃなかったんだろう……」とずっと思っていた。

今となっては「霊長類最強女子」と同じ名前だし(漢字はちゃうけど)、それはそれで若い女子だと思うところはあったのかもしれないが、当時は沙織という名前に対しての美しい響きとか羨ましかったのだ。

高校時代は「英里奈ちゃん」という友人の名を羨ましく思ったし、そんなに可愛い名前じゃなくても普通の名前が良かったなと思っていた。
ちなみに3歳下の妹は「ともみ」という名だが、漢字は知巳。しょっちゅう男に間違えられていた。巳年(へび年)生まれの執念深い女である。
この妹の名も曰くがあり、父が名付けたのだが本当は
「知己」と付けたかったらしい。知己(ちき)という言葉から、己を知るという意味で付けたかったそうだが、母方の祖父が役所に届け出を出す際に
「巳年だから」という事で知巳になったらしい。
妹が30歳を迎えた年に明らかになり、家族皆で驚いたのも懐かしい思い出だ。(今から17年前の話)

名の響きだけで妹を羨ましがっていたが、何度書いても説明しても男に間違われる妹の名も、それはそれで大変だったろうなと今なら思える。

ずっとペンネームにあこがれていたし、20代までは自分の名前に不満も大きかったのだがいつの間にかこの名前に愛着を持てるようになった。
しげりん、
しげちゃん、
しげ、
しげねえさん、
ねえさん
大体そう呼ばれているが、どれもなじみが深い。
たまにしげみさん、しげみちゃんと言われてちょっとびっくりするけど嫌ではない。

もし「沙織」と付けられていたとして、私がその名前に不満を持たなかったかと言われたらそうじゃなかったと思う。
私が自分の人生に納得がいってなければ、どんな名前でも好きにはなれなかっただろう。
キラキラネーム(珠理奈、英里奈、樹利亜、ありす)でもシワシワネームでも、男女共用ネームでも自分に納得いっていればそのうちなじんでくる。
それは自分の個性や顔立ちを受け入れることにも似ているのかもしれない。

もちろんギャグや商標登録に引っかかるような名前はあかんと思う。俗に言うDQNネームってやつだ。キラキラネームとDQNネームの区別は付きにくい面もあるけど、私が思うにぴかちゅうとかあくまとか、いろいろ話題になったような子供が困ると思えないような名前は勘弁してほしいなと思う。呼ぶ方だって困るだろうし。
良く変な名前を付けたらいじめられるみたいな話を聞くが、それはいじめる方が100%悪いと思う。ただ、あからさまに名前を呼ばれるだけでいじめに近い悲しい思いを子供がするならば、それはDQNネームなのだと思う。

ちなみに以前付き合っていた人のお父さんが「重美さん」だった。元カレの妹は「重子」
重子ちゃんはめっちゃキラキラのあだ名で家族に呼ばれていた。もはや原形をとどめていなかったあだ名は何度聞いても覚えられず、彼と別れたとたん頭の中から消失した。
重子ちゃん、元気だろうか。とりあえずその彼と結婚しなくてよかったなと思う。めんどくさい。

その彼と付き合っていた時にうちの母に言われたのが
「名前なんて記号でしかない」
という事。好きな名前で呼んでもらえばいい、何なら名前を変更することもできる世の中だ。

整形同様に「親からもらったものに手を加えるなんて」という向きもあるだろう。
名前も見た目も、本人が納得していればそれでいいので本人以外がとやかく言う事ではないと私は思う。
性別だってそうで、生まれ持った性と折り合いがつかずに苦しんでいる人はたくさんいる。改名も何割かはそういう方たちの苦しみぬいた上での決断も含まれている。

と思えば、それとは関係なく親の都合に振り回されて改名する人もいる。
紀子様が眞子さまを出産されたとき、妹の友人は
真紀子から眞紀子に改名させられていた。当時中学生の子供が自分からその字に改名したい!と言い出すはずもないと私は思っていたが、言いだしたとしても通常ならば親は止めるだろうと思う。そう思うとお察し案件である。

この記事を書くにあたってNHKの特番の記事も読ませてもらった。

私が一番驚いたのは、父親の名前の一文字をひらがなに開きたい。という話だった。暴力をふるう父親の名前の漢字から離れたい。確かに親の名前から一文字貰う名づけは多いが、親の血を感じる名前はそのまま親子の関係性でポジティブなものになるか、ネガティブなものになるのか分かれてしまう。

DVや虐待のニュースは見かけるし、露見していない現状もあるだろう。そう思うと当たり前のことなのかもしれない。
親の名を受け継ぐことが呪いになりかねないという事実は確かにある。
この話に驚くことができる私は恵まれているのだ。

なんにせよ、自分の名前に満足できる人生をみんなが選べたらいいのになと思うし、根本的な問題を抱えているのならば名前に逃げずに解決した方が結果楽な気がしている。

名前に限らず容姿など自分の持ち物に不満がある場合、どこが起因しているのかは一度解明した方がいいんじゃないかな。


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