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場を育てる人に⑴

7月12日・日曜日、くもりときどきはれ。

今日は少し抽象的な話から始めてみます。

これをいま読んでくださっているみなさんは、人とのつながりによって支えられてきたと感じるような経験はおありでしょうか。

そしてそんな人とのつながり、関係に対して感覚的にどのようなイメージを抱かれているでしょうか。

暖かみを感じるようなイメージでしょうか?それとも強く結ばれているようなイメージでしょうか?

私自身の捉え方なのですが、これまで私はもっぱら点と点を結ぶ一本の線のようなイメージで人との関係を考えてきたのだということに最近気づかされました。

同時に、もっと空間的な広がりをもつ人との関係性というものもあるのではないか、そしてそのような捉え方をしていくことで、人との関わりを通して人生をより豊かなものにしていけるのではないかということを考えるようになりました。

線的なつながり

もう少し具体的な話をします。

私のいう、一本の線のようなつながりとは、個々人がしっかりと正面に向き合って互いに強い注意・関心を向けているようなイメージです。

その中身としては、

タテのつながりー誰かの成長を応援したり、教え導いたり、あるいはそれに対して義理を果たすような関係性

もあると思うし、

ヨコのつながりー仲間と何かを成し遂げたり、ともに困難を耐え凌いだり、あるいはしのぎを削り合う、

みたいな関係性もあるかと思います。

そんな関係性・つながりを多くの人ともつことができればどんなにか素敵でしょうね。

しかし、人によってさまざまかとは思いますが、私という一つの点が他の無数の点といっぺんに線を結ぼうとしたときに、キャパシティの限界があるように思うのです。

気の合う人もいればそうじゃない人もいる。

どんな相手にも強いつながりを求め、深く関わろうとすればさすがに疲れてしまいそうですよね…

だからこそ私は、本当に気の合う人たち、身近にいて信頼が置ける人たちと小さくまとまって付き合うようにし、それ以上の広がりを求めない傾向があったのだろうとも思います。

空間的なつながり

対して、空間的なつながりは、同じ体験だったり空間だったりを共有する人とゆるやかにつながっているイメージです。

たとえば、一度イベントのような場で居合わせた人、ちょっとあいさつしたくらいの人に、偶然にも後日に再会したという経験はないでしょうか。

相手のことを詳しくは覚えていないのだけど、一緒にいた場や空間がとても居心地よかったことだけは覚えている。

そして、そのときの記憶や感情を共有できることにちょっとした喜びを感じられる。

個々人との具体的な関係性の中身にのみ規定されるつながりではなく、無数の人が空間を介して断続的に交わり合い、ひとつの場がつくられていくようなイメージ、といったところでしょうか。

線的なつながりほど強固なものではないけれど、果てしない広がりをもつ人との結びつきであるようにも思えます。

実は空間的な人とのつながりにも支えられてきた

私が人との関わり方をずっと一本の線上で捉えてきたのは、私が胸の内に抱えてきた思いをじっくり聞いて力になってくれた人たちとのタテのつながりや、仲間との強い信頼関係に何度となく助けられてきたからなのでしょう。

もちろんそうした関係性もまた、今後とも大切にしていきたいと思っています。

ただよく振り返れば、人との空間的なつながりにも大いに支えられてきたことを思い出すことができました。

とくに、家庭の中で誰にも言えない苦しい思いを抱えていたとき、私が自然体で過ごせる居場所は学校だったのです。

もちろん友人との個別な関係の中で助けられてきたことも多くあったかとは思いますが、みんなでバカなことをずっとやってられる空気感にずっと救われてたんだなって、いまになってようやく気づかされました。

なぜそんなことを考えるようになったか

先日、しいたけ占いのしいたけさんの配信を聞いていたときのこと。

(ちなみに、私は占いを信じる、信じないではなく、アドバイスとして一度素直に受け止めてみるタイプの人間です。)

そこではあまりに自分にあてはまるような話が出ていたので思わず聞き入ってしまいました。

かに座は人(の成長)を支援する役割を強くもっている反面、目をかけてきた人もいつかは自分のもとを離れていくのだろうという強烈な不安・恐怖心をもっている、たしかそんな内容でした。

さらに、裏切られるのが怖くて人をどうしても信頼できないと相談をされていた方がいたのですが、それに対して、場を育てるようにするといい、というアドバイスをされていたのが大変印象的で。

とりわけ、人を支援する役割ということと、場を育てるということについて、いろいろと思うところがあったので、自分なりに解釈し、自分にあてはめながら考えてみたのです。

ジレンマ

私は正義感の強さからなのか、感受性の強さからなのか、困っている人を支援できる人でありたいというような思いを漠然ともって生きてきました。

家庭問題(前回の投稿にも書きましたが、我が家は複雑な問題をたくさん抱えた家庭でした)や障害者の雇用が進まないこと(私の父は視覚障害者でした)、あるいは大阪の西成区で夜回りのボランティアをさせていただいたときには日本にも貧困問題が身近にあることを目の当たりにし、そうした社会課題の当事者であるような方々に対し他人事にはできない感情があります。

あるいは、身近な人の力になりたい気持ちも強く、友人だったり後輩だったりが困っているときなどに、自分の経験をもとにアドバイスして助けてあげられたらと思うことも多いのです。

しかし、自分なんかが本当に力になれるのだろうかと悩み、行動を思いとどまってしまうことばかりでした。

とくに障壁として感じていたこととしては、

①課題に対して解決策を直接的に提供できる専門家ではない。また、相手に合った解決策を提供できるとも限らない

②自尊感情の弱さが、相手のためよりも自分自身を守る方向に働くのではないかという懸念

の二つ。

とりわけ②に関していえば、

さきほど挙げた、「人はいつか離れていく」という強烈な不安・恐怖心の現れそのものであるのかもしれません。

本当に自分は必要とされているのか、いまは必要とされていてもいつか使い捨てられるのではないか、どうせ人はいつか離れていくのだから。

そうして自尊心が傷つけられるてしまうのが怖くて積極的に行動することができない。

あるいは、

誰かの力になろうとすることで自己愛を満たそうとしてしまうんじゃないか、相手のためと見せかけて本当は自分自身を優先するような行動をとってしまうんじゃないか、ということに対して自覚的でなければならないとも思っています。

また、

子どもの頃に家庭で味わった痛烈なまでの無力感を再び味わうのが怖いのかもしれません。

生きづらさを抱えた人たちの力にずっとなりたかった

前回の投稿にも書いたのですが、私は家庭の中で本音をひた隠し、行き場のない思いをずっと抱えて育ってきました。

いろんな方々に助けてもらい心救われてきたからこそ、自分らしく生きていくことができない、生きづらさを抱えた人に私自身もまた寄り添えるような人でありたい。

その気持ちはとくにここ数年で強く増していくようになりました。

それでもやはり、自分にできることはあるのだろうか、誰かの力になりながら私自身も幸せでいられる生き方なんてあるのだろうか、そう悩む自分もいて。

そんな私にとって、「場を育てる」というコンセプトがとても心に響いたのです。


人が自然と集まるような場所をつくり、育ててみたい。

かつての私がそうであったように、行き場のない思いを抱えた人が、線的なつながりを得て、自分自身の話を相手に聞いてもらう中で心救われていくのであればそれに越したことはない。

だけど誰もがそんなつながりを簡単にみつけられるわけじゃない。

一時の気休めかもしれないけれど、空間的なつながりを通して自分らしく自然でいられる場所を見つけることができたならば、少しは心が軽くなるかもしれない。

誰かにとってそんな自分の居場所になるような、リアルな空間を生み出してみたい。


線的なつながりにはキャパシティの限度がある。

だから、私自身が誰かの力になれなくても、その場にいるほかの誰かだったりつくりだす空気感だったりが補ってくれればいい。

私自身も無理に自らの力で多くの人の支えになろうとしなくていい、自然でいられる。


人はいずれ離れていくかもしれない。

時間をかけて線的なつながりを構築した人であれば、疎遠になるのは惜しい気持ちがある。

だけど、離れていくのはあたりまえ。

このご時世、一つの場所にずっと留まっている人なんてむしろ少ないから。

不安や恐怖心はある。

だけどそれを敢えて真っ向から克服しなくてもいい。

人は流動的に出入りを繰り返すけれど、誰かにとっていつでも帰ってこれるような居場所をつくれたら、そして私自身もその空間の一部として溶け込んでいられたなら、それだけで私はきっと、とっても幸せなんじゃないかな。

いまできること

そこまで考えてみて、もう単なる空想じゃなくて実際にそんな場所をつくってやろうという気持ちに発展していきました。

個人的な思いとしてはいまの仕事の延長でやっていきたいこともあって、軸がだいぶ変わってきてしまうからいますぐじゃないけれど。

死ぬまでに一度、本当にこじんまりとした空間でいいから自分の手で一からつくってみたいなと思うようになりました。

もう少し具体的に、どんな空間をつくり育ててみたいか?

これについては改めて次回の投稿にて書くことにします。2日後くらい。

***

ここまで、空間的な人とのつながりを意識するようになったことで、線的なつながりだけにこだわらず、リアルな場所を介したゆるやかな人のつながりが生まれるような場を自分の手でつくり育てていきたい気持ちが芽生えた、という話をしてきました。

最後に、いまから意識していきたいこと・できそうなことについて書き留めて締め括りたいと思います。

いまできること、

①日常的な人との関わりの中で、居心地のよい空気感を作り出せるように心がけていきたい。

②広く浅く人と付き合うことに苦手意識があったが、ゆるやかな人とのつながりも大切にしていきたい。

③居心地よいと感じる場所を発見できたときは、その空間の雰囲気、色、におい、空気、音などをよく観察し、心に留めておきたい。


今日はこんなところで。

ではでは、穏やかな日曜日をお過ごしくださいませ。

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