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三条実美の歌碑 風景印と記念碑

 福岡県北九州市八幡西区にある八幡西やはたにし郵便局の風景印には最後の太政大臣だった三条実美の歌碑が描かれています。

三条実美さんじょう さねとみ

 三条実美(1837-1891)は幕末明治に活躍した公卿で最後の太政大臣でした。父の実万さねつむは井伊直弼と対立した尊王攘夷派公卿でしたが、実美も尊攘派筆頭として公家を代表し徳川家茂に攘夷決行を迫るため1862年(文久2年)に江戸に赴くなど活躍しました。

 しかし、1863年(文久3年)「八月十八日の政変」で公武合体派に主導権が移り、攘夷派は官位剥奪の結果、実美ら7人の公家は長州藩に逃れました。これが「七卿落」 (しちきょうおち)といわれる都落ちですが、さらに長州藩によって1865年(元治2年)に九州の太宰府に移されました。

 三条実美の復権は1867年(慶応3年)12月9日の王政復古を待つことになります。12月27日に京都御所に戻り、即日新政府の議定 (ぎじょう) の要職につきました。1869年(明治2年)7月右大臣、1871年7月から太政大臣すなわち明治政府の最高官となりました。1885年内閣制度実施に伴い太政官が廃止され三条実美は内大臣となったので、最後の太政大臣ということになります。


記念碑の地図

 北九州市八幡西区岡田町1番46号の岡田神社にあります。歌碑は1968年(昭和43年)12月建立です。最寄駅はJR黒崎駅(鹿児島本線)です。

 設立の経緯はわかりませんでしたが、建立の年を見ると明治100年と関係がありそうです。岡田神社(岡田宮)は三条実美が太宰府に下る際に立ち寄り、和歌を献上した由緒があります。


碑文

三条実美歌碑
元治二年(一八六五年)一月十七日
三条実美卿和歌一首奉納
玉ちはふ 神し照らせば 世の中の 人のまごころ かくれやはする


八幡西郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1989年(平成元年)11月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日と土曜日の営業です。

筑前六宿街道碑も左に描かれています。

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