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玄黙口跡 風景印と記念碑

 静岡県浜松市中区にある浜松元目はままつげんもく郵便局の風景印には玄黙口げんもくぐちが描かれています。徳川家康の生涯で最大の危機だった三方原みかたがはらの戦にまつわるものです。

玄黙口

 浜松城は三方原台地みかたがはらだいち東縁の段丘を利用して築かれた城郭で、浜松市中央区元城町とその周辺に位置します。浜松城の原型は今川氏による引間城が基礎となっています。

 岡崎を拠点としていた徳川家康(1542-1616)が浜松へ入ったのは1570年(元亀元年)のことです。このあたり一帯は「引間(ひくま / 引馬・曳馬とも)」と呼ばれ、今川系の武将・飯尾氏が引間城主でした。家康の入場後、浜松と改名するとともに西南の場所へ城を拡張し、この地は「古城」と呼ばれるようになりました。玄黙口は古城側の門であったと伝えられており、当地にあった玄黙寺に由来するとされています。

 さて、1573年(元亀3年)12月、甲府から遠江に入り徳川支配の城を攻め落としていた上洛途上の|武田信玄(1521-1573)を城から出て迎え撃ったのが三方原の戦です。兵力に劣る家康は織田信長の支援も受けましたが武田信玄に大敗、多くの家臣を失いこの城門から城に戻ったとされています。徳川家康にとっては城の目の前で逃げ帰るという命の危険まであった大敗北でした。

 浜松城は1586年(天正14年)に駿府に移るまでのあいだ徳川家康の居城で、その後は徳川譜代の大名の居城となりました。天守は江戸時代には失われており、風景印に描かれている浜松城天守は1958年(昭和33年)に建てられたものです。

 古城引間城の跡は明治になってから徳川家康を祀る東照宮(元城町東照宮)が建てられました。


記念碑の地図

 記念碑は浜松市元目分庁舎前にあります。


碑文

玄黙口跡


浜松元目郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1999年(平成11年)10月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


浜松城と玄黙口跡の標柱




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