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パラボラアンテナ 風景印と記念碑

 沖縄県名護市にある羽地はねじ郵便局の風景印にはパラボラアンテナが描かれています。

 パラボラアンテナはもちろん通信の設備であり、何かを記念して作られたものではありません。しかもこのパラボラアンテナは現存していませんが、風景印上の存在感は大きいのでご紹介しておきます。

多野無線中継所

 本土と沖縄の間をマイクロ回線(電波)で中継するための設備として、1964年(昭和39年)9月多野岳山頂に作られました。パラボラアンテナはマイクロ波通信でつかう設備ですが、「見通し外通信」といって直接見通しのきかない長距離での通信(なんと奄美大島まで)を実現するために、大型のパラボラアンテナ(直径10メートル)を必要としたそうです。 

 東京オリンピックのテレビ中継がこの設備を通じて行われました。1984年に役割を終え、現在「本土・沖縄間OHマイクロ回線記念之碑」が残されています。

 沖縄には米軍のパラボラアンテナなど30メートル級のものもあったそうですが、現在はいずれもなくなっています。

 風景印についてはすでに紹介されている記事がありますので、こちらの方もぜひご覧ください。


記念碑の地図

 沖縄県名護市仲尾次にあります。


碑文

本土・ 沖縄間 OHマイクロ回線記念之碑

 此処、 多野岳山頂に設けられ、本土・沖縄間の耳目となり、心の架け橋として歴史的に重要な時代に即応すべき使命を果たしたOHマイクロ回線、いまその時代の幕を閉ざす。
 惟えば、昭和三十九年九月、新時代の寵児として本回線は開設された。時、恰も東京オリンピックに当りそのテレビ中継に 沖縄百万県民は、地理的、時間的条件を超え、迫力ある臨場感に感嘆し、本土との一体感に感動した。
 爾来二十年、昭和五十九年三月に至るまで、OH回線が 沖縄の政治、経済、文化の進展に果たした役割は大きい。ことに 沖縄県民の悲願とも云うべき祖国復帰への貢献は特筆に価する。  我々は、茲にOH回線が単なる通信方式と云うより重要な歴史の担い手であったことを、高揚するものである。

昭和六十一年十二月 賛同者一同

「電話局の写真館」から

羽地郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
 風景印は沖縄の復帰間もない1973年(昭和48年)12月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

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