見出し画像

森鴎外文学碑 風景印と記念碑

 京都府宮津市にある由良ゆら郵便局の風景印には森鴎外文学碑が描かれています。

森鴎外(1862-1922)

 森鴎外もり おうがいは津和野藩(今の山口県)の医者の家に生まれ、1881年(明治14年)には東京大学医学部を卒業しました。同年には陸軍の軍医となりました。1884年(明治17年)にはドイツ留学し、1888年(明治21年)に帰国後は軍医学校の教官となりましたが、一方で文学評論も手がけました。

 創作活動は1890年(明治23年)からの『舞姫』に始まります。森鴎外は1916年(大正5年)まで陸軍に勤務する傍ら、評論、創作、翻訳を手がけた多方面にわたる活躍をした類を見ない才人だったといえます。

 短編小説に傑作が多い鴎外の代表作の一つが、山椒大夫さんしょうだゆうです。

山椒大夫

 安寿と厨子王という言葉は自分もうっすら記憶があります。短編小説『山椒大夫』は1915年(大正4)1月『中央公論』に発表されました。伝承に基づいて創作された歴史小説です。この山椒大夫伝説の地が由良海岸の潮汲浜です。

 人買いにさらわれて丹後の山椒大夫に売り渡された安寿あんじゅ姫 は、弟の厨子 ずし王を逃がして自分は入水しました。逃れたのち丹後の国守となって戻った厨子王は、人身売買を禁じ、さらに売られた母を自ら探しあて再会するエンディングです。

 潮汲浜という名前は、安寿姫がこの場所でさせられていた仕事(塩をつくるための海水をくむ)によるものです。鴎外がこの地を訪れたという記録は残っていませんが、代表作の舞台ということで文学碑がつくられたのでしょう。


記念碑の地図

宮津市国道178号線沿い、潮汲浜にあります。



由良郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1987年(昭和62年)10月8日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?