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多賀城碑 風景印と記念碑

 宮城県多賀城市にある多賀城たがじょう郵便局の風景印には日本三古碑の一つ「多賀城碑」を収めた覆堂が描かれています。

多賀城(たがじょう)

 現在の宮城県多賀城市に作られた古代(奈良時代)の城柵ですが、いつ出来たかを示す文献はなく、737年(天平9)に初めて「続日本紀」に「多賀柵」として言及されていました。しかし、「多賀城碑」の記述により724年(神亀元年)に作られたと考えられています。

 城柵というと軍事的な拠点に聞こえるのですが、おおむね800メートル四方の方形のエリアの中心には正殿・後殿などが配置された東西100メートルくらいの区画を持つ政庁が置かれていました。

 多賀城跡は戦後に本格的な調査が行われ、1966年(昭和41年)に国の特別史跡「多賀城跡 附 寺跡」として指定されています。2022年現在、宮城県では唯一の特別史跡です。


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多賀城碑

 多賀城碑は多賀城跡に存在する日本三古碑の一つとされる古い石碑で、多賀城の外郭南門を入った場所にあります。

 高さ247センチメートルあり、砂岩を平らに研磨したところに文字が刻まれています。762年(天平宝字6)に多賀城が修造されたことを記しており、末尾に建碑した天平宝字6年12月1日があり、実際にその時期に建てられたものであると考えられています。

 現在は1875年(明治8年)建造の覆屋に碑が収められており、風景印はその覆屋を描いています。

 多賀城碑自体は、1998年(平成10年)6月30日に国の重要文化財(古文書)に指定されました。2024年3月15日には文化審議会が国宝とするよう文部科学大臣に答申しました。

 なお、この多賀城碑は壺の碑つぼのいしぶみとも呼ばれるのですが、これは、多賀城碑が江戸時代に再発見されたときに坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、弓の筈で刻んだ石碑の伝承によるものです。実際には壺の碑として特定されたものは今のところないようです。


記念碑の地図

多賀城碑は、JR東北本線・仙石東北ライン「国府多賀城」駅、三陸自動車道「多賀城インターチェンジ」が最寄りです。



碑文

 石碑上部に「西」と大きく描かれており、多賀城碑が西向きに建てられたことを示しているようです。

 その下は縦書きで以下のように記載されています。すなわち多賀城の創建は奈良時代の神亀元年(724年)であること、さらに天平宝字6年(762年)には修造されたことを示しています。

多賀城  
 去京一千五百里
 去蝦夷國界一百廿里
 去常陸國界四百十二里
 去下野國界二百七十四里
 去靺鞨國界三千里
此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也
天平寶字六年十二月一日

 なお碑文と読み下し文は以下のサイトにもあります。

https://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/shiseki/bunkazai/shitebunkazai/kunishite/documents/tagajouhisyakubun.pdf


多賀城郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1987年(昭和62年)11月16日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

風景印 多賀城碑の覆堂(左)と多賀城跡(右)、アヤメ(右下)を描く


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