見出し画像

仙台藩磯浜唐船番所跡 風景印と記念碑

 宮城県亘理郡山元町やまもとちょうにある坂元さかもと郵便局の風景印には唐船番所跡碑が描かれています。

唐船番所

 唐船番所は、江戸時代初期の1639年(寛永16年)に出された鎖国令により外国船を監視するために設置された施設の一つです。仙台藩内には1646年(正保3年)に唐船番所が5箇所設けられており、山元町の磯崎山公園にある唐船番所跡碑はその一つです。

 唐船番所には外国船を監視する以外にも、貿易、港湾管理など多くの業務が行われていました。外国船の来航を監視するために設置された施設にもかかわらず、220年余りの間外国船が通ることは皆無でしたが、1739年(元文4年)に三隻の外国船が牡鹿半島網地島沖に現れたことがあります。


仙台藩では、天保年間〈1646〉、二代仙台藩主伊達忠宗のときに外国船の監視所として、八ツ森(岩手県)、泊浜(歌津町)、鮎川浜、大浜(東松島町)、磯浜(山元町)の五ヶ所に唐船番所が設けられ、外国船の来航を監視した。

大浜ではこの地の肝入に監視の役が命じられ、毎日、日の出から日の入りまで番所に詰めて監視が行われたらしいが、一人で海のかなたを監視する仕事はかなり辛かったらしく、当時、これに携わったものが、番所の崖上から飛び降り自殺をしたこともあったと伝えられる。

記念碑の地図

 太平洋に近い磯崎山公園にあります。東日本大震災の時はこの公園の東屋近くまで津波が押し寄せたそうです。

碑文

仙台藩磯浜唐船番所跡

 島原乱から七年後の正保三年(一六四六)幕命により全国に設置された唐船番所にして封内五個所の一である。金山丸森定駐の足軽四十二名を要員として二名 一組五日交代で備えの遠目鏡を以て異国船を監視し明治二年に至り廃止された
 その間保二十年(一七三五)五代藩主伊達吉村此地を視察又元文四年(一七三九)五月二十六日ベーリング探検隊の黒船三隻の通過を望見した町である

宮城県文化財専門委員
 三原良吉撰
 加川伊吉書
 金田文勢刻

昭和四十四三月建立
 宮城県山元町
 財団法人宮城県文化財保護協会

坂元郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1984年(昭和59年)2月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?