烈婦登波碑 風景印と記念碑
山口県下関市にある滝部郵便局の風景印には、烈婦登波碑が描かれています。「烈婦」とは今日使われることがほとんどない言葉ですね。
「烈婦」とは気性が強い女性、操を守る女性を言います。「烈女」ともいうそうです。つまりこの石碑は「登波」という女性を顕彰しているわけですが、この女性はどのようなことをした人なのでしょうか。
登波
現在の長門市に幸吉・登波の夫婦がおりました。幸吉には妹の松がおりその夫龍之進は無頼の浪人で1821年(文政4年)に松との別れ話のもつれで、松、幸吉、幸吉の弟の勇助を斬って逃亡し、幸吉は一命を取り留めたものの松と勇助は絶命しました。その場にいなかった登波は幸吉を看病し、回復したのちに登波がとった行動が無許可での仇討ちの旅でした。
1836年(天保9年)に豊前国で龍之進を発見し、帰国後奉行所に仇討ちを届け出ましたが認められず、1841年(天保14年)龍之進は豊前で奉行所に捕獲されたものの自害したため、その首が登波のもとに検分のため届けられたそうです。
大津郡代をしていた周布政之助( 1823-1864)によって忠義として称賛され、1857年(安政4年)に彼の師である吉田松陰(1830-1859)に碑文を依頼し、碑文が完成しました。
この時には実際の石碑が建てれられることがありませんでしたが、残されていた碑文を元に、1917年(大正5年)、元長州藩士であった桂弥一(1849-1939)と滝部出身の実業家中山太一(1881-1956)により滝部八幡宮に碑が建てられました。
記念碑の地図
記念碑は山口県下関市の滝部八幡宮にあります。ただし、下関市の中心部から40キロメートル以上離れており、山陰本線滝部駅が最寄です。
碑文
「烈婦名登波長門国大津郡角山村宮番幸吉妻也」で始まるのですが、全文を確認できておらず掲載を控えます。代わりに、石碑横の解説文を掲げます。
滝部郵便局
風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。
風景印は1984年(昭和59年)12月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。
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