マガジンのカバー画像

風景印と記念碑

255
風景印は郵便局で使われる絵入りの消印で、各地の名所や特産品が描かれています。その土地の記念碑がデザインされることも多く、地域の人が何を誇りにしているかを風景印からうかがい知ること… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

はじめに 「風景印と記念碑」と私

 ビルの谷間のようなところに、わざわざ場所を空けて石碑が建っている。そんな光景に目を止めたのは2016年3月のことです(日記書かない自分にとってスマホの写真は便利なものです)。石碑をその場所に建てた人の「残したい」という出来事と思いがあることにコレクターの端くれとしては何か感じるものがあったのでしょう。  この年の石碑の写真はどんどん増えました。特に感動したのは北海道厚真町役場横の記念碑広場でした。記念碑しかない公園が世の中にあるんです。出不精は相変わらずですが、神社や公園

芭蕉上陸の地 風景印と記念碑

 山形県庄内町にある清川郵便局の風景印には「芭蕉上陸の地」碑が描かれています。風景印には坐像が描かれていますが、この方は幕末に攘夷派として活躍した清河八郎(1830-1863)という幕末の庄内藩の志士です。 松尾芭蕉(1644-1694) 俳聖松尾芭蕉は江戸時代の人で、現在の三重県(伊賀国)の郷士の家に生まれました。1672年に江戸に居を移し、1684年からは各地の俳人を訪ねる旅に出るようになります。  俳諧紀行文「おくのほそ道」は、1689年(元禄2年)旧暦の3月に、門

森鴎外文学碑 風景印と記念碑

 京都府宮津市にある由良郵便局の風景印には森鴎外文学碑が描かれています。 森鴎外(1862-1922) 森鴎外は津和野藩(今の山口県)の医者の家に生まれ、1881年(明治14年)には東京大学医学部を卒業しました。同年には陸軍の軍医となりました。1884年(明治17年)にはドイツ留学し、1888年(明治21年)に帰国後は軍医学校の教官となりましたが、一方で文学評論も手がけました。  創作活動は1890年(明治23年)からの『舞姫』に始まります。森鴎外は1916年(大正5年)

明治天皇御上陸記念碑 風景印と記念碑

 三重県伊勢市にある伊勢浜郷郵便局の風景印には明治天皇御上陸記念碑が描かれています。明治天皇は大規模な巡幸を6回行っており、その第1回目のものです。 明治天皇の西国巡幸 1872年(明治5年)5月25日、明治天皇は伊勢湾に停泊した軍艦から小舟で勢田川を上り、舟参宮の船着場であった神久地区に上陸、伊勢神宮の外宮・内宮を参拝しました。伊勢神宮参拝後、大阪を経て5月30日に京都入りしました。  その後に下関・長崎・熊本・鹿児島・丸亀を巡り、7月10日神戸から海路で12日横浜に到

新田義貞渡渉伝説地 風景印と記念碑

 神奈川県鎌倉市にある鎌倉稲村ガ崎郵便局の風景印には「新田義貞渡渉伝説地」と書かれた碑が描かれています。 新田義貞(1301-1338) 新田義貞は、足利尊氏(1305-1358)と共に1333年(元弘3年)の鎌倉幕府の滅亡に関わった武士です。後醍醐天皇(1288-1339)とその皇子であった護良 親王(1308-1335)が幕府に不満を持つ武士を糾合して討幕を進め、その中心として活躍しました。  足利尊氏も討幕に呼応して京都で六波羅探題を攻め落としたのですが、鎌倉幕府を

讃市川 風景印と記念碑

 千葉県市川市にある市川郵便局の風景印には彫刻「讃市川」が描かれています。風景印の説明では「女神像」とされていますが、大須賀力さんによる彫刻作品です。 大須賀 力(1906-2009) 大須賀力さんは、東京都生まれですが、東京美術学校在学中の1927年から市川市に住んでおり制作の拠点となるアトリエをもうけていました。東京美術学校ではジャンルが異なりますが日本画家の東山魁夷(1908-1999)が同期です。千葉県文化功労者、市川市名誉市民でもあります。  千葉県ゆかりの文化

拓魂碑 風景印と記念碑

 静岡県浜松市にある浜松高丘郵便局の風景印には拓魂碑が描かれています。ブラジル移民の父と呼ばれる平野運平の功績をたたえるものです。 平野運平(1886−1919) 平野運平は、現在の静岡県掛川市で1886年(明治19年)に旧士族・榛葉家に生まれ、1906年(明治39年)横川(現在の浜松市天竜区)の平野家に養子として入りました。東京外国語学校でスペイン語を学んでいましたが移民通訳を目指し中退、1908年(明治41年)、ブラジル移民団(第1回)の通訳として渡りました。  当時

八木重吉の詩碑 風景印と記念碑

 東京都町田市にある町田西郵便局の風景印には八木重吉の詩碑が描かれています。若くして亡くなったのちに詩人として評価を得た人です。 八木重吉(1898-1927) 八木重吉は堺村(現在の町田市大戸)に生まれました。東京高等師範学校在学中の1919年(大正8年)にキリスト教の洗礼を受けました。  1921年に英語教師として兵庫県御影師範学校に赴任し、詩作を始めました。第一詩集『秋の瞳 』は1925年発表、佐藤惣之助 主宰の『詩之家』同人となりました。  1926年には結核

チカモリ遺跡 風景印と記念碑

 石川県金沢市にある金沢八日市郵便局の風景印にはチカモリ遺跡とその石碑が描かれています。 チカモリ遺跡 チカモリ遺跡は、金沢市の西南部に所在する縄文時代後期から晩期にかけての集落遺跡です。1980年(昭和55年)に発見され、349点の木柱根が発掘されました。  とくに有名なものは、「環状木柱列」というものです。これは直径約60から90センチメートルのクリの巨木を縦に半分に割り、切断面を外側に向けて直径約7メートルの円形に立て並べたもので、全国ではじめて発見されました。この

詩碑「樹下の二人」 風景印と記念碑

 福島県二本松市にある安達郵便局の風景印には詩碑「樹下の二人」が描かれています。二本松市は高村智恵子のふるさとで、詩は高村光太郎の『智恵子抄』におさめられています。 高村智恵子(1886-1938) 高村智恵子は詩人・彫刻家の高村光太郎(1883-1956)の妻として知られていますが、明治・大正期の洋画家として踏み出していた「新しい女性」の一人です。現在の二本松市の造り酒屋の家に生まれ、日本女子大学を1907年に卒業すると画家への道を歩み始めます。  1911年(明治44

風葉碑 風景印と記念碑

 愛知県半田市にある半田住吉郵便局の昔の風景印には風葉碑が描かれています。明治後期に活躍した小栗風葉の文学碑なのですが、今日顧みられることがない小説家かもしれません。 小栗風葉(1875ー1926) 小栗風葉は半田市の薬屋「美濃半」を営む家に生まれました。文学を志して上京し1891年(明治24年)に尾崎紅葉(1867-1903)に師事した小説家です。読売新聞に連載した長編『青春』(1905-06)は風葉の代表作で高く評価され、同時代の第一人者の地位を確立しました。  しか

童話碑 風景印と記念碑

 大分県玖珠郡玖珠町にある玖珠郵便局の風景印には童話碑が描かれています。 童話碑 日本のアンデルセンといわれた久留島武彦(1874-1960)の功績をたたえ、1950年(昭和25年)5月5日に建立された高さ8m、幅3mの自然石で造られた大きな石碑です。この碑の除幕式の後に行われた祭りは、現在も5月5月に開催される「日本童話祭」のもととなりました。 久留島武彦(1874-1960) 廃藩置県(1871年)まであった豊後森藩の当主であった久留島家の末裔で、大分中学校では児童教

日西墨三国交通発祥記念之碑 風景印と記念碑

 千葉県夷隅郡御宿町にある御宿郵便局の風景印には日西墨三国交通発祥記念之碑が描かれています。左側の塔がその記念碑です。 日西墨三国交通発祥記念之碑 1609年(慶長14年)9月30日(旧暦9月4日)の朝、岩和田海岸で当時フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ(Rodrigo de Vivero)総督を乗せたイスパニア(スペイン)船・サンフランシスコ号が沈没しました。  漂着した乗組員を岩和田の人達は力を合わせて救助しました。当時の岩和田の人口は300人程でしたが、村の人口以上の

山田の凱旋門 風景印と記念碑

 鹿児島県姶良市にある山田郵便局の風景印には「山田の凱旋門」が描かれています。 山田の凱旋門 国の有形文化財に指定されているもので、情報が姶良市のウェブサイトにあります。 https://www.city.aira.lg.jp/bunkazai/gyosei/shisetsu/bunka/documents/gaisenmon.pdf  当時の山田村(現在は姶良市の一部となっています)から日露戦争に出征した兵士100名余りの帰還を記念して山田村兵事会が1906年(明治3