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5歩目の次は 日記-20240522

・先月、28歳の誕生日を迎えた。完全数の歳になるのは次回は496歳のことなので、この歳は極めて美しい1年として噛み締めて過ごさなければならない。そしていつの間にかXのフォロワーも5万人を超えていた。嬉しい。本当に、皆さんありがとうございます。

・「5万人のフォロワー」という数字の大きさに、まだピンと来ていない自分がいる。職業柄、というか自分のいる場所の関係で周囲にはいわゆる「インフルエンサー」と呼ばれるような、数十万人のフォロワーを持つような人たちも多くいる。それに比べればまだまだとも言えるけれど、じゃあ5万人が実感のできるような数字かと言われると、決してそんなことはない。我に帰るたびに「そんなに多くの人が……?」という感覚にもなる。

・というか、フォロワーの数だけではなくYouTube上に現れる「登録者数」だったり「再生数」だったりの数字も、何年も見つめ続けているはずなのに未だ実感の湧かないものだ。数十万、数百万という数字が並んでいてもいまいち現実味を感じないというか、どこか遠くの出来事にも感じてしまう。これは、中学生くらいのときに触れていたインターネットの環境が原因だと思っている。

・私の中で、動画の再生数で今も昔もひとつ大事な指標となっているのは「10万再生」の区切りだ。これはニコニコ動画、その中でもボーカロイドカルチャーにおいては「殿堂入り」を指すもので、それは10万再生を突破した楽曲に対して与えられる称号のようなものだった。

・中学生だった私はお気に入りの楽曲がいつ殿堂入りに達するのか、あるいは人気クリエイターの新曲であれば何日で殿堂入りするのか、その記録や速度に目を光らせ、一喜一憂していた。10万再生を超えるということは「みんなこの動画を観ている」ことの証であり、そのコンテンツが「誰かの血肉になった」ことを示すものでもあった。それくらい10万再生というものは、当時は重い数字だった。「伝説入り」……100万再生なんて数値になれば尚更だ。それらの動画は、1本1本が遥か彼方にそびえる金字塔であり、ランドマークだった。

・だからこそ多くの人がYouTubeに触れるようになって、(それが一握りのことであるとは知った上で)QuizKnockの動画が、今の自分が何かの「活動者」として参加する動画が数万、数十万回も再生されているという事実を、未だ信じられないような思いで見ている。かつての自分が眼差した視線の先にいることの喜びを感じると同時に、大きな責任のようなものも感じている。

・あのとき憧れたのは、決して「殿堂入り」の楽曲やそれに並んだ動画だけではない。数々の「人気動画」の裏にはそれ以前の数万、数千、ときに数百回再生の動画たちがあり、それらも確かに私に大事なものをくれたものたちだった。なんてことはない動画に救われて、人生を変えられる体験を私は知っている。

・QuizKnockというグループにおいて、私はメインメンバーではなく、時折表に出るだけのような存在でもある。それでも、それが形になって誰かに届く以上手を抜くことはできないなと思う。それが、私に何かをくれた動画への恩返しというか、一番誠実な態度だと思っている。これは、自分の満足のための振る舞いだ。

・それに、私はまだ何もしてないなとすら思っている。私が憧れた画面の向こうの活動者は、プロじゃなくとも歌い、踊り、ローションを塗りたくったコントローラーでダンスダンスレボリューションに挑んで体を地面に叩きつけるような人たちだ。5万人ものフォロワーがいてくれる中で、まだそのひとつだって私はやっていない。そうでしょう?

・ゲーム実況者のレトルトさんが何年も前に歌った『粉雪』の動画が好きだ。チャンネル登録者数も250万人近く、ここまで人気のクリエイターになった今だからこそ笑って観られる部分もある。でもそれ以上に、どんなクリエイターにも完璧ではない一歩があったということは、確かに自分を勇気づけてくれるものだ。

・今の私は、誇れる黒歴史が欲しいと思っている。「活動者」の端くれになってしまったからには、そんな自分を褒めてあげられるための何か。歌ってみたなのか踊ってみたなのか、ゲーム実況なのか、はたまたその全部なのか。ダサい横文字の「クリエイター」として、誇れるバカをやっておきたいと思う。その上でアカウントごと削除して、ネットの嫌な誰かがアーカイブを保存しておくような事態になったとしてもね。

・というわけで、うだうだ言っていてもアレなので個人チャンネルの開設を考えています。まだ全然準備中というか、相談中みたいな段階なので何とも言えないんですが。歌みたとか、あれ1本作るのも結構大変なんだぜ。

・こちらの写真は、5/10(金)の夜に文喫 六本木で田村さんと一緒に実施したトークイベントからの一枚。QuizKnockの話から展開して、遠くまで話をすることができた良い時間だった。我ながらいい顔をしている。10代の自分からすればあまり想像できなかった毎日を送っているけれど、自分の足跡を喜べる今は、誇るべきことなのだろうと思う。