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おもしろいはなし

 「おもしろい話をしてやろう」と叔父が言った。それは畳に敷かれた布団の上で、ふすまの向こうには母のすすり泣く声が響いていた。私はまだ幼かった。


 その日は父がいつになく暴れる日だった。私の父は典型的などうしようもない人間で、(これはほとんど後から知った話だが)ギャンブルでそこそこの借金を作って家計を圧迫した挙句に、職場で知り合った人間とよからぬ関係をも持つような有様だった。
 そして、機嫌が悪くなれば母に手を上げる人間だった。

 私自身は父から直接暴力や、虐待まがいの仕打ちを受けるようなことはなかった。弟も同様にそうだった。子供らしく「戦隊ごっこ」に付き合ってもらい、悪者として倒されていった父の姿の記憶だってある。
 ただそれは決して、よかった、と言えるものではなく、母親が私たち兄弟の盾になっていた、という事実の裏付けに過ぎないことでもあった。母の叫声を聞いて夜中に目覚め、布団をかぶってやり過ごしたことは、消えようのない思い出にもなっている。

 父の機嫌がどうにも直らず、ああこれはだめだと、ついに限界に達したその日、母がしたのは私たち兄弟を連れて、家を出て逃げることだった。そのまま別居してやろうとしたわけではおそらくなくて、父の機嫌がおさまるまではひとまず落ち着ける場所に、という判断だったのだろうと思う。

 幸い、母の親族はみんなまとめて近所に住んでいて、夜中だろうとスープの冷めないままに歩いて行ける位置にいてくれた(それともタクシーに乗って行ったのだったか、ここはすっかり忘れてしまった)。
 日も沈んでとうに経つ寒空の下、私たちがたどり着いたのは、三姉妹の一番末っ子である母にとっては「真ん中の姉」にあたる人の家、私にとっては叔母と叔父の住まう家だった。

 叔母と叔父は快く私たちを出迎えてくれた。まだ小学生、しかも低学年だった私たち2人はとりあえず寝かしつけられるため、寝室として使われていた和室に案内された。和室では従兄弟がすでに寝ていたので、新たな布団を敷いてもらう。母はふすまの向こうで、叔母と父のことについて話しているようだった。今回の事態についてショック、という感情は不思議となく、私の中に渦巻いていたのはどうしていればいいのだろう、という、それだけの思いだった。日頃の父の振る舞いから、遅かれ早かれこうなることはわかっていたのかもしれない。

 さて、そこに住まう叔父は陽気な人間で、私にとっては「親戚のおっちゃん」と形容するのにふさわしい存在だった。自らの手で立ち上げた測量会社を、今に至るまで経営し続ける器量の良さもある一方で、会うたびに自身のビール腹を撫でながら「玲太、お前また大きくなったか?」など擦り切れきった台詞をかけてくる叔父は、良くも悪くもベタな「おじさん」だった。

 そんな叔父が、突然家にやってきた私たち兄弟、しかもこれから寝ようとする2人にかけた言葉が、「おもしろい話をしてやろう」だった。

 状況が状況なので元気に言葉を返していいものなのかもわからず、とりあえず返事代わりに、静かにうなずく。それを見て、叔父はこう続けた。

「こういう話があるんだ」

「あるところに、真っ白な犬がいました。

 その犬は全身真っ白だったので、耳も汚れ一つない白に染まっていました。

 もちろん、顔の毛も白。胴体も白でした。

 同じように、前足、後ろ足も。雪のように真っ白な犬でした。

 そして、尻尾も真っ白でした。

 そう、尾も白かったのです」

「尾も白い……おもしろい……」叔父はそう繰り返し、

「どうだ、おもしろかっただろう」

 そう言って私をじっと見つめた。

 私はどうしていいかわからなくなった。

 第一に、もったいぶった口調とは裏腹にたかだか数十秒で終わったその話は、たとえまだ子供の身の私だろうとお世辞にも「おもしろい」と素直に思える話ではなかった。
 これは後になって知ることだが、この「尾も白い」話は、一般にもよく知られた、いわば定番の「親父ギャグ」のようなものだ。何も知らない少年だった私は、実の親父が親父として機能していなかったこともあり、初見の親父ギャグに対する受け答えの手札を持ち合わせていなかった。

 そして私は、そこで人生初めての愛想笑いを覚えたように思う。とりあえず、はは、と笑顔を作りながらもう叔父さんったら、と適当にこづいてみせたような記憶がある。
 ただ、幼いながらも叔父のその行動が、確実に私たち兄弟を思ってのことだというのは、少なからず感じていた。今思えば、子供ではどうしようもない状況に置かれた私たちをなんとか和ませたいと、必死だったのだろう。叔父も、ありあわせの手札で戦ったのだ。

 私の愛想笑いが悪い方向に働いてしまったのか、結局、気をよくした叔父はその後も次々にしょうもない話をし続けた。不思議なことに、ずいぶん昔のことのはずなのに、そこでされた話は未だにいくつか思い出せる。

 それからは次第に私も興が乗ってしまったのか、もうないのか、と次なる話をねだってしまった覚えがある。しまいには私と弟はそのまま眠りにつき、気がつけば見慣れない和室で朝を迎えることになった。和室の布団ではいつからか、母も隣で眠りについていた。

 ほどなくして、家族は3人になった。


 たまに人前に立つような仕事をしているせいか、それともそういう人らとつるむようになってしまったせいなのか、今では私自身が人に何らかの話を聞かせなければならない場面が、時折訪れる。

 テレビのバラエティよろしく、ふいに「面白い話をしてほしい」と無茶振りをされるような場面もあって、そのときには決まって叔父のこと、そして叔父のしてくれた話のことを思い出す。

 そうなると、ついおどけて「白い犬が――」と話し出してしまいそうになるが、これは罠だ。この「おもしろい話」は、人前で使えばウケることはおろか、まともにスベることすら許してもらえない最悪の選択肢。呆れられるのが関の山だ。

 それでも、叔母と叔父の家に駆け込んだあの日以来、私の頭はぶち破れてしまっていた。私はもう、白い犬についての話が、真に優れた小話のように思えて仕方がない。それ以上の話を、私は何も知らないままに歳を取り続けてしまった。

 これからも白い犬はきっと頭の中にあらわれて、その度に駆け回っては私を惑わせていくのだろう。せめて大事な場面で現れてくれないように、そう願う。