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コミュニティスクール/地域連携は、共助の世界で成立可能か

先日、地域連携に関する教員研修を受けたので、そこからの私見を整理してみます。

地域コミュニティは衰退している

地域と学校の連携・協働に注目がされてから久しい。教育=学校という認識は、多忙によるコミュニティの衰退、その衰退による個人化が、教育機会・機能を学校に求めざるを得ない状況と捉えられます。

コミュニティスクール構想や地域連携は、学校だけでは実現が難しいことを地域と一緒になって解決していこうとするものです。しかし、コミュニティが衰退した状況を前提にしたとき、共助の文脈でこうした取り組みは成立するのだろうか、というのが今回の問いです。

頼みたくても、地域コミュニティは衰退しているので、頼む先がない。コミュニティスクール構想や地域連携は、地域への単純なアウトソーシングではなく、連携・協働する先のコミュニティをも組成していくことが求められるのではないでしょうか。

それは交換か、互酬か

地域の人がボランティアで学校の教育支援や交通安全の取り組みに協力してくれることは、学校の課題解決に一役買っています。一方で、地域の人のベネフィットは何でしょうか。子どもが好きで、学校に関われることが楽しいという場合もあるでしょうが、決定的な利益はないように思います。

したがって、こうしたボランティアは交換ではなく贈与なのです。そして、この贈与は長い時間軸における地域への返報性を持ちます。僕らNPOだっぴの活動でも、「自分が地域の人たちに優しくしてもらったから、今度は自分が大人になって、この地域の子どもたちのために活動したい」と言ってくれる若者がいます。これは、地域の人から子どもへ、その子どもが大人に成長して、次の世代の地域に贈与する、いわゆるペイ・フォワード的な現象です。

そうした贈与の連鎖が地域をつくる可能性を信じて、そうした世界観に共感して、自分への見返りは考えずに学校や子どものために行動できるコミュニティをつくっていくということになります。

しかし、そんな優しい世界に共感して行動してくれる人がどれほどいるだろうかという疑念が浮かんでしまうのが悔しいところです。やはり、自分への見返りを求めることの方が多いのではないでしょうか。

かつてあったご近所付き合いとして、お醬油が切れたから隣の家に借りに行くという光景がありました(僕は生まれてないですが)。隣の家の人はお醬油をすんなり貸すわけですが、それは、いずれ自分がお醬油が切れたとき反対に貸してもらえる返報性を前提としています。

「困ったときはお互いさまよね」という互酬は、期待が生み出す相互作用です。交換行為は、即時的で等価交換の原則をもつので、作用の時間軸や条件が異なります。

「協力」という可能性

互酬という相互作用で共助世界は形成できるのでしょうか。「とはいえ、(すぐに/あるいは等価の)見返りを求めてしまうのではないか」という疑念もあります。実際、ペイ・フォワード的な世界観に共感して実行してくれる人はまだまだ少ないのではないでしょうか。

一つの解として、「協力」という相互作用を挙げます。協力という行為は、これまで3つの類型で発展してきました。

松原明・大社充『協力のテクノロジー 関係者の相利をはかるマネジメント』(学芸出版社)

コミュニティスクールなど、学校の取り組みに対して地域が協力する在り方は、協力2.0と考えることができます。地域と一緒につくるという思想であれば、協力1.0かもしれません。しかし、どちらの場合も目的となるアは学校教育に関することなので、現実の運用のなかでは、地域の人目線では「与えている」ものとしてその行為を認識しているかもしれません。

活動を継続するなかで、ペイ・フォワードや互酬的な感覚ではない与え続けるという行為が続くと、「なぜこんなことを自分は続けているのか」と摩耗を感じることもあるかもしれません。

今、自治会や町内会への参加に住民たちが後ろ向きになっているのは、「自分への利益がないのになぜコミットしなければならないのか」という感情があるように思います。それでもなお、PTAなどの組織に構成員が所属し続けるのは、自分が摩耗するよりもコミュニティ内で自分が排除されない立ち振る舞うことに優先順位をおいた行為と捉えることもできます。

こうした摩耗を孕んだ構造を乗り越えるために、協力3.0の考え方を地域連携でも用いたいと思います。

お互いの目的を理解する

地域の人たちに協力を求める際、協力者の目的を、自分たちの目的とは異なるものであるという前提で理解しようとする姿勢が大切です。反対に、地域から学校への要請として「○○に高校生にも参加してほしい。高校生のためにもなるだろう」という参加依頼を送る際、「それは本当に生徒のためになるだろうか」と問い直し、学校側の目的を理解しようとする姿勢も大切です。

協力3.0では、学校と地域、お互いの課題と目的(図中のイとウ)を理解し合ったうえで、お互いの目的達成のために道中交わることのできるポイントを活動して設計できる力が求められています。

それは例えば、

地域A:耕作放棄地の問題を解決したい。どうしても○○の作業には人手が必要。
学校B:生徒たちに座学ではない体験を提供したい。

という状況で、作業○○を行うことは、地域Aは生徒に体験を提供したいわけではなく、学校Bは耕作放棄地の問題を解決したいわけでもないですが、お互いの目的を達成することにつながっています。

学校と地域の協働を交換的なアウトソーシングではない、共助の世界でつくろうとする試みでは、お互いの目的を理解しようとする姿勢やその理解の解像度にまだまだ不足点があるのかもしれません。

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