夕闇に立っている、と感じる
最近(ではないですが)、こんな漫画を読みました。
『ブラック・ラグーン』広江礼威
言わずと知れた?名作の一つではないかと。
岡島緑郎は旭日重工の会社員で、重要なディスクをボルネオ支社まで船で運ぶ役目を担っていた。だがその途中、裏社会の運び屋「ブラック・ラグーン」と名乗る4人組に襲われ、緑郎は人質に取られてしまった。上司たちは緑郎を簡単に切り捨てると、ディスク奪還に傭兵部隊を送り込む。世界の現実を知った緑郎は「ロック」を名乗り、ラグーン商会の一員として、様々なマフィアの利権が絡んだ厄介な街・ロアナプラの住人となって、育ちも性格も正反対のレヴィの相棒に就く。
ただの会社員だったロックが、裏社会の世界へ。
見どころは様々ですが、自分の居場所を変えたロックの葛藤と変化に、少しだけ僕自身を重ねてみたり。
俺はね、もう死んでるんですよ。あんたがそう言った。俺の名は、ロックだ。(第1巻)
俺は―― 俺が立ってるところにいる。それ以外のどこでもない。(第2巻)
――俺は、君の言うとおり、夕闇に立っている。・・・だから、だからこそ見えることもある――(第5巻)
貴方はもう――この街の人間だ。(第9巻)
という具合に、裏社会の闇の暮らしと表の世界の感覚との間の葛藤(夕闇)をもっていたロックでしたが、自分でも意識しないうちにロアナプラの街に社会化していたようです。
僕は「俺は―― 俺が立ってるところにいる。それ以外のどこでもない。」のセリフが好きで、夕闇にいることも自分で受け入れているロックが好きでした。
さて、2018年もあと数時間。
どんな2018年だったか、自分の今年を振り返ってみました。
NPOの世界に入って2年目。1年目と比べて、見える景色も少し違ってきた感じはします。
1年目は、やっぱりどこか(いわゆるNPO的な)社会起業家っぽいものに憧れがあったのか、そうあるべきだと思っていたのか、かたちばかり追っていたように思います。
でも、僕は社会起業家なのかと言われると、そうじゃない気がしています。強い自己実現欲求があったり、失敗を恐れず挑戦したり、アイディアを行動に移したり。社会起業家と呼ばれる方々は、その力がとても強いなと感じるわけですが、僕はそうでもない。失敗するのは怖いし、行動することが億劫になるときもある。
思えば、2017年は、そういう自分と向き合えていなかった。心と行動が合っていなかったんだと思います。
2018年は、(2017年と比べれば)自分と向き合いながら、仕事ができたんじゃないかと。(とりわけ2月のアメックスサービスアカデミー以降)
僕の葛藤は、NPOの世界という特殊性と僕の凡庸さ。NPOの世界にいるということ自体は特殊だが、自分自身は普通である(普通とは何かというのは置いておいて)。でも、自分は普通になりたくないと思っている。そんな矛盾との葛藤。
その夕闇が、ロックを重ねたいと思うところで、「俺は―― 俺が立ってるところにいる。それ以外のどこでもない。」というセリフは、そんな僕自身を(悲観的でなく)”割り切る”勇気をくれているんだと思っています。
2018年、色々行動できたなと思いつつ、まだまだやれることはあったなとも思っています。あっという間に時間が過ぎていった2018年でした。有難いことに色々な話・ご依頼をもらって、その中で、自分ができること・得意なこともちょっとは見えてきました。
だっぴの活動も広がってきて、僕が見える景色・できることも少しは広がってきたので、やれることは増えてきていると思いつつ、天狗になってはいけないなと。
今の僕がここに立っているのは、僕の力だけではないことは明らかで、そこを勘違いしてはいけない。自分の凡庸さと向き合いつつ、人から学ぶ姿勢を大切にしたい。
ちょっと余談ですが、20代後半って、(自分で言うのも何ですが笑)仕事が分かってきて(正しくはそういう気になって)、それゆえに必要のないプライドから偉そうになりがちのところってあると思うので、自分を客観的に見て、戒めることも重要だろうなと。笑
少なくとも、僕はそうしたい人間のようです。笑
というわけで、僕の2018年は、夕闇に立っていられ始めた年でした。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください!
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