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未来を見据えて“若者が島に通い続ける”がつなぐ、島の幸せ。

教育と地域振興を掛け合わせて、若者が島の人たちと関わり続ける「飛島ガーディアンプロジェクト」。そこにある景色は、若者が島民を支えるという一方通行な在り方ではなく、若者が島の暮らしとともに在る姿でした。プロジェクトを陰から牽引する日置さんにお話を伺ってきました。

「財団と人」では、飛島ガーディアンプロジェクトの取り組みを紹介させてもらったので、このnoteではその取り組みから思う僕の雑感をまとめていこうと思います。

そこに「分かりやすさ」はないかもしれない

日置さんに「この活動のビジョンって何ですか?」と聞いたとき、

うーん。上手く言い表せないんですよねぇ。

と少し言いよどむ様子で、「島の幸福度を上げる」と答えた後、

日々島の状況が変わるので、事業のビジョンを上手に説明できないのですが・・・。実際は、幸福度を上げることはしてなくて・・・幸福なんですよ、島の人は。実際、島の人は困ってないし、めっちゃ島の人は幸せなんです。

とおっしゃっていました。

現在進行形で分かりやすい課題があるわけではないし、島が輝かしく発展していく未来を望んでいるわけでもない。

では、この飛島ガーディアンプロジェクトとは一体何なのでしょう。

AがBに変貌を遂げる!
○○の課題をコロンブスの卵のようなプロジェクトで解決する!

というようなものではない。もっと地続きで、それゆえに分かりやすさはないのかもしれません。

だけど、未来予測はある

こと離島においては、高度成長が始まる1955年にも人口減少は始まっており、その人口推移をみると離島地域の人口は約6割減少しています。

離島経済新聞社さんの特集で「島で子どもたちが減り続けている現状について、子ども時代を島で過ごした人たちがどう思っているのか」についてアンケートがまとめられていました。

そう、島の未来予測として人口減少は待ったなし。予測できる未来と言っても過言ではないでしょう。人口減少によって、生活サービスや相互扶助機能の低下が起こり得ます。いつか困るときがやってくるのです。

その未来に対して今準備しておくべきことが、「若者たちが島の日常に溶け込んでおくこと」なのです。

それができなくなる瞬間がいつか来てしまう。例えば、老化であったりとか、災害もあるし、そのタイミングですぐ手が差し伸べられるポジションにいたいと思います。島の人は困ってないし、幸せだというのを分かった上で、私たちは日常に溶けこんで、一緒に過ごして、当たり前のように過ごしていくというのをずっと続けることによって、不意に車いす生活になってしまったとなった時に、車いすを押すぐらいのことはできますし、電球を替えれないわとなった時に、行きましょうかと言える存在になりたい、その存在をずっとキープすることは、すごく難しいことだと思っています。
[『財団と人』より]

ただ在り続けるということ

その意味で、現時点における飛島ガーディアンプロジェクトがとるべきアクションは課題解決ではなく、通い続けること。

具体的に何をやるかというと、常に通うことです。通わないと、忘れられてしまいます。島の行事は常に参加しますし、通い続けることが事業というと、全然中身がないんですが、通い続けていくうちに、できるんですよ、役割が降ってくるんです。
[『財団と人』より]

日置さんは、役割を探さずに降ってくる瞬間を待っていると言います。

いつか来る「手を差し伸べる瞬間」のために、今はただ在り続ける。分かりやすい何かはないかもしれないけど、「在り続ける」をしている。僕はそう捉えました。

僕にとっては島の風景は非日常で、そこで行われる全てに何か「特別」を感じるし、意味を付与したいと思います。ただ、島で暮らす人たちにとっては、僕が感じる全ての特別は「日常」で、日置さんたち飛島ガーディアンプロジェクトもまた、日常に溶ける人たちです。

特別な意味を付与しない「彼らの目線」からのまなざしで、ガーディアンの活動を捉えたとき、彼らが大切にしたいことやその「be」に触れられるような気がしました。

島の人が必要だと思うタイミングで助けられるポジションに常にいなければいけないと思いました。
ガーディアンズは島の人がふと、「もうこれ、できんわ、よろしくね」と言われるタイミングがいつ来てもいいように勉強しています。
[『財団と人』より]

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