ワークショップデザイナーへの道Ⅰ
2023年度の前半戦、僕はワークショップデザインを勉強するべく、WSDの門を叩きました。そのときの学びを定着させるべく、自分の脳内整理を言語化・書き出していきたいと思います。
WSDとは
ワークショップの理論と実践を学ぶプログラムで、青山学院大学と大阪大学の共同事業として2009年に開講され、現在では青山学院大学にて行われています。
2021年よりオンライン受講のブルーコースが開講され、僕もこのコースで3ヶ月学びました。
ワークショップって何?
ワークショップとは、参加者が主体的に参加する体験型の講座を指すことが多いと思います。WSDでは、ワークショップは下記のように定義されています。
ワークショップを体系的に学ぶ場
NPOだっぴの仕事になってから、ワークショップなるものをかれこれ6年ほど企画運営してきたのですが、独学でやってきた部分が多く、専門知へのアクセスを探していました。(できればもっと早く受講したかった)
ワークショップというと、(学校の授業も近いかもしれないですが)全くイメージが湧かないというわけではなく、なまじ何となく想像できる分、独学でも「できた気」になってしまいます。それが積み重なる中で、「自分がやっていることは果たして合っているのだろうか?全体で俯瞰して見たときにどのあたりに位置しているのだろうか?」という疑問・懸念が生まれてきて、専門知を求め始めました。
3つの学習観
まず、3つの学習観の整理から、ワークショップで扱う学習観の射程を確認します。
①行動主義学習観
「できる」を意味する学習。「学習=刺激と反応」とし、反射的に1つの解にたどり着くことができます。
例えば、2×3の計算の答えは6ですが、これは九九を覚えておけば即答可能ですよね。
②認知主義学習観
「わかる」を意味する学習。「学習=知識の獲得」とし、なぜそうなるのかが分かっている状態を目指します。
例えば、「リンゴを1人2個ずつ、全員で3人に配るとき、リンゴは合計何個必要になるか」という文章問題があったとします。この答えは2×3=6になりますが、九九を覚えているだけでは不十分で、(1人あたり2個のリンゴを配る)×(3人分)という「なぜその計算式になるのか」を理解できている状態が求められます。
③社会構成主義学習観
「分かち合う」学習。文化人類学を起点としたこの考え方は、「学習=意味の生成」とし、他者との相互作用の中で生まれていくことにも学習として捉えられるものがあるとします。
例えば、文化祭でクラスの催し物を行うとなったとき、何をするかを話し合うときに揉めたりしつつも、文化祭当日はクラスの良い思い出となる催し物ができたという経験があったとします。この経験の中には、他人との対立を乗り越えた経験や失敗しながらも本番で大団円を迎えた経験など、経験への意味づけによって学びを捉えていきます。
3つの学習観の特長を比較すると、①②は学習者個人で積み上げることができる一方、③の学習者としては、自分も他者も該当します。また、解の性質も異なっており、①②は絶対的な正解を、③は納得解を求めるものです。
これらの特長から、①②は獲得型の学習、③は参加型の学習であり、評価方法にも違いが生まれます。①②はどれだけ知識を獲得することができたかの「量」を基準とする一方、③は他者とどんな経験をすることができたかの「質」を基準とします。
③社会構成主義学習観に基づいてワークショップは行われますが、学習観の違いは相補的で、どちらか一方だけが重要ということではありません。
ワークショップの特徴
ワークショップの特徴は「参加」「体験」「相互作用」とされています。
〇参加
参加者はただ受け身に話を聞くだけでなく、主体的にプログラムに参加します。ただ場を設けて「はい、どうぞ」では、積極的な参加は難しいと思われますので、参加態度をモチベートしていくことが、ワークショップデザイナーの腕の見せ所のひとつだと言えます。
〇体験
言葉を使って頭だけで考えるだけでなく、体験を重視します。身体性や即興性が重要な構成要素で、カラダや直感的な感覚を表出させる空間づくりが求められます。ただ体験するだけでなく、①体験する②観てみる③分析する④抽象的概念化するという循環による学習をデザインします。
〇相互作用
一方的でなく、お互いから学び合うことを重視します。ワークショップでは、お互いの意見などの共有から新しい意味を創造し、学びを生み出す過程があります。こうした協働性もまた、ワークショップデザインの重要な構成要素のひとつです。
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